街へ出ると、桜の木の枝先に、凍えそうなつぼみがあリました。肩の痛みがひどく治療に出かけました。年度末の金曜日、雨で道路は混んでいます。
1週間前くらいは街に、はかま姿の女子大生?が見られました。「卒業式」は放送大学の卒業式以来無縁になりました。TVで卒業式のエピソードが流れていました。男子生徒の学生服の第二ボタンをもらうとか懐かしい話に、進路が違うということは「お別れ」なのだと改めて思いました。今のようにスマホなどない時代は、「連絡」が出来なくなるということは、やがて「お別れ」がくるということでしたね。あれから何度「お別れ」をしたのでしょうか。
大学時代、つまらない理由でバイトをやめさせられるとき、バイトをやめるのはよかったが、一緒にバイトをしていた彼と別れるのはいやでした。そんな想いを伝えたら、「これで終わりじゃない、また逢えるから」という答えが返ってきました。この言葉を私は50歳近くまで持ち歩きました。
年をとると、人と別れることを避けるようになりました。「別れないでいい関係」にしました。背中の皮一枚剥がれるような想いはもうしたくありません。それが「愛しき人」なのかもしれません。もし仮に、その人がいなくなっても、生きていけるように(泣くことはあっても)、そう、直虎さんのように自分の中に、その人を埋め込んだのです。それが背骨であれ、腕であれ、私はその人を生きようと。キリスト教でいえば、「永遠のいのち」なのかもしれません。
「これで終わりではない」のです。
1週間前くらいは街に、はかま姿の女子大生?が見られました。「卒業式」は放送大学の卒業式以来無縁になりました。TVで卒業式のエピソードが流れていました。男子生徒の学生服の第二ボタンをもらうとか懐かしい話に、進路が違うということは「お別れ」なのだと改めて思いました。今のようにスマホなどない時代は、「連絡」が出来なくなるということは、やがて「お別れ」がくるということでしたね。あれから何度「お別れ」をしたのでしょうか。
大学時代、つまらない理由でバイトをやめさせられるとき、バイトをやめるのはよかったが、一緒にバイトをしていた彼と別れるのはいやでした。そんな想いを伝えたら、「これで終わりじゃない、また逢えるから」という答えが返ってきました。この言葉を私は50歳近くまで持ち歩きました。
年をとると、人と別れることを避けるようになりました。「別れないでいい関係」にしました。背中の皮一枚剥がれるような想いはもうしたくありません。それが「愛しき人」なのかもしれません。もし仮に、その人がいなくなっても、生きていけるように(泣くことはあっても)、そう、直虎さんのように自分の中に、その人を埋め込んだのです。それが背骨であれ、腕であれ、私はその人を生きようと。キリスト教でいえば、「永遠のいのち」なのかもしれません。
「これで終わりではない」のです。