年々、帽子や手袋などで紫外線対策をしている人が増えているようです。年のせいかシミが増えてきました。あまり効かないといわれてもやはりホワイトニング化粧品を使いだします。気持ちシミが薄くなったと思ったら、顔全体が日に焼けたようです。ここ2年くらい屋外でのサッカーの取材が増えたためか、涼風が吹き出す頃には「どうしましょう」という感じです。でも、このサッカーの取材は止めるわけにはいかないので、半分諦めています。そんなときに思い出すのが向田邦子の「幸福」の出てくる言葉です。『素顔の幸福はしみもあれば涙の痕もあります。思いがけない片隅に、不幸のなかに転がっています。屑ダイヤより小さいそれに気がついて掌にすくい上げることのできる人を、幸福というのかもしれません』このシミは大事にすくいあげた素顔の幸せの証しかもしれません。
男はロマンを持って生まれ、女はそろばんを持って生まれてきたのではないかと思うことが多いこの頃です。先日のシニアのサッカー大会で、相手とぶつかって倒れ脳シントウを起こされた方がいました。幸い意識が戻られ、病院へ救急車で行かれました。そのチームの方たちが、だれが付き添って病院へいくのか など話していました。家族に知らせる話になり、「急に俺たちが電話したらすごく奥さんはびっくりするから、落ち着いてから本人に電話させた方がいいな。その方が安心するだろう」という意見がほとんどで、家族構成などを考えながら「もし、奥さんが病院へ行くことになったら、足がないだろうから車で連れて行ってあげればいいよ。」ということになったようです。すぐに奥さんに電話 と私などは思うのですが、確かにご本人の声を聞いた方が奥さんも安心しますね。「何で早く言わなかったの。心配するじゃない」というのは女性。男性はここでなにもいい訳をしないのですよね。そういうこと多いのでしょうね。あのとき黙っていたのは、相手を思うと言えなかったのだなぁ と思うことばかりです。それをずるいと思うか、やさしさととるのか ですね。
雨に濡れた紫陽花はやはり趣があるものですね。仕事に出かける折に見る電車の中刷り広告にJTの缶コーヒーのものがあります。『最高だと思った』 『再考だと言われた』 それでも前を向く。 『運命の人に出会った』 『彼女が』 それでも前を向く。 などなど。こじゃれたコピーが大好きです。私も「それでも前を向いてきたなぁ 」と思うこのごろです。よく生き抜いた と思います。『ソウルメイト』という言葉を聞いたのは、田辺元と野上弥生子の関係が『ソウルメイト』と書かれていた時でした。「魂の友」、いい言葉だと思いました。ソウルの深い所でつながっていることができる。「生きること」の根源を共に見つめることができる。そんなことばかりでなく、誰にも言えないような愚痴も言える。それはどこにも形として表わされたものではないのですが、お互いに何かの確信がある。一人暮らしで「これうまいなぁ・・」というような日常会話もほしいなぁ と思う年になりました。でも、どうもこの魂を掴まえてくれる「ソウルメイト」の存在が大きすぎるような気がします。(頂いた貴重な写真はブータンの寺院だそうです)
空梅雨ですね。紫陽花を見に出かけましたが、雨に打たれないときれいな色はでないようです。湘南平塚は小田原が近いのでこの時期には梅が安く出回ります。ホームセンターなどで梅酒の瓶や梅干し用のざるなどが売られています。我が家にもいつ漬けたのか誰のためにつけたのかわからない梅ブランデーがあります。自分で飲むことはないので、もっぱらブランデーケーキに気前よく振りかけています。(おいいしですよ)『四季の保存食』という手作りの保存食の本を頂いてからずっとその季節になるとなにか漬けたりしています。今年は梅酢にしました。あとは赤ジソのジュースでしょうか。こんな手仕事をすると祖父母の生活が思い出されます。四季折々の行事にはお金を惜しまなかった祖父母の暮らしは、私に大切なものを残してくれたように思います。花を愛でること、季節の食材を料理すること、ゆたかな気持ちを残してくれました。(写真は一番きれいだった紫陽花です)
代表戦も近いですね。5/31のキリンチャレンジカップを見終わって、2006年6月のW杯(ドイツ)ブラジル戦を思い出しました。最後まで走り切って力尽きて倒れた中田英寿。
センターサークルで仰向けに倒れ込んでいたあの姿。今の代表に英がいたらもう少し生きやすかったような気もします。あのとき、そんな英に近寄ったのは中澤佑二だけでした。英も好きでしたが、当時キャプテンマークをつけて、まとまらないメンバーをなんとかまとめていた印象が中澤にありました。個人的には中澤の男臭さが大好きでした。
5/3に久しぶりに見た中澤は体の切れが以前ほどではありませんでしたが、やはりその存在感は大でした。「男というものは」を前回書きましたが、最後の時(大事な時に)に逃げることなく、その責任をとれる男は少ない。どんなに偉そうなことを言っても、いざとなると知らん顔しておめおめ逃げ出す男が大半です。私の愛する者が、そういう人でなかったことを誇りに思います。
センターサークルで仰向けに倒れ込んでいたあの姿。今の代表に英がいたらもう少し生きやすかったような気もします。あのとき、そんな英に近寄ったのは中澤佑二だけでした。英も好きでしたが、当時キャプテンマークをつけて、まとまらないメンバーをなんとかまとめていた印象が中澤にありました。個人的には中澤の男臭さが大好きでした。
5/3に久しぶりに見た中澤は体の切れが以前ほどではありませんでしたが、やはりその存在感は大でした。「男というものは」を前回書きましたが、最後の時(大事な時に)に逃げることなく、その責任をとれる男は少ない。どんなに偉そうなことを言っても、いざとなると知らん顔しておめおめ逃げ出す男が大半です。私の愛する者が、そういう人でなかったことを誇りに思います。