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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

雲が厚くても、月がみえたっ!

2019-04-22 19:47:59 | イチロー、5000本...

   昨夜は、月の出以降 時々空を眺めに出て見たのですが、いっこうに月がです・・・諦めて寝てしまおうかとお風呂に入った後、外を最後に覗いたら、空にぼんやりお月様が浮かんで待っていてくれました。

     <4月22日1:02>

     そうなんです。21日に昇ってきた月ですが、日付が替わってからやっと出てきてくれました。「お月様、もう少ししっかり顔を見せて~」と呼びかけましたが・・・

      

      ここまで撮るのが精いっぱいでした。「お月様、姿をみせてくれて有難う!おやすみなさい」

      これ以上は待っても期待ができないので、寝てしまいました。今夜もあまり天気はよくなさそうですが、きっと日付が替わる頃には、姿をみせてくれるかもしれません。

     ところで、どうして今日のブログのカテゴリーがイチローなのでしょう。実は、昨日とんでもないテレビ放送を見たからです。番組表を見ていて「イチロー&松井秀喜が中高時代衝撃を受けた怪物投手」というTBSの「消えた天才」びタイトルに目がとまり、いつもならニュースをみるのを止めて見始めて本当に吸い込まれるように見てしまいました。

     ココの中から抜粋させてもらいます。

     イチローが、「印象に強く残っているゲームがあるんです。それは高校3年の夏、愛知県大会でベスト8まで勝ち進んで、そこで中京と当たったんですけど、あのゲームですね。あの試合は僕にとってはとんでもなく意味の深いゲームでしたから、すごく印象に残っています」と語り記憶の奥深くに大事に刻み込んできたベストゲーム。その相手が、投手木村高司さん(当時中京高校エース)でした。

     1991年7月28日全国高校野球選手権 愛知大会準々決勝 愛工大名電 対 中京     

その年の春、センバツに出場していた名電高校は、4番鈴木一朗を中心とした強力打線で5回戦までをほとんどコールドゲームで勝ち上がってきた。一方、名門・中京高校も大会注目右腕の木村高司を擁し、準々決勝までの5試合をすべて完封勝ちしてきた。木村はイチローを始めて見た時から凄いやつがいると注目していたという。そして、イチローも、対戦する度に打たしてもらえず、12打数2安打の成績に悔しい思いをし、ライバルと思っていたようだ。そんなイチローも、プロスカウトの目に触れるためには、勝ち抜くことが必須な中、木村に打ち勝つことは大切なことで打席に立ったが・・・イチローは、その日も打てなかった。

 イチロー自身の言葉で語ってもらうことにしよう。

「(雨でノーゲームになってしまった)試合がある。途中まで中京が勝っていた・・・。あの雨がなければ、ひょっとしたら僕はプロに行けなかったかもしれない。だから、僕にとっては大きなゲームだったんです。だって、あそこで僕の野球、終わっていたのかもしれないんですからね。もし僕が野球をやっていなかったらとしたら何もない。うーん、何が残りますかね…ホント、何もないよね。そうやって考えると、あの雨が僕の運命を変えたのかもしれません」

 そうなんです。イチローに投げ勝っていた木村投手は勝利を確信していたかもしれない。そこに雨が降りだし、試合はノーゲームになってしまい、翌日に持ち越されてしまったのだ。イチローにとっては恵みの雨。木村にとっては、気持ちよく投げていたのに疲れだけを残す結果になってしまった。

 そして、翌日。それでも、木村の好投で中京が2-0とリード。6回、名電は1点を返し、2アウトランナー一塁。打率.722のイチローが登場。1-1からの3球目握力の無くなった木村投手の高めに上ずったストレートを、ライトへ高々と舞い上がる見事な逆転ホームラン!名電がそのままそれを維持して試合に勝利という結果となった!

 木村は、甲子園に進むことができずに、それまではイチロー以上に注目される選手として新聞にも名前がでたりもしたが、スカウトもなく、大学からの誘いもなかったとテレビでは本人が語っていた。そして、このホームランを打たれた後に、木村はどうにかイチローの家の電話を調べてイチローに電話をかけた話をテレビで告白する。

 イチローに電話をしたら、それまでイチローはホームランを打つタイプの選手ではないのに「あの時は、ホームランしか狙ってなかったんだ」と言われたという。木村さんは自分とイチローの世界の違いを強く感じたという。

 そこは、イチロー自身の言葉で語ってもらうと分かりやすいだろう。

 「正直にいえば、あの夏、僕の目標は甲子園に出ることじゃなかった。高校に入る前から、プロになることを第一に考えていましたし、モチベーションが他の選手とはまったく違っていたと思います。みんなは力を合わせて甲子園に向かっていけるでしょう。でも僕は一人でプロという強大な世界に向かわなければならない。そんなこと半端な気持ちじゃできないんですよ。だから一つでも多く勝って、自分のプレーをスカウトの人に見せたかった。準々決勝で終わるわけにはいかなかったんです。僕がスカウトにも覚えてもらうようになったのは、あの逆転ホームランからだったと思います」

  いつもとは違う大ぶりな振りをしている。そして、イチローは、狙っていたホームランを見事に放つ(ココの1:24:54)。「雨」という「運」をも呼び込んだイチローの「プロへの信念」。そのマイルストーンとも本人が記憶している瞬間がここにあったのだ。

  木村さんは、その後法政大学で野球はしたそうだが、肘を痛めて野球の表舞台に出ることはなく、女の子二人のパパとして野球用具の店を継いで幸せに暮らしていて、野球チームの指導は続けているようだが、あの時雨が降らなくても、自分が野球で成功していたかは分からないとあっさり答え、今を悔いなく生きている様子が素敵だった。これも人生。

  世界へ羽ばたいて世界の記録を塗り替えたイチローが、その時その時すべての1瞬を逃さずに生きてきた道は、多くの人々に勇気を与え続けてきた。私も、勇気をたくさんもらった一人だ。そんな一人として、このホームランを打った時のイチローの魂の持ち方から、また大きく学ぶことができた。イチローに感謝。  

 

  そして、こんな素敵な番組を作って、イチローと木村さんの秘話を伝えてくれたTBSに感謝します。

  1瞬先の人生は見えない。ちょうど、同じ日に87歳の運転する車で命を落とした母子の話をニュースで知った。この1瞬が自分の先の人生を決めていく。このひと時、ひと時を大切に生きていきたい。    

 

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