gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 皆既月食

2018-01-31 22:47:35 | 日記
 皆既月食だという。先ほどまで見えていた赤い月がだんだん見えなくなる。原始にもどるような不思議な時間だ。赤い月も不気味だ。

 火曜日は午前中はお兄ちゃんたちにボール蹴りで遊んでもらった。4年くらい前は一人で遊んでいたのだが、お兄ちゃんたちとだと子供のように楽しく遊べる。そのあと、実家へ。少し母のそばにいてあげたいと思った。ぼろの一軒家は寒い。途中で携帯もタブレットも忘れたことに気がついた。ボール蹴りにいったカメラバックから移し忘れたのだ。「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」で実家へ行くときは行きも帰りも荷物が多い。前の晩からそろえているのだが、それでも肝心なものを忘れる。まず、母に途中で電話しないとならない。幸い駅のホームにある赤電話を見つけた。特に大事なメールや電話は入らないと思うが、連絡しないといけない方が4名くらいあった。昔は手帳に電話番号が書いてあったが、今は、番号を覚えている人は5名くらいだ。普段からあまり電話は使わないのでそう不便はないのだが、パソコンに入るメールがチェックできないのはきつい。

 母は「馬渡さん家」では一日中まめに働いているようだが、うちではほとんど寝ている。これでいいのだ とケアマネジャーさんは言うが、ともかくものぐさになっている。非情な娘は、あれのこれのと用事を頼む。もう、子供と同じようだ。久しぶりによく顔を洗うとピカピカになった。そこは女でうれしくて鏡を見ている。

 この母との関係が今、私がつながっている唯一のものだ。メールもインターネットもないと私は誰ともつながっていないようだ。この埼玉の田舎にいると人との関係は幻のようだ。まるで皆既月食のように。消えて戻るものなのだろうか。

 やっとパソコンに向かえた。「あなたも皆既月食を見ていますか?」そんなメールが一番に出したかった。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 恋文

2018-01-29 23:15:26 | 日記
 今日は比較的過ごしやすかった。慶応義塾大学病院で網膜はく離後の定期健診だった。厚着をしていったので病院は暑いくらいだった。経過は良好だという。眼の病気は恐い。2時間半近くかかったので、帰宅するとぐんなりしていた。エネルギーを取られてしまうのだろう。

 ふと、電車のなかで「恋文」という映画を思い出した。1985年くらいの作品ではないか。その後ドラマ化されたが、キャストは映画のほうがいいような気がする。直木賞を受賞した連城三紀彦の小説が原作で、映画の主人公萩原健一がモデルだという。ストーリーは

 「美術教師の将一(萩原健一)と雑誌編集の仕事をする郷子(倍賞美津子)は、息子と3人で幸福に暮らしていた。そんなある日、将一がかつての恋人(高橋恵子)のところへ家出してしまう。女から白血病で余命いくばくもないと手紙で知らされた将一は、郷子と離婚し、女との残された日々を生きようと決意したのだ。病床の女に会って、女の過去を知った郷子は、将一と女のことを想い、夫に最後の恋文を手渡した。」

 なんで思い出したのだろうか。この頃、自分が郷子のような女に思えるからだろうか。おそらく、当時もそんな風に感じた気がする。どんなことでもそうだったなぁ と思う。「奪うこと」ことが出来ず「与えること」を選んできた。

 でも、それでいいのだろう。お菓子一つでも、私は先にとることができなかったのだから。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 やさしさとは

2018-01-28 22:10:15 | 日記
 今日は午前中、北鎌倉へ出かけた。雪の残る静かな寺を訪れたかった。思ったよりも雪は少なかったが、冬の中にほんの少しだけ春が来ていた。

 午後、「あの日、あの時、あの番組」が早坂暁のアーカイブスだった。早坂暁の「夢千代日記」は吉永小百合の出演するドラマだった。脚本を書いていたときなので、よく見ていた。その早坂暁の「ドラマ人間模様 新・事件 わがうたははないちもんめ」の再放送だった。若山富三郎が弁護士で、2つの「委託殺人」問題を解いていく。一つは、足が悪く歩けなくなった義母に殺してほしいと懇願され川へ連れて行って自殺を擁護した長男の嫁。夫も娘もその現場にいて、娘は言葉を失う。それに耐え切れず家を出て身体を売って暮らしていた。自殺願望から抜けられず客の男に殺人を依頼する。この男も故郷に妻子を捨てた男で、殺人を引き受け自分もあとを追うという。この男が事情を話さずに殺人を犯した自白する事件だ。

 37年前の作品だ。だが、今の時代にもこのドラマは大きな課題を投げかけている。「やさしさ」とはなにか?「やさしさ」が罪になることもある。介護疲れによる殺人は増える可能性もある。見ごたえのある重いドラマだった。涙がでた。

 「死ぬ」ほうが「生きる」よりも楽だと思えるケースもある。この義母の場合がそうだし、嫁の場合もそうだ。「いっそ、死んだほうが・・・」になるのだろう。暗い話だが、相手の負う傷を考えて生きなくてはならないと思う。それが最後の「やさしさ」の1滴まで搾り出して生きるということだろう。相手のために死んではならない。その傷は深いが、そうして生きれば必ず、同じように生きた人に救われる。私がそうなように。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 心の叫びをみつめて

2018-01-27 23:40:52 | 日記
 今日は朝から東京へキリスト教の講座に出かけた。まだ、雪が残っているのにびっくり!TVで雪が降っているのは見ていたが、こんなに残るくらい降ったとは。寒いわけだ。

 『祈り』についてと『いのちへのまなざし』という2つのテーマだった。心の深い部分までのお話しだった。お二人の司教様のお話はさすがに重みがある。

 「いのり」とは人間の存在としての心の深い部分からの叫び 自分の生い立ちからずっと持ち続けている心の叫びを見つめ続けることが大事だという。

 そして、いのちへのまなざしでは「時間は空間を越える」。目の前のことにとらわれて急ぐのではなく、大切なことは一歩一歩時間をかけてやっていくということ。

 まだ、消化しきれない部分が多いが、自分の方向は神に向っているということを感じてきた。「考える」のではなく「感じていく」ことだろう。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 難しい質問

2018-01-26 21:07:50 | 日記
 大型の寒波の影響でさすがに湘南でも寒い。街を歩く人は誰だかわからないような格好をしている。マスク美人が増えそうだ。少し順調に進んでいたNPOの仕事がここ3日止まっている。ものを書くときは乗りが必要なのでまたテンションが上がるまでたいへんだ。明日は朝から出て、夜まで予定が入っている。寒いときは、早く帰りたい と思う。

 それでも今日は昨年の受験生のお母さまとランチ。昨年の今頃は、二人とも地獄のような状態だった。お互いに極楽気分でお会いした。父兄と先生という関係で無いので、話もフランク。比較的年齢が近いので、忍び寄る(私は堂々と来ている)老いの話。お互いに働き続けた同士なので、のんびり家事が出来るいまのささやかな幸せを分かち合っている。

 女同士の話も出てくる。「最近はシニアの再婚も多いのに、先生はどうして再婚なさらないのですか?」この手の質問はお返事がむずかしい。う~ん、相手がいないからが正しい答えなのだが・・・。「一人でのんびりがいいのですか?」これも難しい質問。確かに一人は気ままで自分と気が合えばいいのだから、楽に決まっている。でもね・・・・。

 「この年になると、相手の方が、尊敬できるすばらしい方なら、『飯、風呂』の関係にはしたくないというかそうするにはもったいないというのか。もちろん、こんなものを食べてほしいとか、日常のことをしてさしあげたいとは思いますが、それに勝る精神的な喜びがあるというのか」これが正直な答えだろうか。しばらく、彼女は考えて「お二人とも大人なのですね」と言った。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする