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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

あはれ

2016-10-28 23:01:56 | 日記
 時雨のような雨だ。寒い日だった。街路樹も少しだけ紅葉してきた。交通事故の慰謝料の裁判の関係で弁護士さんのところへ出かけた。エネルギッシュな先生だ。

 逸失利益という項目が争点になるらしい。収入やらが問題になる。この年なら、キャリアがある人ならともかく、働く女性は少ないのだろう。ごく普通の感覚なら、孫守りをしててのんびりしているだろう。働かなくては生計は維持できず、まだ働かなくてはならない。弁護士さんと話していると、「あはれ」という言葉が浮かんでくる。古語のあはれでなく、現代語の哀れだ。数字上もおかれた環境もまさに哀れだ。

 古典の「おかし」と「あはれ」は美的感動を表す言葉。「おかし」は明るい感動で「あはれ」は哀調をあらわすという。私の生活は「あはれ」なのか・・・。さまざまなあはれがある。平和そうな暮らしの中にも。見てはいけない心の「あはれ」を感じてしまった。誰の心にもある「あはれ」。小刻みに揺れるこころを抱きしめられたら。

 
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秋の夜長は

2016-10-26 21:50:37 | 日記
 冬が近いのを思わせる陽気から半そででも汗ばむ陽気へ。思わず暦をみる。もうすぐ11月。夜が長くなった。

 久しぶりに腰痛の治療に行った。さほどひどくならなかったので珍しく1週間以上通わなかった。背中から首が凝っているという。そうか、これで眠れなかったり、頭痛がしたのだ。その後、都内は出かける電車のなかで熟睡した。固まっていた身体の緊張が取れた感じだ。1年半以上治療をしてくれる柔道整体師さんがいるので身体のメンテナンスは安心して任せている

 眠れない夜が続いていた。秋の夜は長い。昼間は感じないさびしさが忍び寄ってくる。いままであまり感じなかったさびしさだ。何かが足りない。昨日までいた猫が帰ってこなくなったような・・・。帰ってくるのか不安になるようなさびしさ。眼が覚めても、本を読むこともできない。パソコンを開けてメールをあけてみる。

 しばらくじっと時間の過ぎるのを待つとやがて眠りに就く。布団のあたたかさが猫が帰ってきたような気分にさせてくれる。朝日が差し込めばさびしさは消えるだろう。

 
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親孝行

2016-10-25 09:24:59 | 日記
 朝になると掛け布団がもう1枚欲しくなる。秋らしくなってきた。夕暮れも早くなると、物寂しくなる、カレンダーもあと2枚。

 先週の土曜日の新聞の人生相談に「生活が苦しくて親孝行できない」と50歳を超えた女性からの相談が載っていました。ご夫婦ともに大学院まででて、大学の非常勤講師として生計を立てていて、親に経済的な心配をかけることを心苦しく思っています。「親孝行」という言葉は、私も何も出来ずにきた、むしろ親不孝を散々してきた、自分を責める言葉です。経済的に恵まれているときは、忙しすぎて父の看病は母に任せるだけ。期待を散々裏切り続けてきた気がします。いまも、90歳近い母を一人暮らしさせています。自分の生活、とくに身体の状態を維持するとなると出来ることは、離れて介護保険を最大限に使うしかありません。

 この人生相談の回答者は「信頼に応え信じる道を生きて」で、三浦綾子が書いた『母』という小説を例に出していました。小林多喜二の母セキの話です。どこまでも息子を思い、多喜二を信じていきます。「たとえ不遇にあっても、決して気持ちを折らずに、ご両親の信頼に応えて信じる道が生きることが何よりの親孝行になると思います」

 この回答に少し救われました。意地を通した私の人生を、物忘れ外来に通う母は理解しているようにも思います。だから一人でがんばっていると思うと涙です。

 
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1%の女を生きて

2016-10-24 12:00:19 | 日記
 今年はカトリックでは「いつくしみの特別聖年」ということで、その祈りがあり、地区の教会をいくつか巡礼します。東京教区では6つあり、5つを廻り終えました。そこで気づくことも多くありました。昨日は西千葉の西千葉教会に参りました。

 「いつくしみ」と「ゆるし」はカトリック教徒だけでなく、多くの人が必要とするもののように思えます。(自分で気づいていなくても)自分が必要とされ、愛され、許されていると感じることが。

 戯れにした心理学のテストでは、私の心理は51%が女性で、49%が男性とか。(どこまでも戯れですよ)でも、なにか納得するのです。この1%の女性の部分が、私の喜びと悲しみをもたらしたのではと。ある意味ではバランスよく仕事をし家庭のこともこなしてきた。男社会もうまく生きてきた。でも、1%の部分で私は苦しんだ気がします。そして今も。それは「ゆるし」も「いつくしみ」も必要とするもののようです。

 この1%の部分が神との出会いに導き、なにかを越えて生きていける部分を作っていくのかもしれません。

 夕暮れの西千葉の教会で、静かに祈る時間。許しを請うてきました。

 

 
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掛け違えたボタン

2016-10-21 23:15:11 | 日記
 鳥取で震度6弱の地震があった。日本中どこでも地震が起こるようだ。地震は台風と違い予知できないだけ怖い。大阪堺で80歳以上のおじちゃんたちのサッカー大会があった。関東から行っていた87歳のおじちゃんから無事帰ったという電話があった。大会終了後すぐに岐路についたという。途中下車して一杯やっていた仲間は帰れたかと心配していた。

 1本後の新幹線だったら・・・。人生にはそんなことがある。わずかの差で思わぬ事故に遭ってしまうこともある。事故だけではない。ひとつずれると2度と戻らない掛け違えたボタンもある。それも運命なのだ と受け入れるしかない。1つ違って残ったボタンの穴はボタンを待っているのだろうか。私はそんなボタンの穴のような気がすることもある。それで決して不幸ではない と思う。

 年のせいかボタンを掛け違えたり、目も悪くなったせいか裏表が違っていることがある。はたと気がついて急いで着替えなおす。もっと年をとって目が見えなくなったら、そんなことも平気なるのかもしれない。掛け違いなんてたいしたことないさと。メロドラマを見た後は、こんなことを思う。

 

  
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