明日から師走。いやはや今年もあと1か月。仕事のペース(パソコンに向かう時間)を落としたら、たちまち作らなくてはならない書類が溜まってくる。でも、今は自分の生活を大事にして無理はしないようにしている。万歩計をつけてみたら、1日1万歩を越えていた。健康な人ならいいのだろうが、腰痛持ちにはやや過酷な数字らしい。ともかく交通事故後は筋力の低下が著しい。皮膚も弱ったのか湿疹やらが襲ってくる。年に対抗すれば肌のお手入れに時間がかかる。諦めるか?そこで先日した引き算が、51-29=22。 この数式がわかる人はきっと計算をしたのだろう。そして自分の年から22を引いた!勇気をもらった女性が多いらしい。昔、この引き算をした時は、さすがにこれは出来ないと思った。でも、人生は意外なこともある。心にしまっておくにはいいお話かもしれない。さて、今夜も一通りお手入れをしますか。誰のためでもなく、自分のためにね。
木枯らしが吹きマフラーを巻くと、冬が来た感じだ。イチョウがきれいだ。寒くなったせいか、逆に腰を温めて寝ていて熱いせいか夜中に目が覚める。いや、単に年なのかもしれない。夜なかに考えることは、どうもマイナスでいけない。なにか心の底に不安があるのかもしれない。昼間は思い出さなくなった昔の失敗も思い出す。しかし、どうしてあのように間違いが多かったのだろうか。何が不安であんなにしがみつくように生きていたのだろうか。バランスを大きく欠いていた。右に行くべきところは左へ、左へ行く方がいいところを全部右に行った気もする。自信がなくて怖かったのかもしれない。ずっとずっとその過去を引きずっていた。でも、ご苦労さん と今は言える。
向田邦子の本にあった彼女の聞き違えの話。「わらべは見たり、野なかの薔薇」を「夜中の薔薇」と思っていたという。湘南の夜中の薔薇は350円で幸せを運んでくれる。右でも左でも結局はこんな小さな幸せが欲しかったのかな。
向田邦子の本にあった彼女の聞き違えの話。「わらべは見たり、野なかの薔薇」を「夜中の薔薇」と思っていたという。湘南の夜中の薔薇は350円で幸せを運んでくれる。右でも左でも結局はこんな小さな幸せが欲しかったのかな。
初冬を感じる日。勤労に感謝して今日も仕事。昨日は久しぶりに教会のミサに出かけられた。「主の平和」と平和の挨拶をすると、宗教が争いの原因になるのかと 思う。「わが子よ 憎しみには 愛を」というコメントを奥さんを亡くした映画ジャーナリストがFBに載せた。こんな時にげすわな話だが、聖書の分かち合いの時に「愛は憎しみに変わる」いう話題で「浮気相手の女性を殺したい」という言葉が出た。そう思うことは許されるのではと言うと、その時、シスターが「殺しても神は許されるのです」と話された。洗礼を受ける前のことだったと思う。
ふとその話を思い出した。このジャナリストはクリスチャンだったのだろうか。この言葉は深い、深い悲しみと深い、深い奥さまへの愛なのではないだろうか と思った。
ふとその話を思い出した。このジャナリストはクリスチャンだったのだろうか。この言葉は深い、深い悲しみと深い、深い奥さまへの愛なのではないだろうか と思った。
朝晴れていても、夜になると雨になる日が続く。冬が近づいてくる。1年前、この時期に交通事故に遭った。まだ、通院が続いている。疲れていた。事故の何日か前、横断歩道を渡りながらふと「交通事故にあったら、休めるなぁ」と思った。その3日後くらいに事故に遭った。とんでもない休みがきた。事故の後、いろいろ思うことがあった。「明日」という日の保証なない、とも思った。幸い、事故の割には軽症で3週間の入院で済んだ。体がうまく飛んだらしいが、そうでなければどうなっていたかわからない。「別れ」とは突然やってくる と思った。この年になるとその覚悟はしているが、特に事故後はそう思うようになった。
冬ソナのなかで、ユジンさんとチュンさんが別れる時、「お互いに振り向かないで歩いていこう。最後に見たものが、相手の後姿だなんてさびしいから」というセリフがあった。これが、いつも最後のセリフで、最後の姿と思うようになった。だから、いい残すことがないように「感謝」の言葉だけは伝えている。「あなたに逢えて幸せだ」と。
冬ソナのなかで、ユジンさんとチュンさんが別れる時、「お互いに振り向かないで歩いていこう。最後に見たものが、相手の後姿だなんてさびしいから」というセリフがあった。これが、いつも最後のセリフで、最後の姿と思うようになった。だから、いい残すことがないように「感謝」の言葉だけは伝えている。「あなたに逢えて幸せだ」と。
あっという間に11月も半ば。雨の歩道には、色とりどりの落ち葉。しっとりとした時間だ。ラグビー人気からか友人がラグビーの観戦に行った。初めてだという。大学時代、ミニスカートをはいてラグビーの観戦に行った。まさにその若さがラグビーのような気がする。もはやその世代ではないような気がしている。ミニスカートが流行り、当時は温かい下着などなく、何十デニールなどという分厚いストッキングもなかった。それに耐えていたのはやせ我慢か、それとも寒さに耐久性があったのか?・・・・。大学構内に檄文なるものが貼られ、応援に行ったものだ。その頃の絵画館前からのイチョウ並みはきれいだった。今の季節の神宮外苑は、国立競技場も野球場もラグビー場も風情があったのに・・・。もう、あの時代は帰らないなぁ。