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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

完ぺきに時を読んだ男 

2024-02-29 21:54:22 | 日記

寒い日の夕方、近所のお友達が届けものに来てくださいました。さすがに玄関先でもと、メダカさんのいる小さな部屋で、火鉢ではない(火鉢はあるのですが火がない)ストーブに温まりながら話をしました。心配していた仕事のほうがうまくいきだしたので安心しました。いろいろ話しこんで帰られてから、PCにお願いした文章が届いているか確認すると、それでころではない何かのフェイクニュースというような「大谷翔平が結婚!」の記事が飛び込んできました。

やはり…!と思う人も多かったのではないでしょうか?なんとなく最近のメディアに対する露出の仕方が違う気がしていました。新しいチームでの出発だけではない何かが・・・。このタイミングでと実に見事な発表でしたね。その文面を読んでいるだけ、おめでとう!と心があたたたかくなり、その家族に対する愛情を感じるのです。それもやさしい文章で。しっかりとパートナーを尊敬し守っているそんな感じですね。明日、きちんとお話しますと。

前にブログに書きました、自分にとって一番大切なものを残して見つけていくお話。私は事柄の思い出でした。自分が批難されるのを覚悟でしてくださったことへの思い出です。それが一番大事に残ることでした。伝えたいことへのために大変な思いされたなと、心に深く残りました。「身を挺して」というのでしょうか。

どうするのが一番いのか?時を読めるということは、いつもきちんと状況を見ている努力があるからのように思いました。クールで最高にホットな気持ちを感じるのでした。

 

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おかえりなさい が欲しい

2024-02-28 21:48:25 | 日記

二重サッシの窓。密封された空間に近い部屋で23℃くらいで過ごしていました。ワンルームのような室内で歳をとったらこの広さで十分と思いました。2泊目のホテルは、繁華街にある小さなメルヘンチックなホテルです。部屋数が少なく人気のためになかなか予約がとれません。玄関の開けると、老夫婦のどちらかが出迎えてくれます。「こんばんは」と言って、下駄箱に靴を入れると(番号があるので番号を聞いてから)スリッパを出してくれます。この下駄箱に入れるところが、下宿に帰ってきた感じなのです。鍵も昔ながらの鍵です。階段の踊り場には花とかわいいお人形などがおかれています。部屋には、普通の家庭の家具がおかれています。ケトルにもお水が入っていて、「おかえりなさい」という感じです。明るい壁紙なので、気持ちが和みます。

このホテルは、簡単な朝食を準備してあります、とHPにありますが、これが全部、旅館をしていたという奥さまの手料理です。簡単どころかしっかりのです。ぜいたくな食器もうれしいです。少し足がお悪いのか軽くびっこをひかれていますが、こまめに動いてくださいます。ビジネスホテルなのに、温かい朝食が食べられるのがなによりです。たまに実家に帰ると、母がこんな風にしてくれたなぁ・・・。

今回は朝もゆっくりできたので、うれしかったです。帰るときに、奥さまとお話ができました。そして、「また来ま~す」と出かけるのでした。「いってらっしゃい」という声に送られて。

帰宅するといつも、まずめだかの安否確認をして(笑)、えさをやって、それから仏壇に向かって、「おばあちゃん、ただいま」です。子供のころから、そうでしたから。「ただいま」も「おかえり」もない生活になってずいぶん経ちます。23度を超えた部屋から帰宅して、8度くらいの冷え切った室内を暖めます。そして、お茶を飲むのがいつものコース。外ではなかなかおいしいお茶が飲めません。「お~い、お茶」役はいないでしょうか。お帰りなさいロボットでも買って、ここまでしてもらえるといいのになぁと思う取材帰りです。

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久しぶりに聞いたLPレコード

2024-02-27 20:15:32 | 日記

米原駅に着くと、冷たい北風が迎えてくれました。新幹線を降りて北陸線のホームに立つと、この米原おろしのような風の洗礼を受けます。ああ、帰ってきたんだと。「そう、みんなが湘南に帰っておいでというんだけど、やはり、寒くてもここがいいのよ」と私。北陸線で長浜に近づくと琵琶湖が近くに見えてきます。その景色が私をここにとどめているようです。

今回は2泊で打合せと取材でした。1日目は雨でした。なぜか人身事故が多く、4つの路線で電車が止まっていました。たどり着いたホテルが以前住んでいた半田舎の町のホテルでした。私が住んでいたころはありませんでした。ちょっとこの町にしてはしゃれたホテルだなぁと思いました。ドアを手で開けると、フロントでまず、身分証明の書類を求められました。えっと!いう感じでしたが、そこはおとなしく。キーは木の札のついたもので、ピッキング防止のカギなのです。エレベータを降りると何ともおしゃれな空間が広がりました。廊下の壁には絵が描かれ、かわいい絵本も置いてありました。部屋にも、名前がありました。#Too,me. でした。そしてその能書きが、部屋にある小さな絵から切り取ったとか。まぁ、ここまでにしますね。何より私を喜ばせたのが、LPレコードが部屋で聞けることです。何十年ぶりでしょうか!ロビーに行くとたくさんのレコードがあります。オリジナルの音がどうかなと思うのですが、やはり音がやさしい気がします。色にこだわり、絵にこだわり、ハンバー一つにもこだわったオーナーはどんな人なのか?微妙は壁紙の色・・・。洗面所の大きな丸い鏡・・・。ダブルベッドに一人がいいのだと自分に言い聞かせるのでした。笑。

ビジネスホテルの味気なさとは違う思わぬ旅のプレゼントにうれしかったです。最近は、特にビジネスホテルが簡素化されてコスメもご自由にお取りください、で、ただ泊まるだけになりました。このホテルのコスメなどはエレベーターを降りると、お菓子屋さんのような瓶に入っていました。ボタニカルのものも多く、これも選び抜いたようです。

ああ、なんでLPレコードを捨ててしまったのだろう・・・。ステレオもそこそこのものだったのに。効率ばかりおっていてはいけないわね。無駄がないと・・・。

今日は抜けるような青空でした。河津桜と青空、富士山と青空、長浜の紅梅が濃いピンクに燃えていました!

 

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だいじなものをみつける体験

2024-02-25 11:32:41 | 日記

雨がしとしと日曜日です。午後から神奈川へ向かいます。三段構えの服装です。(ゴロゴロしています。笑)何でこんな日になのですが・・・

今朝のTVで「死の体験旅行」を話をしていました。タイトルだけを見るとみるのが怖い番組のように思いますが、自分ん大切と思うモノを「夢」「思い出の場所」「大切にしているモノ」「大切な人の名前」の4つの分野で5つずつカードに書いておきます。お寺の住職がされる死への体験です。病院で診察を受けてから、死に至るまでの過程を住職の話とともに一人静かに向かい合っていきます。

終わったから、やはり家族が大事と「妻」を選ばれた方がいました。いつも一緒にいるので気が付かなかったが「妻」が一番大事だと。家族を選ばれる方が多いようです。あなたはいかがですか?これは今、頭で考えるのと、お堂なので静かに住職のお話に導かれて聞くのとでは、おそらく違うのでは?と思います。

それでも私は一つ発見しました。生きていくうえで、自分のもつやさしさが大事だと思えるのですが、では、これはどこからきたのだろうか?ということでした。それは多くの人の愛なのでしょう。なによりも3歳まで無償の愛で私を育ててくれた祖父母からもらったもの(何も覚えていませんが)が大きいような気がします。

ある人が言いました。三歳まではいくら愛情をかけてもかけすぎることはないと。祖父母を懐かしむ雨の日曜日です。

一番奥が私の生まれた家でした

 

日暮里の夕焼け段々です。子供の頃のままです。

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わたしが・棄てた・おんな 生きていくためのあい

2024-02-24 18:54:59 | 日記

2月も24日。うるう年なので29日までですが、2月逃げる、3月去るで早いですね。昨夜は、まるでこたつソックス到着以来寒くなかったのですが、しんしんと冷えてきたので、布団にむぐっても寒かったです。起きてストーブをつけると、室温が5℃。寒いわけです。

昨日の続きのようになりますが、何かを許すということは、一つのエゴを(もっとたくさんかもしれませんが)捨てることだなぁとつくずく思うのです。これは宗教の話としてではないのですが、洗礼を受けて10年、やっとなにかが見えてきました。ただ、生きていくには、エゴの愛も必要だということを、遠藤周作さんの「わたしが・棄てた・女」の解説で、森一弘司教が話していました。キリスト教では、エロスという自分を幸せにしてくれるものに向かって燃える愛ではなく、アガペーと言って、自分を無にして相手の幸せを創造する愛を尊いとしています。「わたしが・棄てた・女」では森田ミツが神への愛に生きているのですが、最後、交通事故に遭い息を引き取るときに口にしたのは、自分を捨てた男性の名前だということです。献身的に人のために生きることは尊いことですが、それだけでは人は孤独だと思うのです。こころの深いところに、相手を受け取ろうという激しい愛が無ければ、生きる喜びと深い充実感は得られないのではないでしょうか。

日々エゴを乗り越えて生きていくとしても、その根底には何かに向かって燃えてく激しい愛があるように思います。だから、乗り越えられるのではないでしょうか。

神父さまにもこひがあり、そんな神父さまをこひするひともいます。それをじっと動かずに深く深く沈めていく知恵を持てればいいような気がします。ひとをあいしたというこころに素直であることが、あいにおいては大事ではないかと森司教も話しておられました。

 

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