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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

W杯 温故知新

2014-07-31 22:18:01 | 日記
 W杯が終わって一段落なのでしょうか。なにかとても遠い昔のことのようにも思えます。今回はあまりTV観戦しなかったからかもしれません。ある冊子のW杯関連の記事に、岡野俊一郎氏と金子勝彦氏の対談が載っていました。タイトルは「温故知新」。三菱ダイヤモンドサッカーのコンビのお二人の対談でした。三菱ダイヤモンドサッカーは1968年に開始されたそうです。あまりスポーツなどしない父が土曜日になるとlこの番組を見ていていました。思い出すとあの頃にはサッカーにほのぼのとした『夢』があったような気がします。それはお二人の語り口だったのでしょうか。ピッチに夢を感じさせるものがあった気がします。その郷愁にも似感情がどこからくるのかわかりませんが、「温故知新」というこの言葉のなかに探さなくてはならない課題があるような気がします。サッカーにしても、何にしても日本は大事なものをどこかに忘れてきたような気がしてなりません。


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雨宿り

2014-07-27 13:11:54 | 日記
暑さが厳しい。午後になると頭が朦朧してくる。それでも湘南の海風の影響で部屋を風が抜けていく。夕方になると雷雨が各地で発生しているようだが、行いがいいのか巡り合わない。子どもの頃は今よりも雷が多かったような気がする。怖かったせいかもしれないが。なぜか蚊帳を吊って、ゴムの敷きものを敷いてその中に蹲っていたような記憶がある。ゴムは絶縁体としてわかるが、蚊帳はよくわからない。しかし、にわか雨の中を、傘もささずに歩くのは気持ちがいい。化粧もはげ落ちて、きっとお化けのようなのだろうが、その爽快感はなんとも言えない。思えば、悲しかったのかもしれないが。井上陽水の「傘がない」やさだまさしの「雨宿り」を思い出す。偶然あなたと雨宿り・・そんなこともあったなぁ。

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釣りしのぶ

2014-07-25 08:51:43 | 日記
暑い夏。思い出すものが多い。いや、夏に限らず子供のころは、季節を感じるものが多かった。夏、朝はラジオ体操に始まり、夜は盆踊りや納涼大会、縁日、花火。浴衣がけで家族で縁日には出掛けた。今のように食べ物ばかりでなく、風情のあるものが売られていた。朝顔の仕立てたものや釣りしのぶがそうだった。ガラスの風鈴が付いた釣りしのぶを祖父が買ってくれた。それは軒下の風情だった。『シノブは山地の樹木や岩肌に着生して育つシダで、強健で乾燥に強く、水がなくても「耐え忍ぶ」ことからこの名がつき、そのシノブを吊るすことから「吊り忍」といいますが、縁起よく「釣りしのぶ」と書くようになりました。』釣りしのぶが欲しくて、ネットで探してみると前記のような注釈があった。釣りしのぶの風鈴の音を聞きながら、花火をした庭の思い出は、マンションの部屋では遠い昔になってしまった。


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白蓮

2014-07-22 20:44:27 | 日記
「白蓮」という名前を知ったのは、大学時代のころだろうか。岡本かのこなどを読んだ頃だと思う。一生に一度あるかないかの恋がある。そんなとき、「たとえ1ヶ月でもいい、そばにいたい」と激しく思うのかもしれない。こと、道ならぬ恋というものはそういうものかもしれない。向田邦子が言っていたが、「スキーで山が側に行ってはいけないと、いけないと思うと、逆にいってしまう」と。息子のような人に恋したことがあった。今思えば怖ろしいことだが、その時は止めることが出来なかった。いまはまだいいが、10年後にこの年の差はどうなるのかとおもいながらも。朝ドラの蓮子の恋人のように、背が高く、髪が長く、低く響く声の人だった。走らずに苦しんで心のなかで消してしまった恋だから、いま妙に懐かしく、艶めかしい。特にあの低い声は。たまにこんな胸キュンの思い出もいいなぁ。

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いま あるもののなかに

2014-07-20 14:08:50 | 日記
痛ましい事故が続いています。事故と言っていいののでしょうか。ウクライナでマレーシア航空の旅客機、撃墜により乗客全員が死亡。子どもが80人以上乗っていました。イスラエルのガザ地区の地上侵攻。罪のない市民が自宅を離れ避難所へ。TVに映る子供たちの姿に何ができるのかと思います。日本本土で戦後戦死した人はいないという。この国は平和な国のはずなのですが・・・。人を失うことの悲しみは、惨事の度に思い起こされます。どうやっても失われたものは戻らないのですから。災害による死であっても、病気による死であっても、事故死であっても、失ったものの穴を埋めることはできません。その現状を受け入れることは、ほんとうに辛いことです。戻らないものを戻らないものとして受け止めること。そして、今あるもののなかに、ささやかな希望が見出せたら・・・。そんな繰り返しのなかで、何かが背骨となって支えてくれるのではないでしょうか。お金でも、ものでもない何かが。


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