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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

その場を離れて

2017-05-31 18:49:29 | 日記
 平塚の街はバラの街にしたいのか、やたらとバラが植えられている。それが丈夫なのがいいと赤とピンクで、なんとも強烈!こうなるとバラはつくづく風情のない花だと思う。

 5月も末になり追い立てられている。私一人の忙しさで(性急さ)人を巻き込んではいけないと思う。他の人は他の人でみなそれぞれ忙しいのだから。それに疲れているのか、逃げる夢を連日みてしまった。これではいけないと「逃げるは恥だが役に立つ」と隣町へ逃げ出した。川を越えると海と山がある。人がいないので少し怖かったが自然公園を散策してみた。紫陽花、つつじ、バラ、ヤマボウシ、泰山木、と6月の花が咲き出している。そして、紅葉がきれいだ。5分も歩くともう別の世界。緑のシャワーの中だ。そのうちどうということないことで悩んでいたと思う。展望台へ着くと、海と山が見渡せる。誰もいない最高の場所でお昼を食べる。今は幸せだ と思う。こうして昼間から逃げ出して違う空気が吸える。でも、30分くらいは、昔でも出来たはずだ。

 帰り道はまた30分近く歩いた。「そうだ、いつも人生は一人なんだ」と思いながら歩く。いつもの部屋では気づかない。でも、大丈夫、みんなそうなのだから。

 

 

 
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大変だったことを忘れる

2017-05-28 17:51:06 | 日記
 あっいう間に月末になってしまう。今日はミサに行かなくては と思うと早く目が覚めてしまう。眠る前にためしにα波の癒しの音楽をかけてみた。深い眠りにはなった気もするが、眠る時間は少ないままだ。そんな音楽を聞きながら考えた。自ら撒いた種とはいえ、大変なときを耐えてきたなぁ と。若いときから大変だった。よく生き抜いたなぁと。

 でも、そんなことは今、何にもならない と思った。ここまで来るのに、こうだったのよ、あなたにはわからないでしょ といったところでそれはつまらにことでしかない。いま、必要なことではない。そう思うと、教会へ向う道で、とても爽やかな気分になった。

 「我―汝」の関係で、守られているという幸せの中で今を生きていけばいいのだと。「今を生きる」というがなかなか難しいと思う。でも、そう思うと見えてくることも増えて、感謝も増えてくる気がする。

 
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「渇き」

2017-05-26 22:07:55 | 日記
 久しぶりの雨降り。紫陽花が色づき始めている。手や肩が痛くなるまで、事務仕事をしていた。

 ふと、「渇く」という言葉を思い出した。そういえばそういう感覚が最近はない。聖書の「サマリアの女」を読み直した。サマリア人の女は5回結婚し、今は夫といえない男と暮らしている。女は普通は水を汲みに来る時間ではない昼ごろ水を汲みに来て、イエスに声をかけられる。ユダヤ人がサマリア人に声をかけるということはない。サマリアの女にイエスは「私の水は渇かない」という。

 この話は「我-それ」の関係は、それは交換可能な存在。仕事でも結婚でも自分にとって価値あるものを愛するために価値あるものと交換していく。しかし「我―汝」の関係は交換不能な存在として愛する人格的な愛の交わり という。本当の愛を求める時に「渇き」が起こると言う。

 このサマリアの女を読んだときは、ショックだった。価値あるものを求めたというよりは、自分が価値を置くものを求め続けた というのか。妥協しなかった というのか。なぜ、今渇かないのだろうか?交換不能な存在として人を愛しているからだろうか。

 なかなか意味深い愛の話だ。

  
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二人の食卓(4)

2017-05-25 18:32:04 | 日記
 家でのデスクワークが続きます。処理しても処理しても、やることがあります。それでも爽やかに風に誘われて、散歩に出かけています。たしかに、緑を見ること、遠くを見ることは眼にいいようです。

 忙しい中でも、食事の用意をがんばっています。蕁麻疹がでてからは、特にバランスよくいろいろなものを食べるようにしています。TVの番組や新聞の紙面では、高齢者はお肉を取りましょう ということがいわれています。そのようなことなので意識的にお肉を食べていたのですが、食の細い私には肉をとると野菜不足になるようで、なかなかバランスがよくありません。二人の食卓を始めてどのくらいが経つでしょうか。食卓に二人分の食事を用意することは習慣になりました。(一人分を上手に分けるのですが)私にはとてもいいようです。やはりきちんと食事を作るようになります。

 NHKの「澪つくし料理帳」で、「身体は口から入るもので作られる」と言っていましたが、本当にそうだなぁ と思います。バランスよくすこし野菜を大目に食べるように心がけていると身体が軽くなる感じです。年をとるということは、身体を維持するには若いときよりなにかとお金がかかりますね。収入が減る中で工夫も必要ですが、生命保険をたくさんかけるよりも、食事にお金をかけた方がいいと安い食材を工夫しています。それも楽しみかもしれません。

 二人の食卓は、これからも続いていくと思います。ふと、思いついて始めたことですが、くらしが豊かになりました。

  
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ひとりじゃないって

2017-05-21 17:20:58 | 日記
 連日の暑い日が続きます。それでも真夏の蒸し暑さがないのでそんなには身体にこたえません。パソコンに向ってする仕事が多いので、時間をみては散歩に出かけます。うのはなの香りとバラの香りが対照的です。1時間ほど散歩をすると目の疲れが取れてきます。

 家のコーヒー豆の木が大きくなりました。昔、植物の研究をされている先生が、観葉植物などは一つぽつんを置かないで、二つにしてあげるといい と話してくださいました。植物もお話をするということでした。植物に音楽を聞かせるといいとも聞きますね。日当たりなど同じような条件の場所なのですが、コーヒーの木をガジュマルの木のそばに動かしました。たしかに、二つにしてあげる成長にいいのかもしれません。

 一人はなんでも一人で気が合うけど、やはり意見が違ってもだれかと一緒のほうがいい と母がよく言っていました。「ひとりじゃないの」は天地真理ちゃんが歌っていましたね。なんでもないことでそれはなにとはっきり記憶に残らないことなのかもしれません。日常とはそのようなもので、毎日一緒に食事をしてTVをみて、そんな生活は取り立てて思い出にはならないけれども、「ひとりじゃないって」素敵なことなのだと思います。

 
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