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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

鬼嫁 鬼婆

2016-06-30 22:22:23 | 日記
 6月も終わり。夕方に散歩に出かける。近くの総合公園へ。緑の中を歩く。幸せな時間だ。若者がボールを広場で蹴っていた。ただ夢中に。なにかあったの?

 どうして鬼婆と鬼嫁はいるのに、鬼ジジイと鬼婿はいないのだろうか?男性が言った言葉が鬼婆と鬼嫁。女は鬼ジジイとか鬼婿とは言わないから?いや、違うなぁ。男は鬼にはなれないと思う。世には私には信じられないような女の人がいる。どうしてそんなことご主人にできるの! とびっくりする。きっと惚れられて口説かれて結婚してあげた という女性なのだろうな。立場が優位なのだろう。うらやましい。でも、男とはこの上もなく寛容だ。ぶつぶつ文句を言っていてもそれにじっと耐えている。本能なのか?男性はいやなことはすぐに忘れてしまいしつこく思わないと聞いたこともある。一歩外に出れば、忘れてしまうのだろうか。

 夕飯の準備をしていると電話が鳴った。やり切れぬ心中を語って元気な声になってほっとしたのか電話を切られた。男はいつも辛いのだろうなぁ。一人静かに酒を飲むだけなのだろうか。いいのよ、いつ電話してきても。男の気持ちがわかるということは不幸なのだろうなぁ。

 

 
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夏椿

2016-06-29 20:01:33 | 日記
 雨空が続きます。平塚では七夕の飾りつけが始まりました。子供の頃は、祖父が切ってくれた竹に飾りつけをしたものですが、今と違い紙の飾り物ばかりだったので、雨が降ると急いで竹を部屋に取りこんだものでした。

 仕事が一段落して、身体のメンテナンスに出かけました。こんなに疲れてたのかとびっくり!家に帰って、ソファーで横になると眠っていました。いや、半分は記憶があるのです。来生たかおの歌が時々聞こえるのです。心地よい時間に「あなたのこころに住んでいる人がいることはしっているけど・・・」そんな歌詞が甘い声で流れてきます。

 もう時効となるような、夢の中のような恋のセリフ。若い恋人はお別れのときに「半分でもあなたの心に住めたことは忘れません」と低い声で言い残しました。夜桜を見ながらなんとも甘く切ない時間でした。

 夢か現か、そんな境の出来事のような恋はもうないのでしょうね。今年は七夕の飾りつけでも致しましょう。

 
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サッカー雑感

2016-06-27 19:36:28 | 日記
 友達の会社の決算が出来上がった。1年に1回のことなので、決算書ができるまでは、緊張が続く。やっと開放されそうだ。その前は草サッカー関連の仕事?その時は、頭がサッカーだった。いずれにしても余白が欲しい。

 J1では、鹿島アントラーズが1stステージで優勝した。優勝した夜のNHKで、植田にトロフィーは小笠原が熊本に向けて掲げるように指示したという。小笠原もいい選手(大人)になったなぁ と思った。怪我もあったし、問題行動で代表を外れることもあった。東北の地震後の支援活動は頭が下がる。そんな折に、フロンターレの試合で中村憲吾を見た。やはりいい味を出していた。

 ある会合でドイツとブラジルのサッカーの現状の話を聞いた。徹底した育成システムがドイツには合うのだろうが、ブラジルには合わない、などの話になった。では、日本代表には誰が監督がいいのか?となったとき、トルシエという意見と岡田だという意見があった。

 岡田が監督だった南アのW杯のメンバーを見ると、遠藤保仁、中村俊輔、大久保嘉人、中澤佑二、駒野友一、長谷部、阿部、そして本田が入っていた。技術的なことはわからないが、なにか妙にほっとするメンバーだ。やはり、岡田というのはなにか持っている気がする。プロの世界だから、おもしろさなどとは言えないのだろうが、味のあるサッカーもいいものだと思うこともある。

 

 
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むなしさのすべて

2016-06-25 21:29:31 | 日記
 6月も終わりに近づいた。あっという間に半年が過ぎる。1年1年、月日の経つのが早くなる。残されて時間はどれほどあるのだろうか。

 入院中の母は童女のように過ごしている。「むなしさ」を微塵も感じることがないようだ。物理的なものを有することのむなしさ、精神的なものを失うことのむなしさ。そんなさまざまなむなしさと共に生きてきた気がする。共に築いてきた家もそれが崩れた時、空になった部屋に取り残されたむなしさ。どうしたら別れることができようか と思った愛も崩れゆく時のむなしさ。「いのち」というもののむなしさ。

 楽園の悦びを知ったものだけが失楽園の悲しみをより深く知る という言葉があった。でも、その逆もあるような気がする。味わったむなしさ以上の悦びを感じることができる。

宇野千代デザインのさくらのパジャマを着ていて嬉しそうにしていた母。悦びとはそんななかにあるような気もする。小さな小さな花が集まって心を満たしくれる気がする。むなしさを耐えたことは悦びに生きることに転換したのではないだろうか。

 

 
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寄りかかって

2016-06-23 21:12:06 | 日記
 震災の後の熊本が今度は水害。地震はどうしようもないが、集中豪雨は、温暖化などの影響もあるようだ。湘南も午前中は激しい雨で、午後は暑いくらいに晴れた。

 母の退院が決まった。圧迫骨折で入院以前よりも歩けるようになり、生活習慣もきちんとしてきた。手先が器用なので七夕の飾りを作ったり、短冊に字を書いたりして活躍している。リハビリ病棟での毎日の人との係わりがよかったらしい。リハビリも厳しかったのがよかったのだろう。介護の人たちの連携のよさはすばらしい。今日は退院後の生活についての打合せ。小規模多機能型の施設に通うようになる。自分の身体を優先に考えると、母の介護はできない。無理はしなかった。

 前にぶろぐに書いた茨木のり子さんは「倚るりかからずに」のなかで「倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ」といったが、私は遠慮なく周りの人に寄りかかっている。一人に知恵などは(力)などたかが知れている。信頼できる人に自分を託す そんな生き方を今は大事にしている。

 
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