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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

大晦日のしあわせ

2020-12-31 22:56:13 | 日記

朝、カーテンを開けると、今まで見たことのないような景色が広がっていた。大家さんの蔵の屋根に20㎝くらい雪が積もっている。庭の松の木がクリスマスツリーのようだ。この地に来て、初めて見る雪景色に、ただわくわくするだけだった。食事を終えたら大通寺へ写真を撮りに行こう!

朝のお祈りが終わって、食卓につく。(2人の食卓)「1年間ありがとうございました。出会えた皆さんにも感謝!」と、祈ると目頭が熱くなった。ああ、なんてしあわせなんだろう・・・。

1階の掃除だけが終わり、お正月の準備もできたのは、紅白が始まっている時間だった。NPOのメールも打ち終わった。ああ、今年の仕事が終わった。

静かな雪の夜こんなに心身ともに満ち足りたお年越しはない。頭のてっぺんからつま先まで、何の不足もなく満ち足りている。コロナ禍でいろいろなことが起こったのに。

「ありがとう!」

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思い出のドライブ

2020-12-30 18:09:11 | 日記

あと2日で2020年も終わる。新型コロナウイルスで大変な年だった。(今も続いているが)でも、その分得ることも多かった。いや、かけがえのないものを得た。

今日は朝は雨、10時ごろから3時ごろまでは晴れていた。それが、あっという間に吹雪だした。風が強くて、サッシの窓以外の古い窓はガタガタいっている。今夜は眠れるだろうか。世間の義理を済ませ、巣篭り状態になってもいいように買い物は済んだ。でも、坐骨神経痛が痛む。

朝、NHKで「たけしくん ハイ」をやっている。なんとなく見ているが、昔の懐かしい風景が見られる。(もう少し後の世代だが)大晦日の夜に、新しい下着やらを枕元に母がおいてくれた。お正月は楽しみだったなぁ。家のあちこちに鏡餅があって、神棚の橙が食べたかったり、お屠蘇の準備も台所にしてあって舐めたら叱られたり。お正月には、従弟たちも遊びに来る。浅草のおじいちゃん(どんな関係の人か?だったが)がきれいな羽子板を持ってきてくれる。私のお正月は思い出が満杯だ。

高校時代にだろうか?だれかと高尾山に初日の出を見に行った。誰かすら覚えていないが、寒かったことを覚えている。大学時代は、海へ行きたいといってドライブしたことは覚えている。もちろん、お相手も忘れない。どこかへ行った思い出はいいなぁ。雪の比叡のドライブが一番印象深い。

なんて、おばあさんは元気に年を越そうとしています。

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寝息で目覚めて

2020-12-29 20:15:35 | 日記

寝息を感じて目が覚めた。??いつもとは反対側を向いて寝ている。一瞬、混乱した。お布団のなかは、あたたかい。「ああ、疲れているのね」なんて訳の分からない言葉を口にして、再び眠りについた。

老体に鞭打って起きた。4人分(4軒分)のお正月の食事を作ることになった。あと、2品作らないとならない。何とか午前中に、終わらせないと。さすがに腰が痛い。今夜はちょっと高めの入浴剤にしよう などとご褒美を置いておく。午後からは1件届けに行く。でも、考えてみると、昔からこんなことをしていたなぁ。まぁ、料理が好きなのだろうな。親友は「やっぱり、情が深いのよ」と言う。ともかく、早くとこに就きたい と夕方ごろから思う。

と言っても、お正月気分は全くない。気分が乗らない。元旦以外は掃除とお片付けになるだろう。でも、昔、海外との仕事をしていると、元旦もなかったなぁ。そう、暦が1日進むだけ。明日はお花だけでも買ってこよう。そんなときの、雪の元旦はいいかもしれない。

今夜も寝息が聞けるかな?私のほうは疲れからいびきかも!

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T君との平和な時間

2020-12-28 17:37:59 | 日記

NPOの仕事やらがやっと少し終わり、今日はお正月のおこもりの準備だ。おせちもどきを作りだした。やるとなったら、やるのおんな などと一気に8割がた作り終えた。やはり、料理は好きのなのだ。掃除よりもまず食べることだ。

パソコンとスマホの利用時間を子供のように制限した。そうでないと、情報で疲れてしまう。TVもそうしている。そんな時に、陶芸で日曜日に一緒のT君は(君と呼ぶには大きいのだが)疲れなくて好きだ。大学も出て、理学療養士の資格もあったという。ある日、バイクで交通事故に遭い、脳の短期記憶の部分に障害を受けたという。昔のことはよく覚えているという認知症のようは状態だ。先生が指示したことは、忘れやすい。先生も差別しないので、何回も注意している。初めのうちは、私も同じことを何回も聞かれた。「それはなんですか?」と作品について聞かれる。根気よく答えた。なにかとおせっかいなおばあさんで先生がOK出来る範囲で手伝った。

最近、T君とだいぶ話がうまくできるようになった。全く、対抗するようなことがない彼といると楽でいい。だから、私は作品作りも楽しい。時々、彼の昔の記憶の博識な話を聞く。先生と二人でそれをほめると、純粋にうれしそうだ。帰りには、何度も何度も「ありがとうございました」と頭を下げていく。差別せず、話をすることが大事なのだろう。

先生にT君といると、「ほっとしていられるのでいい」 と話すと、先生は「向こうもそう思っているよ」と笑う。人と対抗することなくなったなぁ。この平和がなによりだ。

写真は最近オープンしたレストラン。ランチが2500円、当分行けないなぁ。

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もし ○○でなかったら 真実がみつからないのでは

2020-12-26 17:42:11 | 日記

昨夜、久しぶりに羽生結弦選手を見た。今までのイメージとは違う衣装で、新しい羽生結弦を演じていた。このコロナウイルス禍で少しでも皆さんに明るい気持ちを届けられれば という演技だ という。ご本人はまだ未完成です というが、やはり羽生結弦!と思った。

そんな翌朝、今日も疲れが出たのか起きられない。29日ごろから雪になるというので、何とか起きだして買い物だけには出かけた。パソコンに向かわなくては、冊子の編集をしなくては、と思っても、体が動かない。やっと5時になってパソコンに向かった。イグナチオ教会の12/24の夜半のごミサの神父様のお話を読んだ。

ご存じのように、イエスさまは「馬小屋」で生まれました。ちょうどその時期に住民登録のために人々がベツレヘムに移動していて、宿屋がなかったからだと言います。神父様の仮説が面白いのですが、もし、宿に泊まれてそこでイエス様がお生まれになっていたら ということです。それこそ多くの人に祝福され、お祝いものもたくさん届き、そこに泊まっていた人々によってイスラエル中に広まってしまった ということです。そう考えると、本当に大事なことはそのように密やかな形で、いわば多くの人に知られない中でひっそりと生まれる、あるいは誕生するものではないかというふうにも思えると いうのです。

このコロナウイルス禍で様々なことが、不便な中で行われるようになった。会いたい人にも会えず、行きたい学校にも行けない・・・。でも、なにかこの居場所のないような理不尽な環境の中だから、より本当のものに触れることができたのではないか・・・。

今日はこれから仕事です。改めに、みなさんに「福音」(良い知らせ」を届けるために。

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