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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

時間というおもてなし

2024-05-31 20:24:28 | 日記

今朝は肌寒く、雨まで降りだしました。せっかく洗濯した薄手のセーターを引っ張り出してきました。明日はまた気温が上がるといいます。今回は自律神経に影響は出ていないのですが、朝は体が寝ぼけています。

一時、どなたかの奥様になられた方が、「お・も・て・な・し」という言葉を流行語にされました。どうも「おもてなし」というと特別何かをすることのように思われますね。お茶の世界では、人をお招きするときはまず、きれいに家を整えることから始まります。最近は、人を招くということも少なくなったのでしょうか。おいしいものを準備することをまず大事にされるようです。

今週の水曜日の金沢のシニアサッカーの交流会のことでした。昨年10月にできた金沢スタジアムで開催されました。ピッチと観客席も近く、選手の使用する施設も清潔感にあふれ素晴らしかったです。最近はシニアサッカーの選手の数も増え、大会や交流会は1日で目いっぱいのスケジュールです。それをきちんきちんとこなさないと10試合もあれば50分もずれてしまいます。この金沢の大会も幼稚園児の応援などが入ったのでスケジュールは初めからずれだしました。半分試合が終わった時点で15分近い遅れでした。その真ん中の時間に最高齢の選手たちの試合がありました。時間を短くして少しでも遅れをっ取り戻そうというのが大半の意見でした。

「せっかく交通費をかけて金沢のこの新しいスタジアムを楽しみに来てくださった選手の皆さんには、できるだけ長い時間このスタジアムで楽しんでほしい」と大会の委員長が話されました。ところてん式の味気ない大会が続いた後なので、とても感動しました。時間を削るなどとんでもないということでした。

「時間」というおもてなしを知りました。ゆったりとした時を過ごしてもらうのは、テーブルにいっぱいの料理を並べることではないようです。お客様と一緒に過ごす時間、それが一番大事ですね。

 

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Love Story は永遠に

2024-05-30 20:19:33 | 日記

5月28日の夜から金沢に取材に出かけました。各地で大雨の被害が出ていました。いつも計画運休をする北陸線が心配でした。金沢のシニアサッカーチームからのご招待でもあるので、いけなかったらどうしよう?でした。幸い、湖北は雨があがりだしていて、北陸新幹線も時間通りに動いていました。初めて乗る北陸新幹線に(というか敦賀の新幹線の駅)感動したおばあさんでした。29日はいいお天気になりました。今日が仕事なので、とんぼ返りです。

今朝、朝ドラを見て、涙をこぼしていました。4分間の主人公寅子さんの戦死した夫の思い出シーンです。出征前の二人だけの最後の時間を思い出しながら、初めて思い切りなく(号泣する)シーンです。夫の死を、しっかり自分のなかに落とし込むのです。昨夜、5/5に孤独死した叔母の最後の様子を聞いて、なんともやりきれない想いになったあとでしたので、さまざまな死というものを重く受け止めてしまいました。TVを見ながら、寅子さんの大きな悲しみを受け取ってしまった感じでした。バックに流れる曲も素晴らしく、朝から涙でした。あの人もこんなに重いものを持っていたんだ・・・。その後のストーリーが見えた瞬間でした。

そして、いま最高の愛の告白の言葉と言われているのが、大河ドラマの藤原道長が主人公のまひろ(紫式部)に言った「お前の字は見ればわかる」という言葉だそうです。10年以上は逢わずいた二人でも、それだけでどれほど想っていたかがわかるということです。(詳しい説明は省きます)おそらく、ずっと文を大事にとっていたのでしょう。この脚本は素晴らしく、素直になれずに、離れてしまった二人が、その後も心の一番大事なところに相手を置いていたから出てきた今度は素直な会話を巧みに描いています。

二人でなくてはわからない会話。そんなやり取りを実に見事に二つのドラマは描いています。愛を知り尽くした脚本家の言葉のように思います。いつの世も本物のラブストーリーは変わらないのですね。

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10年想い続けられますか

2024-05-27 20:09:18 | 日記

月曜日の雨。子供たちは荷物も多く、大変そうです。たまっていた仕事が一段落して、ほっとしています。放送大学院の提出課題もネットで提出するとその場で回答と解説がもらえます。10年前に比べるとほんとうに便利になりましたが、パソコンができないとたいへんです。

何とも言えないまったりとした安心感のなかで過ごしています。10年か?「逢わずに2年待てますか?」というブログはよく読まれているようです。昨夜は、少女のような思いで、うつくしい逢う瀬をTVで観ました。大河ドラマの廃墟のあいびきの舞台装置はそれこそ贅沢に作られたそうです。NHKの技術の集大成というのでしょうか。それが月夜だからなおさらロマンチックなのでしょうね。

身分の高い道長が、身分の低いまひろ(紫式部)と駆け落ちしようという放送回がありました。正直に自分の想いをまひろは伝えられず、道長は怒ってしまいました。そして、時が流れ、まひろが北陸へ下る前の逢う瀬です。

「もし駆け落ちしても、お前を守れなかっただろう」という道長に対して、「かの地であなたと滅びるのもよかったのやしれません」とまひろ。そして、「あなたをあきらめたことを後悔しながら生きてきました」とまひろ。「いつもいつもそなたのことを」と道長。

10年という歳月が過ぎても、お互いがいつも愛の対象であった二人。「大人の愛の夢物語」と私は友達に言いましたが、お互いを想い合い過ごした歳月だからできたことなのでしょうね。「なぜ?」という疑問詞。その答えに「愛があるから」と想えれば、10年もつらくない日々のような気がします。その人を見れば、その人の文を読めば、真実か否かがわかるまで研ぎ澄まされた純粋な愛情。

月夜にうつくしい庭のある場所で、お逢いしたいものですね。

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火のないところにも噂が立つ

2024-05-26 19:04:38 | 日記

お天気の良い日は部屋が明るくなるのが早いですね。休日でのんびりと思っていても、悲しいことにスクールガードの時間に目が覚めてしまいます。今日は午後から、お友達がメンバーの湖北オーケストラの定期演奏会に出かけます。歩いて15分ほどで行ける文化芸術会館です。さて?ではなくてはて?でしょうか。何を着ていこうかな、かな?です。まぁ、普段着でいいのですが、たまにはスカートでと思いました。

コンサートはいつもおしゃれをしていくことが多かったです。シニアサッカーの取材で出かけるときは、膝をついてもいいようにぼろのパンツにスポーティなシャツという感じで、色気も何もありません。風が強くてスカートはだめなので、いつものパンツスタイル。せめてとやわらかいブラウス風の上着にしました。色がうまく合っていい感じと、バックも買い物バックではない少しおしゃれなものに。

平成18年に結成された湖北地域のメンバーで交響曲を演奏するオーケストラです。今回はチャイコフスキーの交響曲5番ほかでした。さすが指揮者が奈良などで活躍されている方なので引き込まれる演奏でした。ああ、こんな時間が持てるようになったのだとうれしくなりました。

昨日、髪も染めて、後ろからみると小柄で痩せているので若く見えそうです。時々、自転車などで追い越していった男の子が、私をみると明らかに「これは、間違えた!」という顔をされます。間違いが大きすぎますね。それで今日、わかりました。学童クラブで、子供たちに一番若い先生と「ラブ、ラブだね」とまた言われました。あまり一緒にいることもないのになぜ??いくらなんでもそれはない!なのですが。子供たちは「おばさん」と私を言うのに。つまり、子供たちは二人の恰好(着ているもの)でいっているのではないかということです。おばあさんはなにせ子供のブランドのアウトレットを多く着ているのです。笑。

SNSでも、芸能人の火のないところに噂が立つことがありますが、まぁ、子供のレベルと同じなのでしょうね。私の若ぶりの恰好は、きっと、「玉手箱」を開けたくないのでしょう。思い出が消えていくのが嫌なのです。

帰り道の公園で咲いていたバラ、モーツアルトです。キラキラと湖面がきれいでした。

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感情の悪循環

2024-05-25 20:12:36 | 日記

夕方になると北風が強くなり寒くなりました。土曜日は朝寝ができるのでうれしいのですが、けっこう1日こなさなくてはならないことに追われています。昔は、もっと仕事をこなしていたと思うと、いかに身体に負担をかけていたかと思います。それで丈夫な体になったのかとも思いますが。

今日はこれから陶芸の関係でお友達になった人から電話が入ります。家族関係に恵まれず(両親の離婚、兄弟の不仲など)、トラックのドライバーから介護の資格を取り、介護関係の仕事をされていました。その仕事場で左腕の骨折。新しい仕事場に移り悩みながらも仕事をされていました。そして、お母さま(別居)が入退院の末、この3月にご逝去されました。兄弟は海外等でお金だけを出して知らんふりだそうです。実家の売却をはじめ、彼女一人で頑張りました。その実家からお母さんの手記のようなものが出てきて、それにはひどいことが書かれていたと、怒りが憎しみになりました。それが終わったころに、また転んで腰を痛めました。仕事もできなくなりました。保証人もいないので大変だったそうです。

その感情の動きは長いメールで、私に届いていました。怒りのひどいメールには、お返事を書かずにいました。私のほうも叔母の逝去で気分がふさいでいたころでもありました。おだやかでない彼女には申し訳ないのですが、マイナスの感情を背負うので距離を置いていました。

憎しみや怒りの感情は、結局自分に戻ってくるのでは?と思うのです。自分に何もしてくれないし、ひどい言葉をかけられた母親でも、親は親で、最期くらいは普通に送ってあげればいいのに、と感じていました。来るメールメール、母親への非難と恨みの内容でした。彼女の生育環境で身に着けたであろう言動は仕方の事なのかもしれませんが、その強さではだれも近づけなくなるのではないかと思います。たとえ兄弟でも。

マイナスはマイナスを呼ぶ、これが私が学んだ最近の大事なことです。人に感謝できて、おだやかな毎日を過ごすとだんだん周りにそういう人が集まってきます。そうして、あいがさらに深く、広く、人を包むことができるものになるように思うのです。感謝です。

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