冷たい雨の日になった。長浜に越す前に消化器内科の薬をもらいにいった。ここ2年くらい、食事に注意をして過ごしたら、血液検査の結果もよくなった。「口からはいるもの以外で身体はできない」という言葉のとおりだ。予想よりも早く病院が済んで帰宅すると、都内よりも平塚は寒かった。人通りも少ない。ああ、明日は2月だ。暦の上では春になる・・・・。
「冷たい雨」という歌があった。ファイファイセットが歌っていたような気がする。許してもらえると思って部屋に戻ると、彼の靴と赤い靴があった・・・というような悲しい歌詞だった。さすがにそういう経験はないなぁ。合鍵があって開けたらそうだったのか なんて想像する。急いでドアを閉めて外へ飛び出すのか?赤い靴を部屋に投げ込むのか?飛び出して追いかけてこない彼に「別れ」を決意するのか?もうつらい思いの歌は聞きたくない。ハッピーがいい。
それよりも想像力の欠如(全て他人事)か、小4の女の子の虐待のニュースには心が痛む。TVで会見を見ていると、さらに腹が立つ。NPOのことで神奈川県とやりとりしたときに思ったのは、出来事を記したものがただ紙でしかないということだった。ただ紙を見ていることからは対応なんて生まれない。紙に書かれたことから何を想像するかだろう。これは危機的な状況だ、それではなんとしても話を聞かなくては・・・ という想像力がない。そういう義務感もない。これをお役所仕事とは片付けられない。世の中がそういう傾向にあるのだろう。相手の状況を思いやるこころは消えてしまうのだろうか。
そんな日の雨はさらに冷たい。悲しむように降っている。ちょっと悲しい思い出も甦る。さびしい夜もある。