電車の中づり広告に「ヒゲの脱毛」というのがありました。この時期確かに脱毛はCMになるのですが・・・。すね毛の脱毛や腕の脱毛は聞いていましたが、「ひげですか?」でした。おばさんには微妙ですね。あれは誰の詩でしたでしょうか?ひげを剃る息子の背中を見ている父親の心境を書いた詩です。大人へ成長していく中での大事な儀式のような気がして読みました。朝の鏡に映るひげを剃る男の姿。毎朝のその儀式は男だけのものだった。肌が弱く毎朝血まみれになっていたもと夫を思い出すと、それは便利なのかな とも思う。でもね、なにかしっくりしないのです。昔、恋をしたことのある女ならわかるのではないかな、その違和感を。胸毛もそうだし、そこには思い出があるでしょう。あのYシャツから見えたショーン・コネリーの胸毛のように。無精ひげも男の魅力だった気がする。やはりおばさんなのだなぁ。でもね、ネコのひげを切るような気もするのでが・・・・。ニャン。
梅雨入りで部屋の中がなにかさっぱりしない。珍しく朝から掃除と洗濯。レースのカーテンを洗濯したら、気持がいい。土曜の夜はNHK村上龍原作ドラマ55歳からのハローライフ。今回は「ペットロス」。風吹ジュン、世良公則と昔のアイドルが中年になっていい味を出している。風吹ジュン演じる妻の夫の不器用さがいい。男の不器用さの最大公約数のようだ。自分の妻を褒めたいのに友人の妻を褒めてしまう。いたわりの言葉をかけたいのにうまく言えない。そいいう男の不器用さに気づけるようになった。なんともいとおしく思える。思い出すと、その不器用さに気付かずに相手を傷つけてしまったこと多かった。今はそんな不器用さにうまく応えることもできるようになった。でも、愛すべきもう一つの男のいとおしさがある。少年のようにストレートに走ってくるかわいさだろうか。なかなかこういうにストレートな表現を出来る男は少ない。ちゃんと伝えられる男というのか。こちらは少女のようにはにかむしかない。どちらも愛すべき男たちである。(写真は林檎の実のなるレストラン)
暑さのせいかだるくてたまらない。疲れた。体力も気力も落ちてきた。転んで、その上をトラックが通り過ぎていったような状況でも、立ち上がれたのは若さだったのだろうか。あの頃は藁をも掴んで立ち上がった。帰る場所もなく否応なしに生活がのしかかっていたからだろうか。今思うとそれはただ我慢がなかっただけのような気がする。自分の足で歩くというその基本通りに生きればよかったのではないだろうか。それは実に確実で間違いがない。歩けないなら歩けるようになるまで体を休めればよかったのだ。高村光太郎の詩「傷をなめる獅子」のように、やさしい雌獅子の帰りを待てばよかったのではないだろうか。そんなことがやっとわかった。長い長い放蕩息子(娘)の旅だった。それがいまの疲れの原因かもしれない。
W杯、コートジボアール戦。私は前半だけ見て出かけた。本田のゴールを突き刺すようなシュートの印象だけが残っている。ネットでサッカーキングを見ていた。中田が引退の本当の理由を明かしている。。「僕にとってサッカーは人生であり、家族のようなものでもあります。楽しくてやっていたはずのサッカーを楽しめなくなってしまった。それが自分の人生に対する裏切りだと感じたんです。だから、自分に嘘をついてまで続けたくなかった」 と。英らしいと思った。当時英にメールを送った。「夢を追いかけて 永遠の旅人へ」とタイトルで。偶然か、英は世界へ旅立った。楽しいためには夢と希望が必要だ。どんな小さな夢でも。私は英のコメントを読んで、何故英が好きだったかわかった。私も自分の人生に嘘をつけない人間だった。どんなにわがままだと言われても、自分の心に嘘はつけなかった。
思い出のグリーグラスの歌の話をするつもりではないのですが、W杯のことを思い出していたらそんなタイトルが浮かびました。ドイツの大会を思い出すことが多いです。競技場の印象でしょうか。試合も印象に残っています。人生の中には妙に印象に残っているものがあるようです。特に楽しかった(嬉しかった)ことの思い出には、その人の価値観があるとか 聞いたことがあります。試合に勝ったことが一番うれしかったこと と言った人がいました。今までよく理解できなかったのですが、彼女は一番になることに価値観があったらしいです。私が楽しかったと思うことは、自然のなかで遊んでいるときです。自然との一体感というのか。草の香り、木々の香り、土のにおい、風の香り、そんな自然に包まれていることを一番思い出します。草サッカーのピッチにいるとそんなものを感じます。天然芝の上に手を置くと土の温かみが伝わります。ブラジルの大会に燃えないのはそういうものがあまりないからなのかもしれません。サッカーはやはり紳士のスポーツなのでしょうね。