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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ときには

2014-01-30 23:43:18 | 日記
 分刻みのスケジュールがさすがに年を取ると辛い。食事を作る時間も食べる時間も制約され、ごみでは死なないというけれど、いやはやそれも限度あり。ゆっくりしたい、これが終わったら、山でも見ながら温泉に入りたい なんて思う。くたくたで目覚ましをセットして、床につく。そんなとき、疲れたぁ といえる大きな胸が欲しい。その温かさのなかで眠れたら・・・。

そういう幸せってあったなぁ と思い出す。ただ大事にされている というそんな満足感で充分。なんて思うのも疲れているのかな。おやすみなさい。

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知る権利

2014-01-26 22:42:49 | 日記
 春のような陽射しと春の香りのする風の吹いた日もありましたね。寒暖の差に体が悲鳴を上げています。ぶろぐに書いた「小さいおうち」を読みました。細やかなタッチのなかなかやさしいようで難しい面白い物語でした。あれが当時の生活としたら、多くの人は何も知らずに淡々と毎日を送っていたのですね。教会でお会いする80代の女性たちも、食料がなくても、そのようなものなのだ と暮らしていたそうです。戦争についてはほとんど情報はなかったそうです。そして、ある日突然価値観が崩れていった ということでした。先日、福島を訪ねた時も、原発の爆発直後はほとんど状況を知らせれず、4.8ミリシーベルトくらいの時に水をもらいに毎日出かけていた ということでした。しかし、一部の医療関係者や自衛隊には情報が流れていたそうです。おおよそのことが明らかになったのは約1か月ごとか。怖いことですね。洩らされてはいけないことが漏れてしまい、知らされなくてはいけないことが包み隠される。「秘密保護法案」とやらでますます霧の中が増えるのでしょう。情報過多の時代に改めて「知る権利」を考えさせられました。

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雪景色

2014-01-19 22:07:02 | 日記
ジュニアサッカーの取材で福島に出かけました。土曜日(1/18)の夜、東京を「はやて」で福島へ。新幹線でも北へ旅立つのは、南へ旅に出るよりも「旅情」があるようです。夜10時福島へ着くと小雪が舞っていました。ホテルで見たNHK「SONGS」に南こうせつと伊勢正三が「ひめ風」として出ていました。「神田川」や「なごり雪」はあの時代を生きたものには、胸に込み上げてくるものがあります。『動き始めた 汽車の窓に 顔つけて 君はなにか 言おうとしていた 君の唇が 「さようなら」と動くことが こわくて 下を見ていた・・・」 この歌詞は今のように携帯メールなどがある時代にはできないだろうと こうせつが言っていました。「時」が詩的に流れたていた というが、まさにそんな時代でした。恋に詩があった。だから引きずってしまうのだろうか。翌日曜日も雪が舞い散っていました。心が少女のように弾みました。

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本田圭介 (2)

2014-01-16 22:34:05 | 日記
 世界中で話題の圭介になった。水を得た魚のように、そして以前からミランにいたかのようにプレーをしている。たしかにすごい と思う。でも、なぜか覚めていくものがある。自信に満ちた圭介。完成品になったようだ。でも、個人的な好みからすると、荒削りのちょっと不安をもっていた頃の圭介がいいような気がする。どこかになにか欠けているという魅力があった。人とは我がままなものだと思うが、どうも完成されたようなものは私はダメらしい。おしゃれもそうだ という人がいた。知らない人も多いかもしれないが、ダンディの代名詞のような岡田真澄は、靴下をわざと?右左違うもの履いていたり、穴のあいていたものを履いていたという。急いで会いに飛んできてセーターを裏返しに着てきた男は、やはり愛すべき男のように思う。圭介も真丸いメガネでもかけてみたらどうだろうか。

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小さいおうち

2014-01-12 21:56:56 | 日記
 朝のTV番組で山田洋次監督が新作映画「小さいおうち」について語っていた。初めて作る恋愛映画だという。昭和10年代のごく普通の家族を通して戦争というものを伝えていこう ということを言われていた。そのなかで「僕たちは高度成長の戦後において、なにかちまちまとした家族の幸福を軽く見て、ただ経済的な豊かさだけを追い続けたきたと思うんですよ。そういうちまちましたものを馬鹿にしていたところもあった。でも今、そういうものを見直さなくてはならない時期にきているように思うんです。」と語られていた。昨年の暮れに京都の町はずれを歩いて思いました。マンションの暮らしは便利だけど、音がない、匂いがない、色もない、生活というもののぬくもりがない。朱鷺色、山吹色、群青色、鶸色、など日常の言葉にも色が豊かだった。母がこんなことを語ってくれた。前の家に3人男兄弟がいて、長男が何となく気になっていた。どうのこうのではないけど、朝雨戸を開けた時、向こうの家もその人が雨戸を開けていて、挨拶をしたことが1日の始まりで嬉しかったと。これはやはり木の雨戸、そして軒のある作りの家でないと情緒がないような気がする。昭和の小さいお家にはこんなお話があったのかも知れませんね。


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