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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

パルピテーション(palpitation)

2014-05-31 09:46:29 | 日記
暑くなり出しました。もう気温が30度を超えていますね。NHKの朝ドラで聞いた言葉パルピテーション。医学用語で動悸とか。そこから胸がどきどきすることとか。いかがですか?ときめくことありますか?朝からそわそわして、いや、そのもっと前から、会えるという喜びでドキドキしていた時代がありました。同じ職場で1日中顔をつき合せていた夫でも、夜、待ち合わせのお店で待っているとき、雨に濡れて飛び込んできたその姿に

ドキドキしたのを覚えています。「そんな時代もあったねと・・・」だったような気がしていました。そしてそんな心を深く沈めておいたようです。でも、そんなことは隠したにすぎない。その微笑みにすべてが融ける時、パルピテーション!走っていきたい情熱は隠して、佇んで待つ。大人になったのかな。でも、まだ忘れていないpalpitationにほっとかな。

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W杯

2014-05-26 21:53:36 | 日記
いよいよW杯まで19日。明日はキプロスとの壮行試合。でも、なぜかいつものように燃えない。ブラジルが遠いからだろうか。2002,2006,2010年ともっと燃えていた気がする。周りにブラジルに行く人が少ないせいかもしれない。ブラジルの試合会場の映像がTVで流れないからかもしれない。メンバーのせいだろうか?今までのなかでは最高のメンバーかもしれないのに。むしろ荒削りさがないからだろうか。サッカーに対する興味は変わらないのに。年のせいか??熱くならない自分がいる。う~ん・・静かな情熱なのかもしれない。

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戦争の残したもの

2014-05-21 23:04:04 | 日記
誰かが言っていた。「この70年間、日本で戦死した人はいない」と。今、勉強を教えている生徒に中学3年生で、両親がフィリピンからこられた子がいる。彼女の名前はイサベラ。姓は日本名。お父さんの姓です。お父さんの父親が日本人で、母親がフィリピン人。お父さんの名前はアルバート。お母さんの父親と母親はスペイン系。お母さんの名前はジェラルディン。イザベラちゃんの會祖母はアイルランド系で金髪だという。フィリピンという国にはスペインの植民地時代、アメリカの統治時代の名残を残しているそうだ。300年前戦場だった場所がまだ残っているという。敵を見張った高い塔がそのまま崩れかけて残っていたり、大きな教会の(カトリック)建物がそのまま残っているという。イサベラちゃんは日本には何も残っていないという。広島くらいではないかと。彼女は自分の家族の名前にもその国の歴史を感じ、フィリピンのタガログ語にも時刻だけはスペイン語が借用されているという。日本の子どもたちは、何で戦争を知ることができるのだろうか。そして、大人たちもその記憶を語る人が少なくなった。平和なのか?平和ボケが始まったのか?怖い時代が始まりそうです。

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走りもせず、考えもせず

2014-05-20 23:48:32 | 日記
「走りながら考えろ」と言ったのはオシムだっただろうか。最近はそのどちらもしなくなった。「走る」こともなくなり、無為に「考える」こともしなくなった。昔は考えもせず、走っていた。当然怪我も多かったし、倒れて起きられないこともあった。まさに炎のランナーだった。何かにとらわれて走ってそこから進むことが出来なかったような気がする。結局いつも同じことを考え、同じように走っていた。いつから変わったのかわからないが、「今」という枠の中だけで生きるようになった。過去にとらわれることも、未来を不安に思ったりすることもなくなった。時々走らない自分に淋しさを感じることもあるが、とどまっていられることがより深い関係を作っているような気もする。今、伝えなくてはならないこと、今、しなくては明日では遅いこと、そんなことを味わい過ぎたからだろうか。そんな毎日を過ごしていると、我はどこかへ行ってしまった。

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iPS細胞やスタップ細胞より

2014-05-18 14:43:57 | 日記
爽やかな風が吹いています。新緑が美しい。いのちの息吹ですね。スタップ細胞騒ぎもいま静かになりました。大学の研究室や理研について少し実情を知る者としては二言くらい言いたいのですが・・・。右手を重いドアに挟んで約2か月。傷はきれいになりましたが、中指と人差し指の爪は死んでしまいました。いつの間にか爪の下から新しい爪ができ出していました。さて、これがどういう風に古い爪と交代するのか?興味を持って見ていました。下の爪が出来てくると、上の爪が自然に死んでいくのです。上の爪はバクバクしてきますが、はがれてはいきません。今にも取れそうで怖いのですが、すごいのは指の肉が伸び出して、爪が落ちないように支えるのです。なんとも変な形です。そして、上の爪が死んで剥がれても大丈夫そうになると、その肉は自然に後退してなくなります。自然の摂理でしょうか。細胞に指示を出すのはどこなんでしょうか?確かに科学の進歩で、難病などが救えるようになると思います。皮膚の再生や網膜の再生もそうですね。でも、わたしのどこかにすべてイエスと言えない部分がありました。人の持つ自然の発生・再生の力。「いのち」をいうものを見つめた時に、自然であることがいいのではないかという 気持ちです。この傷の再生力、そして爪の生死の神秘。人の体の再生力の神秘を再確認しました。

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