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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 そのひと言が言えた

2017-08-31 22:38:37 | 日記
 涼しい朝から1日が始まった。カーテンを開けると、ベランダにハイビスカスが咲いていた。情熱的な赤、なにかいいことがありそうな気がする。元気でいてほしい人に写真を撮って送った。一昨日、部屋を模様替えした。ただ、狭いところに家具をどう並べるかだけだ。これで3回目。問題は大きめなソファー。以前、母が横になるのにいいようにと買ったが、今は私の昼寝用。今回は上手く配置できた。同じスペースが広く感じられる。気をよくして、物置化している畳の部屋(仏壇がある部屋)の家具移動を、涼しいので今日始めた。機能しない引き出しが多く、不便だった。全部移動した!力の無い私だが、家具の動かし方はプロ級。特技である。

 夕方6時までには完成させないと大事な代表戦が見られない。無事終了した。今日は勝つな と思った。いそいそと夕食の支度して、準備万端でTVの前に。45分間動かなくてもいいように飲み物を準備。久しぶりに真剣勝負。縫いぐるみのクーを抱いて見ている。1点目が入ると一人声を上げた。いい試合だ。前半が終わると、15分で用を足す。そして、またTVの前にへばりつく。2点目の井手口のゴール!勝ったね と思った。今日はそんな日だった。

 サッカーは一人で見るのはばかみたいだ と思う。代表戦はスタジアムで見ることが多かった。今日は一人でもよかった。家ではアルコールを口にしなくなって、15年以上。うーん、台所の下に梅ブランデーがある。一口飲んでみようか。何か私の中で動き出した。言葉が出るようになった。そのひと言が言えるのだ。うれしい!

 

 
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 アイロンをかける

2017-08-27 21:36:38 | 日記
 今日こそはアイロンがけをしようと朝から思っていた。暑さが厳しいとアイロンをかけるのが、ついつい億劫になる。ソファーの上にたまった洗濯物にぬいぐるみクーが迷惑そうだ。

 私の家は、洋服縫製業だったので、仕事場に入ればいつもアイロンがついていた。アイロン=鉄製 で子供のころには重くて扱えなかった。中学くらいまでは誰かが、私のアイロンがけを見ていられなくてかけてくれた。もちろん、ミシンもそうだ。手縫い以外は誰かがしてくれた。高校になって、アイロンをかけていると母が見かねて「アイロンにかけられる服の身になってかけなさい。それじゃ、洋服がかわいそうでしょう」と言った。ゴシゴシと服の上をアイロンを動かしている感じだ。社会人になって弟と暮らしているときは、アイロンがけは弟の仕事だった。というよりは、やはり、任せておけなかったのだろう。弟は、のりをつけたシーツまでアイロンをかけた。これは今も私の習慣になっている。

 「洋服の身になってかけなさい」という母の言葉が、いまとても大事に思える。最近少しだけ相手の身になって話が出来るようになった。自分の物差しだけで、ことをしなくなった。自分の物差しを押し付けられないことを知った。そして、日常のことは、そんなに目くじらを立てるほどことは何もないと思う。なんでも自分と同じやリ方でないと気がすまない人が多い。生き方もそうだ。私があるということは、相手もあるということだ。その何処まで寄り添っていけるか。だから、まず寄り添ってみる(受け入れてみる)ことだと思うようになった。

 最近は、なかなかアイロンがけがうまくなった。

 

 
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 あなたの意に添って

2017-08-26 22:41:30 | 日記
 ほんの少し空が高くなって、うろこ雲があった。それでも室温が29度を越えると暑い。高温注意報がでると母のことが気になるが、今日は40度あった とエアコンを使いこなしているらしい。まだ、一緒にいないほうが母はマイペースで過ごしているようだ。こちらが覚悟さえすれば、そのほうがいいのだろう。
 親しい友達と話したかった先週のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の直虎の選択については、誰にも話せなかった。つまらないことかもしれないが、私は1週間何度も考えた。相手は望んでいないのに、私は自分が犠牲になることでことを解決してきた。(ようだ)直虎のように相手を槍で突くことはできそうにない と思っていた。山中湖で、教会のこと等いろいろ分かち合った。本当に相手の気持ちを受け取ったら、その気持ちどおりにするのが「あい」のような気がした。よかれと思ってしていることも「ひとりよがり」のことが多い。相手に気持ちに寄り添って生きる、それが一番大事なことのように思う。だから、自らの命を賭けて、ことをなした人がいたら、私はそれに応えて槍で突くことも出来るような気がした。どんなにつらくても。
 山中湖の帰りに、道の駅で求めたミズヒキやフジバカマなど秋の花が玄関で楚々と咲いている。静かに燃える秋になるようだ。
 
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 近頃都に流行るもの

2017-08-25 20:43:03 | 日記
 山中湖から帰るととたんに暑さの来襲。朝から29度を越えています。特に今朝は暑さが応えます。3日分の洗濯やら宅配便の受取などで午前中はあっという間に過ぎて、午後はマッサージに行くと1日が終わりました。今夜は平塚の花火大会です。

 駅で浴衣姿のカップルが多かったです。女の子の浴衣姿だけでなく、男の子の浴衣姿も増えました。美容室も混んでいました。しかし、一応着付けの先生としては、きれいに着こなしている女の子は5人に一人。丈がつんつるてん、お子さまではないのですよ。浴衣はきちんと着ないとだらしなく見えます。身を落とした遊女のようです。男の子はまずほとんどがうまく着ていません。与太郎が着物を着ている感じです。(与太郎さん、ごめんなさい)今度は丈が長かったり、身幅が広かったりで浴衣が歩いているようです。これが東京近郊の浴衣姿のようです。

 京の祇園祭のときにも浴衣姿の若い子たちがいます。浴衣もそれぞれ個性的で、きちんと着ています。問題の歩き方も美しいです。やはり、伝統の違いでしょうか。うるさいおばさんとしては、遊女崩れと与太郎さんが、コンビニで買ったカレーパンなどを食べながら歩くのは目を覆いたくなるのです。どうせ着るならマナーも美しく。夏の終わりを飾る花火が泣いています。

 
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 あせらずに

2017-08-21 22:36:02 | 日記
 明日からお友達の山中湖の別荘へ。去年は、目の手術でそれどころではなかった。今年は2泊3日。のんびりできる。温泉と読書の予定だが、温泉と昼寝になりそうだ。本は睡眠薬だろう。

 子供のようにルンルンしている。最後のお仕事アイロン掛けが終わり、出かける前にやることが予定通り終了した。とくに冊子の「いのち」は終わらないかもしれないと思ったいたが、発送と配信まで終わった。

 あせらなくなった。行き詰ったときは、散歩や買い物など外へ出かけるようにしている。そして、これが少し遅れたところで、なにが起こるだろうかと考える。ものごとはのんびり構えるに限る と思うようになった。じっとしていると、向こうから解決策がやってくる。先回りして、あれこれしていたのがいけなかった気がする。案外、心配するようなことは起こらない。起こっても「なんとかなる」と思うようになった。先のことを案じたところで、そのときにならないとわからないことのほうが多い。ならば、目の前のことを粛々とこなしていくしかない。無い頭を先回りしてフル回転させたところでどうなるものでもない。 最近は、じっとしてもがかず、「たなぼた」という感じだ。

 人生、あせっても行き着くところはそう差が無い。もがいて、自分で自分の首を絞めないことだと思うようになった。明日は、富士が目の前に見える。さらに気持ちがゆったりするだろう。

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