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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

さくらのかなしみ

2018-03-31 18:32:18 | 日記

こんなに桜が植わっていたのかと思うくらい、車窓からみえる景色に淡いピンクの霞が見えます。ほんの一片、一片散り始めています。2時間以上かけて都下のグラウンドに出かけました。武蔵野の面影が残るこの地域は、大きな構えの農家が野菜を直売していたりします。竹林も残り風情があるところです。

お友達のお姉さんがご主人を亡くされてから、半年経ちました。ご主人と二人暮らし、仕事をしていらしたしっかりされた方でした。それでも、体調を崩されることもありお友達は週に2回くらい訪ねていきます。一緒に習い事をしたり、お能を見に行ったりいろいろしているようです。ご主人が病気のときでも、旅行に行ってしまったりして、覚めた方なのかな と思っていましたが、逆につらくて逃げ出していたのかもしれません。そんな姿にふと母の姿が重なりました。父が亡くなってすぐ、背広などをどんどん処理していた母。私も一番仕事が忙しいときで、しっかりしてるので大丈夫だろう と過ごしていました。

ああ、私は人に気持ちを考えずにきてしまったなぁ と思いました。母のことだけではありません。弟の気持ちも夫の気持ちの大事な友達の気持ちも。つらいといって泣いている人ばかりはいないのですね。いや、泣いている暇もないのかもしれません。そして、ご病気の主人をもった方や病気の友達をもったような方の気持ちも。

電車が川を渡ります。河岸の桜が続いています。急に悲しみが襲ってきました。もっとやさしいひとでありたいと。

 

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やっとふたりに

2018-03-30 07:04:14 | 日記

何処を歩いても桜の花に出会います。生きていてよかった、この国に生まれてよかった、と思います。「桜のもとでわれ死なむ・・」桜はそんな気持ちにもさせます。

 そんな桜の精が100歳になったお友達のお母さまを連れて行ってしまったのでしょうか。病院で100歳を迎え、その後急に食が細くなり亡くなられたということでした。「老衰」ということで、いまの死因では珍しいこととお友達からメールがありました。ご近所でお付き合いしているのではありませんが、お宅にお邪魔したとき、みなさんに囲まれたお元気な姿を思い出しました。ご家族でデーサービスを利用しながら、介護をされていました。奥さまが本当にやさしく介護されている姿が私には出来ないと、心を打ちました。そして、うちの母の100歳への目標の方でもありました。

我が家も父と母はずっと祖父母と同居していました。気難しい祖父でしたので、なにかと大変だったようです。祖父は73歳で亡くなりましたが、祖母は92歳まで長生きをしました。それでも最期は母がずっと介護をしていました。その祖母が亡くなって、父が母に「やっと二人になったな」と言ったそうです。結婚当時からずっと祖父母と同居だった老夫婦がお茶を飲みながらしみじみその空間を時間を味わったのではないでしょうか。そんな夫婦ももうすくないのでしょうね

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花は一人でみるものかは

2018-03-28 22:01:54 | 日記

初夏のように暑い日。母に桜を見せたくて実家へ出かけました。遠くへは出かけられないので、いつもお昼を食べるファミレスの隣の公園の桜をみました。ファミレスまでの道は、用水路に蓋をしているので、車も通らず住宅の間の隠れた静かな小道です。桜、ぼけ、海棠、どうだんつつじなど花がたくさんあります。

母はとても喜んでいました。今日の母はいつもと少し違いました。認知症なのであまり人のことに関心がないのですが、私に料理を取り分けてくれたり、「この頃、どこかへ旅行しているかい?」と言ったり、帰りは私の姿が見えなくなるまで見送ってくれました。そして、大好きな主治医へ見せる日記には今日の感想をたくさん書いていました。そこには、まわりの人たちへの「感謝」の言葉がありました。

「桜はひとりでみるものかは・・」だれかと見るものなのでしょうね。そして、月も。

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わろてんか

2018-03-27 20:24:04 | 日記

 昨日、しだれ桜の写真が届いた。実にみごとな桜だった。しだれ桜が好きな私はうれしかった。しだれ櫻は下を向いて咲いて、なにか自由な気がする。写真の桜のように思い切り心を伸ばせたらと思う。街を歩くと、いまは植物のいのちの息吹を感じる。狭い家のベランダでも一日一日、くぼみが葉が伸びている。どんなに小さないのちも大切に思える。

 3月は「終わり」の季節。NHKのあさドラももうすぐ終わる。可もなく不可もなく朝にはいいドラマだが、学芸会みたいだと思ってみていた。息子よりも若い年をとらない主人公がうらやましくも思った。年配になって、顔は老けてはいないが雰囲気はよくなった。「女」という部分は演じきれず、若いときと年配は案外演じられるのかもしれない。

 でも、この「わろてんか」は終わりに近づき、全体を通すと、「笑い」というものが、人生でいつでも大切なことを教えてくれた。そういう意味で葵さんの役は良かったのではないだろうか。いわゆる美人とはいえないが、あの真ん丸い笑顔はいいなぁ と思う。私も笑顔でいたいと思う。なにもできなくても、幸せに笑って生きていくことが、安心してもらえるのかな と思う。そうしていたら、栞さんのような人に支えてもらえるかなぁ。どうぞ、わろてんか

 

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運がいいとか悪いとか

2018-03-26 20:47:21 | 日記

 櫻も満開の日、交通事故から3年半、救急で入院した病院へ診察に。1年ぶりの診察。ここへくると、何もしないでただベッドに横になっていた日々を思い出す。「神様のくれた休日よ」と言われたが、なんともとんでもない休日だった。でも、この事故は「運がいい」と皆が言う。警察でも、「よくこの事故で軽症でしたね」と言われた。そして、3年半経って、圧迫骨折はうまく固まったらしい。第3腰椎が半分近くつぶれてはいるが、腰の痛みも足のしびれもない。

 「男運が悪いんですって」と友達の彼氏に会うなり言われた。(なんて非常識な男だ)「運がいいから、いろいろ遭ったのよ。よすぎたのよ。」と心の中で思う。「運がいいとか、悪いとか・・・」はさだまさしの無縁坂だったかな。運が強い というならわかる気がする。えっ!と思ってどうしようと困ることも、逆転していい方向に向うことが多い。男運はいいし、強いのだろう。

 この頃思うのです。それは私がキリスト者だかもしれませんが、その瞬間に何かが知らせるのです。それは上手くいえないのですが、無意識になにかをつかむのですね。理屈ではない世界です。「運」があるかと言えばあるのでしょうか。それとも自分の人生が「運がよかった」と思うか、思わないか?なのでしょうか。心がどちらを向いてるか(プラスかマイナスか)でつかむ運が違うような気もする。

病院の帰り道、フラワーパークへ、。カメラを持って出かけたのに、3/31まで休園の張り紙。こういう運の悪い日もある。

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