今年もあと2日。交通事故の怪我で思うように動かない体をかばいながら、大掃除も新年のしたくもなく過ごしています。家具を動かしたりもできず、不自由なままソファーで寝ています。そのソファで迎えるあたたかい朝に感謝しています。今年、変わったことと言えば、「待つ」ということができるようになったことでしょうか。「早い」ことがいいことのように思っていました。仕事も家事もどんどん処理し、ただひたすら走り続けていました。止まることが怖かったのかもしれません。そんな私が交通事故に遭い、ベッドの上でただ寝ていることしかできなくなりました。その時に、今まで見えなかったことが見えてきました。ゆっくりをものごとをあたためて、大事に育てていくことを。よりうつくしく、より豊かなものができるには、時間がかかるということを。大切に育てたいものが、たくさんあります。残りの人生は、そんな「熟成させる楽しみ」に生きていきたいと思います。
比較的暖かいクリスマスイヴです。街もわりと静かでした。少し動くと疲れる体を労りながら、クリスマスもなく過ごしています。昨日の冬至は、太陽と月が同時に復活するという「朔旦冬至」とかで大変お目でたいそうです。なにかそういうおめでたい「復活」を感じるこのごろです。交通事故以来、何かが変わりました。簡単いえば、自己中心に回っていた人生が、ほんの少し相手の人を考えて回り出したというのか。そうすると、何か周りの動きも変わってくるのです。それは「奇跡」とも言えるかもしれません。物事に執着がなくなるというのでしょうか。この世に私のものなど何もなく(ものであれ、精神的なものであれ)ただ、今、今日という日があるだけなのではないでしょうか。宗教的にいえば、すべては神の御心のなかにあるもののように思えます。こんな静かな心は、やはり「奇跡」のように思えます。
病院に入院している間に、12月になってしまった。デイルームというコーナーに看護師さんたちがクリスマスツリーを飾りつけていた。「ああ、12月なのだ」と点滅する豆電球にあたたかいものを感じた。飾り付けるものもフェルトの手作りのサンタさんだったりトナカイさんだったり。それを見たせいか、今年はクリスマスツリーがほしいと思った。小さくてもいい、部屋を照らす小さな飾りが欲しかった。私の思い出のなかのクリスマスツリーは、子どもの頃祖父が買ってくれた本物のモミの木のツリー。年々大きくなるので飾りものを増やさなくてはならなかった。そして、塾をしている頃、子どもたちと一緒に飾ったクリスマスツリー。ツリーは私のなかで、きっとあたたかさの象徴だったのかもしれない。まだクリスマスツリーは買いに行かないけど、部屋はあたたかさに満ちている。
交通事故による3週間近い入院生活。特にその初めの5日間は軽傷とはいえ厳しいものでした。2日間は絶対安静でベッドの縛り付けられたようでした。あとの3日はテレビも見られず、新聞も本もなくただ天井を見て過ごしていました。緊急病棟なので面会は身内以外にできません。事故について悲観的になったり、加害者を(ある意味で被害者)恨むこともなく過ごしていました。人生を振り返って「もし、あの時、逆の選択をしていたら・・・・・?」という問いをしてみました。そんな風に考えると、自分が何を選んできたか がわかりました。つまり、選択のなかで「これは自分としては譲ることができなかった」ということでした。それがわかると、ほっと安心し、自分の求めてやまなかったものがわかりました。空っぽの心で、それを感じて(形あるものではないので)この事故に感謝しました。(写真はトレド)
師走。3週間ぶりのブログです。11月17日に横断歩道を歩いているとき、車に刎ねられ昨日(12月5日)まで入院。脳しんとうで事故の記憶ななく、怪我は腰椎の圧迫骨折。事故の割に奇跡的に軽傷。主治医、看護師(看護助士)のみなさん、リハビリの先生、部屋をお掃除してくれた方たち、買い物から洗濯まで身内のように支えてくれた親友、あたたかい人たちに囲まれて無事退院できた。幸いきれいな個室でのんびり過ごすこともできた。病院の外からもたくさんの応援があった。感動は、神父さん、シスター、教会のお友達から頂いたミサの時間。大きな気付きがありました。夕暮れの部屋でのその分かち合い。部屋の空気が清められました。朝起きると5階の廊下からは朝日ののぼるのが見え、反対の方向には雪を抱いた雄大な富士が見える。この3週間、私は生まれ変わりました。