昨夜、都内の友人からの電話でトイレットペーパーも食品(主に卵や納豆とレトルト)もスーパーにない という。トイレットペーパーは不安だろうと送料もかかる高いトイレットペーパーだが食品も一緒に送った。コロナウイルスの現実は厳しい。教会の長老たちが「死ぬならコロナ肺炎がいいわ。入院して重症になれば2日もあれば天国に行ける」と冗談を言っていた。冗談でないことが起こった。志村けんさんが大きなメッセージを残して亡くなられた。また、今日も同じメンバーが集まったので、教会で志村さんのご冥福を祈り、軽々しくものをいうものではない と反省した。
昨日、メンバーの一人がパリで買ったという45万円したオーストリッチのバックを売りたいという。その保存状態から3000円でもどうか?とほかの人は言っていた。うまく売れたらみんなの食事代にという。「確かにいい品物ですが、うちの店としては値段がつけられません」と言われた。「1000円にもならへんの?」と彼女。
いくらいいものであっても、店としては(商品としては)価値がない、ということだろう。「これでほかのものも全部捨てられるわ。明日は全部ごみや!」と彼女。ご主人、ご主人のご両親と見送ったあと、海外旅行を楽しんだらしい。出かけたのは23か国とかいう。それで十分ではないか!私なんてどこへも行っていない。
今日も最後は3人で琵琶湖を眺めながらコーヒーを飲んだ。一人はオーストリッチのバックの夢も消えすっきり、一人は家の名義を自分にすることで安心満足、なにか不思議な2日間だった。ものなんてあってもなくても同じかな。