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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ありのままで

2016-02-28 14:10:23 | 日記
 2月も終わり。2月逃げる、3月去る とはうまいことを言ったなぁ と思います。「春は名のみの、風の寒さや・・・」ですね。

 歯茎に黴菌が入って、歯医者通いと休養の日々でした。腫れた歯茎はなかなか腫れがひきません。いろいろ手立てをした先生も首を傾げる始末でした。どうなることかと不安でした。歯医者さんから帰って、食事をして、歯を磨いて、鏡を見ると、穴のあいた奥歯から、血がにじんでいました。うみが出てきたのです。あんなに先生が治療をしてもだめだったのに、私の不安を察してか、身体が反応してくたようです。自然治癒力というのでしょうか。

 食事も柔らかい、味の薄いものしか食べられませんでした。食欲もない中、素材そのままの味を楽しみました。好きなコーヒーは身体が受け付けず、さ湯とお米の美味しかったこと。

 休養中に、教え子のMさんがFBで紹介していた「ポリアモリー」(複数の愛を生きる)を読みました。日本人にはわかりにくい内容かもしれません。平和な日本のマスコミが騒ぐ「不倫」の文字。(この議論はまたにして)歯が痛いためか、「理屈はいいわ。愛はもう少し違うものでは?自分の心に芽生えたものを、そう、自分の心に素直に見つめていくことでは?」と思うのでした。行き着くところは、さ湯と白米のご飯では。

 
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異類婚姻譚

2016-02-25 21:51:20 | 日記
 朝、東海道線で出かけると「大雪のため下り電車に遅れがでています」のアナウンス。どこで大雪?空気は冷たいが、陽射しは春。

 やっと、歯ぐきの痛みが軽くなり都内まで用事を足しに出掛けた。帰りまで痛みが出ないか心配だった。なんとか無事に帰路につけたが、さすがに体力不足。最近お気に入りの小田急ロマンスカーで帰ることにした。ロマンスカーはいい。行きに買った文芸春秋の芥川賞受賞作品「異類婚姻譚」を読んだ。初めは何かつかめないまま読んでいたが、最後まで読み終わったとき、寒気がした。吐き気に似たものも感じた。私にはなんとも怖い小説だった。元夫と私が似てきた と感じたことがあった。写真を見ると、鼻も目も口も 一つ一つは似ていないが雰囲気は似ていた。その頃のことを「母子カプセルにいるようだ」と元夫は言った。お互いにカプセルが平和だったのだ。夫は何になりたかっのだろうか?夫だけでなく私は多くの人を壊してしまったのではないだろうか。夕暮れの街でロマンスカーを降りて、しばらく家には帰れなかった。

 
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春じゃ 春

2016-02-23 18:47:12 | 日記
 ここ2.3日空気が春らしい。外に出ると、春の朝 という感じだ。ベランダの枯れたと思っていた紫陽花が新芽をつけていた。春だ。十年くらい前までは春は嫌いだった。まわりが明るくなり、取り残されたようで辛かった。「春愁」というのか。

 NHKスペシャル「新映像の世界」で1960年代末、既存の政治体制にNOを突き付ける世界の若者たちの反乱の映像をみた。ベトナム戦争への抗議、プラハの春、東西ドイツ、と今では考えられない若者のパワーだ。自分たちの力で政治が変えられると信じていた。あのエネルギーはどこから来たのだろうか。なにか信じるものがあった。

パソコンも携帯もスマホのない時代、人が動いていったのはTVの映像だった と番組は結んでいた。今その画像を見ると、確かに自分のなかにあったエネルギーが動き出す。音楽も文学もエネルギーの塊だった。

 冬に蓄えたエネルギーが爆発してくる春。春じゃ、春だと 心が躍りだした。

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愛しくて

2016-02-20 09:23:44 | 日記
 だいぶ春めいてきました。駅前の河津桜も咲きだしました。もうすぐ春なのですね。

認知症の母は日常生活を維持できるかどうかの境界線上のようです。だんだん子供返りして、ぬいぐるみが欲しかったり、食事も集中して食べられず、お菓子はなんでもすぐ食べたがります。童女のようでいとしくなります。

 「愛しくて」というNHKのドラマがあります。「愛しい」という感情は、なかなかやっかいな感情に思えます。どこかに理性で抑えられない、胸がキューんとするような、そう、今にも走りだしそうな感情です。抱きしめたいような感情でしょうか。理屈では説明がつきません。ただ、「愛しい」のです。厄介でありながら、なんとも自分の中で「愛しい」感情です。

 
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よき時代

2016-02-16 20:25:15 | 日記
 春一番が吹いたと思うと、昨夜はみぞれが降っていました。今日はお友達と、曽我の梅林へ出かける予定でした。朝起きると青空。行いがいい二人だから と浮き浮き出かけました。下車駅はスイカが使えません。切符を買って出かけるように注意書があったのに、二人ともスイカに慣れているのでつい忘れました。そういえば切符は買ったことが最近ないですね。駅を降りて地図を見るのですが、はっきりした道がないのです。あとで聞いたところ、昭和31年に畑に梅を植えたそうです。実のなる白梅です。私たちの歩くところは、農道できちんとした地図はありません。のどかに十字路にある梅の名前の標識を頼りに歩きました。どこまでも梅林が続きます。

 最近、漱石の「門」を読みましたが、そこにある雨漏りの様子。蜆売りのこと。掛け軸や屏風のこと。かろうじて私が子供のころにあったような気がします。雨戸をあける音、竹ぼうきで庭を掃く音、牛乳屋さんの牛乳瓶の音。明かり取の窓、縁側、床の間、無駄と思えるものの存在が心のゆとりだった気がします。障子を破って祖父に叱られたけど、そんな子供時代があったことはよかったなぁ と思うこのごろです。

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