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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

大切な「その人」を思い出す方法

2024-01-31 21:09:48 | 日記

1月も終わり。もうすぐ暦の上では立春です。今日はやはり「春」を感じる日でしたね。元旦から1カ月。まだ、能登半島の被害状況はひどいままのです。輪島塗の職人さんが、仕事場と住居が一緒のビルが崩壊してしまい、避難して暮らしているそうです。1カ月たって避難先で目が覚めると、自分が今どこにいるかわらなくなると言っていました。何十年と歴史のある物が一瞬にして消えたしまった・・・。まだ、現実味がないそうです。

災害や突然の事故で誰かが亡くしてしまったときに(いやそうでなく覚悟ができていた時でも)、「ただいま」と帰ってくるような気がすると言われます。残されたものは、「どうして?どうして!」と何回も反芻するのでしょう。

今日、フェイスブックにあった記事です。ぶろぐのタイトルと同で、新聞への13歳の男の子の投稿です。一部略しながら、写していきます。

『13歳になる直前の5月、私は家族を亡くした。別れ以降、心配だった。大人になるにつれて、その人の口癖やしぐさ、愛情など忘れてしまうのではないか、と。写真を見て顔は思い出せるけれど、写真に収められないものはどうなってしまうのだろう。だが、至るところに「思い出す方法」はあふれていた。私の横顔やおちがなくくだらい話をするところは、その人に似ているらしい。(中略)その人が亡くなる時、私の口から出たのは「大好き」という言葉だった。「会いたい」と思うのは、その人と過ごした日々が幸せだったからだ。つまり、その人を思い出したいと思うことそのものが、「愛されていた」ことを思い出す方法なのだと気づいた。私に多くのことを考えさせてくれたその人。父をもう直接感じることはできないが、一生忘れることはないだろう。』

中学生の文章です。胸が熱くなりました。

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あいをどこに忘れてきたの?

2024-01-30 20:11:09 | 日記

このまま春になれいいのにと思うような日でした。帽子とマフラーという防寒具?をつけて外出すると汗ばんできました。そうだ、琵琶湖へ出かけよう!風もなく穏やかなので湖畔には散歩する人の姿もありました。雪が融けた地面からは、草が這い出していました。植物は早く春を感じるようです。琵琶湖畔のいつもの指定席へ。今日はセブンのおにぎりではなく、95円のソフトフランスパンと88円の野菜ジュースです。こんなお昼(家でまた何か食べますが)この特等席で食べると最高です。雪が降ったので増水していると思った琵琶湖は干上がっています。水鳥たちがすぐそばまで来て餌を食べています。(水草です)こののどかな風景。この風景がある限り私はここでで生きようと思うのです。

この国はどうしてしまったのかと思うような事件が起こります。(災害はどうしようもないですが)普通に考えて、いわゆるモラルというものがあれば、起こらないようなことが次々に起こっていますね。起こっていることを真摯に見つめると言っていますが・・・。

北欧のフィンランドとデンマークの学童クラブを視察した本を読みました。敗戦後、この国をどういう国にしていくかというスタート時点で日本とは違います。週に35時間以上働かず、家で家族との時間を大切にするそうです。(デンマーク)小さい時から、子供たちは家族と一緒に過ごす時間で様々なことを学んでいくそうです。それは夫婦でも同じだそうです。家事をしない男性には女性がしっかり教えこむとか。日本人の男性にはちょっと辛いでしょうね。私自身も目の前の家族との大事な心の交流を十分にできなかった気がします。それは恋愛においてもそうだったかもしれません。出逢った人との時間をもっと大切にすればよかったと思うのです。

琵琶湖畔で95円のパンをかじりながらも、とても幸せに思えます。それはここに深い愛があるからだと思うのです。ここまでたどり着くのに、子供のころから多くのひとから受けてきたたくさんの愛が。それをここに坐って感じられてよかったです。

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百恵ちゃんのように、目の前にあるものを大切に

2024-01-29 19:20:37 | 日記

午後から春のような暖かさになりました。2階にいると暖房は要りませんが、1階に降りると寒いこと!お日さまの有難さを感じます。今日は、どのネットを開けても、黒のタキシード姿の大谷選手が微笑んでいます。そして、どの報道も賛辞ばかりです。なんて紳士なのだろう!「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」というクラマーさんの言葉がありますが、ううん~。サッカー選手が何かの表彰で背広着ると、ユニフォームのほうがいいのにねになります。そして、いまひとつ紳士が少ないのはなぜでしょうか。

最期は自分の名前で迎えたかったという言葉に「いまさら何を!それならもっと前に罪を償うよう出てくればいのに」という人が多いですね。それは当然だと思うのですが、その気持ちだけはわかる気がします。(たとえ自分勝手でも)ふと、最期はどこで迎えたい?と自問しました。どこにいてもあなたはあなただと言われても、一番は生まれたところなのでしょうが、町は変わりその面影もありません。

この地来るには様々なことを考えて上でした。その方程式途中で少し変わりましたが、やはりこの地のような気がします。ここ1週間はのんびり暮らしていますし、3月まではゆっくりいているつもりです。そして、その先も。私の生活は休むことがなかったことに今頃気が付きました。そのゆっくりしたところで、「今あるものを大事にしよう」とつくづく思うのでした。リセット症候群という言葉あるように、私もリセット族だったのかもしれません。もしくはデリート族では・・・。今目の前にあるものを大事にしなくてどうするの?なのですが。

ネットに三浦友和さんと百恵ちゃんのお話しがでていました。(友和さんが語っています)お互いにいつも「教えてくれたのはあなたでした」のようです。いいですね、あんなご夫婦は。

 

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AIや科学で問題解決できたとき 人はどうなるの?

2024-01-28 17:47:32 | 日記

暖を取らないと室内でも10度以下にすぐなります。寒い日です。京都の相国寺へ「若冲と応挙」展が最終日なので出かけるつもりでしたが、さすがに寒く、風邪などひくといけないので中止に。年を取ると行動範囲も狭くなりますね。それで、今日は久しぶりに図書館へ。少し学んでいた脳科学の問題を掘り下げたくて本を探しに行きました。

脳科学の発展は急速に進んでいるようです。それは心の問題とされてカウンセラーが対応していた分野でも、脳科学として分析できるようになっていました。前から言われていましたが、例えば自閉症の子供の問題は脳の発生や発達過程の問題ということが明らかになってきています。決して家庭の問題ではないということです。さらに、それが父親の高齢化も問題かもしれないということが遺伝子の問題として研究されています。

AIがカウンセリングすると、時間が早くクライアントが満足するということもあるそうです。同じ結果でも、そこに至る過程で、悶々と悩んだ結果として今までは受け入れてきたことに価値があるように思っていたとしても、そうではなく時短でそれも的確に判断していけるとしたら。これから先、どう対応したらいいのかと思うのです。人の存在はどうなるのか・・・。本を読んでいて、悩むことの時間や、あたかも心が大事だと思って満足していたこともあまりにも簡単に処理されてしまうとしたら、どう生きたいくのがいいのかと思いました。人間の神秘な部分はほとんどなくなるでしょうね。

今日、図書館で偶然、昨年、心身に障害があり自立した生活を目指したいた女の子に遭いました。その自立を助けるように援助していましたが、問題も多くお断りしました。心苦しい選択でしたが。なんでまた今日?と思いながらも、無視することはできませんでした。こんな偶然の出来事も彼女の脳と私の脳の神経細胞のなす技なのでしょうか。

雪が残る神社の参道で番をする柴犬。座布団がいいですね。こころが和みました。

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ほんの少しの希望があれば

2024-01-27 19:56:19 | 日記

屋根から今にも落ちてきそうな雪が垂れ下がっています。時おり、ドスーンと音がします。雪どけの音が絶え間なく続きます。陽ざしが戻りました。そこにほんの少しだけ春が潜んでいました。ちいさなちいさな春の訪れです。

こころに残る喪失感の記憶は、自己評価を低くするだけでした。ブログにも書きましたが、高校1年の9月に、都内から埼玉のド田舎に引っ越しました。家は3分の1くらいになり、大好きだった庭もなくなりました。家の仕事の関係のトラブルでどうしようもないことだったようです。弟と私はそれでも通っていた都内の学校に1時間半以上かけて通いました。弟は2学期でギブアップして、地元の中学へ。私はつらい通学に耐えました。その喪失感を私はずっと引きずっていたようです。特に、近所のお友達がいなくなり、大事な本や子供のころの人形やらも全部庭で焼かれてしまいました。高校から帰ると、ひとり自転車で川の土手に行ったものでした。自信を無くした暗い心でした。

何があれば私は元気に歩きだせたのでしょうか。それは家族で「みんなで頑張って、もう少し広い家に住もうね」とかいう励ましの言葉でした。父も母もなにも言わず「この家はおじいちゃんのお金だから・・・」としかいいません。その通学がいかに大変だったか、父母わからないようでした。(自営業でした)自分の力ではどうにもならないことでも、先に希望が持てたなら、弟も私も二人で家を出ることよりも先に家族が住める家のことを考えた気がします。何事にもそういう意味で劣等感が強くなりました。そんな昔のことが、急にフラッシバックするのでした。私ではだめだと。

ほんの少しの春の光が、捨てられたババ猫みたいな私に希望を与えてくれました。そんなこと言っちゃいけないよと。ふんわりと生きればいいのよというお友達の言葉を思い出しました。

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