テレビを見ていて、戦争当時の場面を見ると、なぜ日本は戦争をしたのかとも思います。もはや戦後70年、平和が続くとこんなことがわからなくなります。「戦争」ということがどんなに怖ろしいことなのか、どこかドラマの世界のなのです。シリアやウクライナの情勢を映像で見ると、まさにそこで人が亡くなり、負傷し、家屋が破壊されているのです。ドイツの元大統領ワイツゼッカー氏のが先日死去し、戦争責任の問題が問われました。ドイツには、さまざま戦争の爪痕がいまも大切に残されています。私が戦争を間近にみることができたのは、子どもの頃街で見かける傷痍軍人さんと叔父の位牌くらいでした。「なぜ、日本は戦争をしたのだろうか?」改めて向かい合う必要性を感じています。
今週は外出が多く、電車に乗っている時間が多かったです。コルセットをかけての移動は腰に負担がかかります。階段の昇降もかなり気を使います。週末には動きたくない状態です。やらなくてはいけないことが山ほどあるのですが、どうにも体がついていきません。交通事故による負の遺産です。もしかしたら、休んでいいのかもしれない。「ねぇ、疲れたのよね」と言えばいいことなのかもしれない。どうも頼むことが下手な人種らしいが、この身体の痛みには、だれか寄りかからせて であります。
2月逃げる、3月去る と言いますが、確かに2月も半ば過ぎ。木々の新芽も少しずつ膨らんでいます。昨日は、母を連れて物忘れ外来に通院。2月から介護の度合いも上がり、デーサービスが2回になりました。そのおかげか、表情も豊かになり生き生きし始めました。デーサービスで、折り紙や編み物などをみなさんに教えてあげているようです。手先の器用な母はいろいろな習い事もしたので、それが生かされるのがとてもうれしいようです。すべてが積極的になり、病院でも同じような患者さんと楽しいそうに会話をしていました。自分が「役に立つ」ということがうれしいいのでしょうね。母の笑顔を見ていると、こちらもウキウキしてきます。短期記憶は故障ですが、行動力は昔の母に戻りました。「笑顔がいちばん」そういってくれた人を思い出しました。
あたたかい日曜日。今日はサッカーの応援に。サッカーは「危険なスポーツ」といった人がいたが、たしかにプロ、アマを問わず怪我がおおい。肉離れだけでなく、アキレスけんが切れたり、骨折したり、半年くらい不自由な身になることがある。膝が痛い、腰が痛いは驚くことでもない。怪我は痛々しいが、それ以上に好きなスポーツができない姿には胸が痛む。子どものようにしゅんとしている姿は見る目にはさびしい。なんともばかな男たちと思いながらも、男の世界とはどうもそのようなものらしい。「そうだね、痛かったね」そんな言葉しかかけられない。胸が痛む。
明日はバレンタインデー。巷ではチョコレートやらバレンタイン商品が溢れています。ときめいて贈るものでもないと思いながら、なんとなくいい贈り物はないかと考えます。そうだ、梅の写真でも贈ろうか・・・。ボランティアの仕事も一段落したので、北鎌倉に出かけました。冬の日の静かな古都を歩く楽しみ。贅沢な時間です。写真を撮りに来たのか、贈る人と共に歩いている気分を味わいたいのか・・・。冬の静かさの中に、春を待つ生命の息吹があります。生きるということは素晴らしいことだ と思うのです。一歩、一歩その時を味わいながら、静かな愛に生きる喜びを感じました。