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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

10センチの空間

2018-11-29 18:34:09 | 日記

やっと実家の整理に出かけられた。夏は猛暑、秋は取材が始まり、落ち着くと身体が動かない。やはり何事にも「時がある」と思った。時は向こうからやってくる。想像以上に前のときに片付けてあったので、今日は予定が早く終わった。しばらくはこのままにしておこうと思った。

帰りの電車でうとうとして目が覚める黒と黄緑色の大きな派手なバックが目の前に見えた。ゴルフバックにしては変だなぁ とぼやけた頭で考えた。えっ!バックに足がある。黄緑色に英文が書かれていた。”GO GUIDE DOGS"  ああ、盲導犬だ。なんとぼけているのか。東海道線はラッシュ時ではないが混んでいた。盲導犬に小さな声で英語の指示が出る。なんと賢い犬なのだろう!その混んだ車内の盲導犬の周りだけは10センチ以上の空間がある。大きな荷物をもった人も必死でその空間を空けている。

「思いやりは想像力と知性から出てくるものだと思う」と言ったのは、教会のお友だちだ。私にはその両方が欠如していたのだろうか。家族の気持ちを想像できていなかった。もと夫とは、毎日一緒にいたのに・・・・。彼の寂しさやつらさを思いやっただろうか。両親や弟に対してはどうだっただろう?年老いてから実家でひとり暮らしていた母の気持ちをどこまで想像できただろうか。

あなたと私の間に10センチの空間があるとしたら、それは想像力と知性からできたもののだろうか。黒い盲導犬も周りの10センチの空間はなんとあたたかいものだったのだろう。

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紅をさす

2018-11-28 19:25:19 | 日記

身体のメンテナンスに出かけようと化粧をしていた。外へ行くときは素顔では世間のご迷惑。化粧の最後に紅をさす。紅が唇によくつかない。よくみると筆の毛が半分くらいになっている。(年月がたつと筆も毛が抜けるのだ)この紅筆は何十年と使っている。どういうわけか失くすこともなく、塗装がはげて胴体の金属がほとんど出ている。思わず、筆を見てしまった。さだまさしの歌詞ではないが「あなたに逢う日のときめきは・・・・・・紅をさす」そんな思いでこの筆を使って紅をさしたことがあったのだろうな。あなたはだれだろう?ひとりではないかな?

教会のお友だちと話すと、彼女はよく昔の恋の話をする。(ご主人は亡くなられている)彼女の話では彼女はいつも大事にされて、愛されている。うらやましいくらいわがままがいえる恋だ。「まっちゃんは?」といわれても、私にはそういう話ができない。いや、もてて困る時期もあったが(ほんとかい?)懐かしいく思い出す恋のお話がない。そんなつらい恋ばかりしたわけではないのに・・・・。なにかお話できないのだろうな。

なぜだろう?昔話ができないのは。よく年をとると昔話が多くなるのに・・・・。老人ホームにいったらさびしいだろうな。「これでも私は、昔ね・・・・」なんて話せないとしたら。親友とも「ほら、あのとき真知子さんが・・」なんて昔話をされたらなんと答えるのだろう。

紅をさして、ティッシュで口紅を押さえて、出かけるのがマッサージ。まぁいいか。先生は熱心で若いし・・・。昔は忘れてもいいや、いつかときめいて紅をさす日がくるかもしれなし。

 

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チコちゃんに叱られる

2018-11-27 18:55:21 | 日記

今朝は電話の鳴る音で目が覚めた。何事ぞ?とぼんやりした頭で考える。ただ、身体がだるいので「たぶん・・・」と推理して横になっていた。起きてみると、なんとなくまぶたが腫れている感じだ。目の周りも痒い。また、なにかアレルギーかもしれない。年をとると毎年なにか出てくる。2日もすると症状は落ち着く。午後1時に来客がある。マンションの管理会社が変わったので、部屋の不便だったところを直してくれる。やはり大手の管理会社は対応がいい。逞しいそうな女性がやってきた。七つ道具を使い、見事に直していく。これにはまちこちゃんも負けた。

そんな予定でぼんやり過ごしていた。そのうちに後悔が出てきた。最期を決めたら力が抜けてぼーっとしてしまった。そうか、こういうことが起こるのか。やらなくてはならないことはどんどん出てきたが、今日はだめだ。まちこちゃんが「チコちゃん」に叱られる。大きな大きな荷物を下ろした感じだ。子育てが終わった、親の介護が終わった、病気だった身内を看取った、そのときの脱力感は大きいのだろうな。なにからしたらよいのかというよりはあまり仕事に気が乗らない。仕方なくPCのデータを整理した。

叱られないようにがんばってきたのかもしれない。「ぼーっと」はしていなかったなぁ。最後の走りが始まる。でも、あせらないでひとつずつやっていこう。それができるのは、やっとつかむことのできた自分のしてきたことへの確信かもしれない。長い戦いだった。今日一日は「チコちゃん」叱られてよう。あなたもたまには「チコちゃん」に叱られてもいいのでは。

 

 

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湖北のほとけさまともみじのちから

2018-11-26 20:25:37 | 日記

京から家に戻った。我が家ながらきれいになっている。もしものことがあるかもしれない、と出かけるときはある程度きれいにしていく。でも、朝食を食べた二人の食卓の食器などは食器棚に入れずにそのままにしておいた。なにもかもきれいにするのではなく、生きていたときの生活に匂いを残したかった。ああ、こんな風に暮らしていたのだなぁと。だれが後始末をしてくれるにしろ。

そんな思いで出かけたのが終活の眠る場所を決める(見てくる)こと。その前の日に湖北に紅葉と仏さまを見に行った。昨日のぶろぐでも書いたように、土の香りのする逞しい紅葉と仏さまだった。マイナーな所ではあったが、最低4ヶ国語は聞こえた。京都に比べればはるかに空いているが、あらゆる世代の人が来ている。拝顔した十一面観音立像は、平安初期の桧一本彫の逞しいものだ。唇にほのかな紅が残るのがやさしさもだしている。地元の人たちが守ってきた仏たちには力がある。私の中で、終活に向けてなにか別の力が湧いてきた。

宿泊するホテルに戻る電車の中で見た琵琶湖に沈む真っ赤な太陽。電車が琵琶湖の近くを走る長浜は特にうつくしかった。あの真っ赤な紅葉や真っ赤な大きな太陽を見たら、余命を宣告されたひとですら、生きる希望が持てるのではないだろうか。そういうときに点てるお茶に必要な器は、土の感触のあるがっちりしたものではないだろうか。私はなにか急にそんなことを感じた。いわゆるお茶の道から外れても、そこに魂の込められるものが欲しくなった。

最期が決まれば、あとはそこから逆算するだけ、という言葉はその通りかもしれない。なにがそこへ私を導いたかはわからない。「なぜ」という問いはない。もし導いたあるとした想像力のある知性に富む人かもしれない。

 

 

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田園の紅葉

2018-11-25 18:07:33 | 日記

久しぶりに新幹線で西へ。富士山は山頂付近しか雪がない。それでも、稲刈りの済んだ田んぼと少し色づいた山が晩秋を感じさせる。米原で降りるのでひかりで行く。こだまは待ち時間ばかりでつかれるがひかりはちょうどいい。

京都の紅葉は豪華でみやびやかだが、今日の湖北の紅葉は田園のなかののどかな紅葉だ。心が開いていく感じだ。町で管理する仏さまも奈良、平安時代のものが多い。拝観する人も少なくゆっくりできた。こんな時間のながれが楽でいい。1日に一ヵ所、それも朝も早くなく、日帰りはせず、安いホテルで一泊する。こんな時間の使い方はしなかったなぁ。

帰りの電車で見た琵琶湖に沈む夕日のすばらしかったこと。ちょうど長浜のあたりだった。こんなに太陽は大きく見えるなんて!電車内で声が上がった。豊かな1日に感謝。

 

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