今日は、何か色々なことがあった日でした。幸せな人と、不幸な人と両方に遭遇して対応した帰り道、ツバメがいる駅前のスーパーの通路を歩いてツバメの子どもたちの顔を覗いて行こうと思ったら、私の前を歩いている人が、ツバメの下においてある四角い糞受けをつけた円錐コーンを覗いていたので(何があるのかな?)とその人の通り過ぎた後に目をやると、真上の巣から落ちたと思われるまだ小さい育ちきっていないツバメの子が、その受け皿の中に落ちていました。
<上に残って元気な顔を覗かせている子ツバメたち>
こういう姿に遭遇すると胸が塞がります。ちょうど、仕事であった人の人生と重なって、ツバメにもある運・不運を目の当たりにして、胸が痛みました。このスーパーの入り口にあるお花屋さんもよくその低い軒先でツバメを迎えているので話をすると、こういうことはよくあるようで、落ちてしまった子供を親は救わないし、餌も与えはしないだろう、とのことでした。
今日は、不運な人に仕事で会い、不運なツバメを見てしまって、そしてその不運から、私が救いだしてあげることが何もできい無力と痛みを感じながら帰宅しました。
そして、そんな日も静かに月は上ってきました。
生まれ、生きて、喜びも悲しみもあって、そしてこの世を去って行く。命とはそうしたもの。
その風景を見ないで生きていくことはできないし。この私も、その中のひとり。
誰も、その命の運命を逃れることはできないのだから、こうやって直視することも生活の中には起こりうる。当たり前だが、胸に迫るものを感じながら、(そうしたものだよ)と、静かに上から見守る月を見上げた今日のお月様でした。
生きて、自分がここにいることも不思議な現実。そして、生きているものすべてが永遠でないのも現実。その現実の中で、静かにそれを受け入れて、日々を大切にしていくしかない。
「お月様、そんな私たちを今日もしっかり最後まで見守っていてください。何もできない私の無力を許して下さい。皆が安らかにこの時を過ごせますように」
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