梅雨といってもじとじとした日は少なく、集中豪雨のような雨と蒸し暑い晴れの日が続く。何月だか季節感がない。NHKの今の朝ドラは学芸会のようであまり好きではないが、田中裕子の演技がいい。心の中に好きな人がいるのに、ほかの人も好きになってしまう。よくある話だが、田中裕子演じる主人公の祖母が言うと、なんとも言えぬ説得力がある。だれの心にもそんなどろどろしたものがあるが、それは消さずに誰にも内緒に、心の中にしまって生きるのがいい と言う。とても憧れの好きな人がいる。その人とはとうてい結ばれることはできないので、その人の友達と結婚すれば、ずっとあこがれの人と会うことがでる、そんなことを考えるのだ。「女性は2番目に好きな人と結婚すると幸せになれる」と言うセリフもあった。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。心の中にしまったものが、いつかメッキがはげるように表に出てきそうだ。いや、私の場合は出てくるのだ。いいのか、悪いのかわからないし、そういうものでもないのだろうがなにか正直は不幸なような気がする。
ここのところ、局地的な大雨がある。たまたま、外出先で大雨にあった。30分も電車に乗っているとうそのような青空になった。いったいあの雨は何だったのだろうか と思う。人生で突然予想もしない出来ごとに遇うことがある。まさか、まさか そんなことということが起こって自分でもどう処したらいいのか戸惑うことがある。そう、思いもよらない恋なんて。この年になると、どうしたの?どうしたの?ちょっと頭を冷やしなさいよ、ということができる。そのうち止むわ、と思った雨が止まない・・。そんなときはちょっと雨宿り。じっとしていれば止まない雨はない。走りだしてはダメよ、じっとしているのよ・・・。
先日、久しぶりに代表戦を横浜スタジアムで見ました。若い人が多く、ユニフォーム姿の人も増えました。席もいい席でしたので、ハリル監督や選手の表情がよく見えました。ハリル監督と選手の話しているのをみると、親父と息子という感じで、いい感じです。本田の笑顔も増えたようです。前半の終了後、本田がユニフォームを脱いでイラクの選手に。みましたね、鍛えられた肉体を。さすが という感じでした。先週の土曜、日曜日は掛川で行われたシニアの大会へ取材。隣のグラウンドでは野球とソフトボールの試合でした。ああ、やっぱりサッカーがいいなぁ と思いました。ベンチで応援していると、サッカーが好きなんだ! と思います。理由はわかりません。理屈ではなく、11人で攻めていくのがいいのかな とこの頃思います。11人という数字には、これという根拠がないとか。この11人に惹かれる理由を探ってみようかと思います。
梅雨入りしたところもあるようでですが、晴れの日は夏日のようで、なにか気象の異常を感じます。梅の実も出はじめました。梅仕事の時期です。今年は梅酢を作ろうと思います。
このぶろぐをぬくもりと名付けて、ぬくもりを届けたいと メッセージをだしましたが、今思うと、ぬくもりが欲しかったのは私ではないかと思います。昨夜のTVドラマで、「女には一生忘れられないキスと一生思い出したくないキスの2つがある」というセリフを聞きました。そうかー と思いました。一生忘れられないぬくもりもあるのかもしれませんね。言葉のぬくもりかもしれないし、手のぬくもりかもしれません。背中が寒い日はそっと後ろから温めてくれるぬくもりが欲しいのかもしれません。
このぶろぐをぬくもりと名付けて、ぬくもりを届けたいと メッセージをだしましたが、今思うと、ぬくもりが欲しかったのは私ではないかと思います。昨夜のTVドラマで、「女には一生忘れられないキスと一生思い出したくないキスの2つがある」というセリフを聞きました。そうかー と思いました。一生忘れられないぬくもりもあるのかもしれませんね。言葉のぬくもりかもしれないし、手のぬくもりかもしれません。背中が寒い日はそっと後ろから温めてくれるぬくもりが欲しいのかもしれません。
爽やかな初夏の風が窓から入ってくる。その風に乗って、「よさこい踊り」とかの音楽が聞こえてくる。肉体の記憶には、中学生の頃の踊った盆踊りやフォークダンスの踊りがある。音楽を聞くと思い出す。匂いの記憶は、伊集院静が短編に書いていた。生々しいエロスの世界の肉体の記憶は映画「愛の嵐」にあった。30代の頃見た映画なので、肉体の記憶という面では理解できた気もする。体が覚えていることはある。交通事故にあったときは、疲れきっていて入院したいと思うほどだった。それが現実となり、皮肉にもベッドの上で休めることになった。そんな話をすると「ずっと働きづめだったんですね」と言ってくれた人がいた。なにかその言葉がうれしかった。まだ週休2日が世間に広まっていない頃、私は土曜日も休みの会社にいた。それでも土日は、着物教室を開いていた。結婚しているときも、ゆっくり家で座っている時はなかった。それが私のとっては当たり前のことで過ぎてきた。それが体に染みついている。だから、今のこの休めるという環境に身体が馴染まない。動けないということに罪の意識さえでる。夏の日の高原の爽やかな風のなかでけだるさのなかでまどろんだ日を思い出した。そんな風に時間にすべてを任せて身体を横たえるのもいいのかもしれない。肉体の記憶とは不思議なものだ。