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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

コーヒーの木

2016-12-30 23:24:46 | 日記
 お正月の準備に忙しい街の様子です。今年中にしなくてはならないNPOの仕事が終わりましたが、ボールペンで字を書きすぎて腕から肩から背中から痛みが走ります。大掃除どころではないのですが、水周りだけは磨きあげました。母からおせち料理は食べ飽きたので、肉が食べたい というリクエスト。たしかにおせちは食べ飽きたでしょうね。お雑煮の準備と母が新年に着るセーターを買い求めて力尽きた感じです。それでもなにか家の中を飾りたくて、小さな小さなハイドロカルチャーのコーヒーの木を求めました。これが大きくなって、豆ができたら・・などととんでもないことを考えました。
 今年はいろいろなことが起きた年でした。それでもこうして思い出してみると、大変だったことは忘れています。今年のハイライトは11月にいった熊本でしょうか。天草の見えるサッカー場での取材、そして日奈久の古びた温泉に泊まり、翌日の熊本城、雨に煙る益城町から阿蘇へのドライブ。実に奇妙な楽しい時間でした。
 自分のために時間を使い、自分のために部屋を整え、私は暮らしを大事にしだしました。それがこの上ない幸せです。なにか余裕が生まれた1年でした。答えは意外に簡単かもしれません。「なんとかなるさ」とつぶやいた人がいたからかもしれません。
  
 
 
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クリスマスに遺言

2016-12-28 19:04:39 | 日記
 わずか冬至から1週間なのに日が延びました。夜になって急に寒くなりました。教会のお友達とクリスマスのイルミネーションの点灯しにでかけました。来年まで続くそうです。

 教会のお友達のご夫婦はある時期から毎年結婚を続けるかどうかをクリスマスに更新するそうです。もう70歳に近いご夫婦ですが、どきどきしながらその日を迎えるそうです。契約更新は、お互いの遺言を交換することができれば、更新だそうです。来年もよろしくということになり、クリスマスのミサの初めに握手をされています。ご主人のお話では、ご夫婦の間にいろいろあったので、ある時期から1年単位で結婚を続けるかどうするか決めるようになったそうです。遺言を渡すということは、相手に人生を託す ということだからだそうです。ご夫婦が話し合うことが多くなったとか。

 そんなお話を聞いてから、クリスマスに遺言と伝えるようになりました。とても簡単なことだけですが、一番大事なことを一番大事な方に託しています。それがクリスマスの遺言です。

  
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26日のクリスマスケーキ

2016-12-26 20:38:26 | 日記
 4時半の夕焼けチャイムが鳴ると、夜のとばりが降りてきます。家で仕事をしているときは、それを合図にカーテンを引きます。これだけでも幸せな時間です。 20代から働き続けた私は、やっと夕方家にいる時間ができるようになりました。ぼちぼちと冷蔵庫から夕食の食材を取り出します。結婚しているときも一人で暮らしているときも、仕事から帰るとそれからは寝るまで戦争のような時間でした。ああ、よく働いたなぁ と思うのです。

 20代に働いていた職場では「26日のクリスマスケーキ」という言葉がありました。当時は22.23歳くらいでみなさんが結婚しました。大学を出て勤めたりすればすでに遅しだったのです。遅くても25歳まで、そのあとは売れ残りなのです。28歳にもなって職場にいれば、あらぬうわさがたったりでした。結婚して退職して、家庭に入って子供を育てるが普通のコースでした。今の若い人たちには想像もつかないかもしれません。ですから、後になってこんなことを言う人もいました。「離婚するために結婚したのよね。夫には申しわけなかったわ」と。もちろん打算で結婚したわけではないのでしょうが、あとで思うと、そうするしかなかった結婚だったのでしょう。

 26日のケーキ屋さんのケースには昨日のものと同じケーキが並んでいます。売れ残ったわけではないのでしょうが、「昨日の売れ残り?」と見られてしまうのが気の毒な気がしました。女性も男性も今40歳を過ぎるとお見合いの相手も条件が悪くなるとか。でも、人生には思わぬダイヤモンドが隠れているものです。結婚してもしなくても。それは大きなダイヤモンドではないけど、夕暮れの空を見ながら、愛する人も思いながら、カーテンを引く喜びのような小さな小さなダイヤモンドかもしれませんね。

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イブに思う

2016-12-25 10:13:21 | 日記
 クリスマスのミサに行くことが出来ました。街ではクリスマスケーキやチキンが売られています。子供たちへはおもちゃなどのプレゼントなのでしょうか。静かなクリスマスが送りたくて、家ではTVを消して海外のクリスマスキャロルを聴いています。うつくしい歌声と美しい教会の室内がみごとです。ドイツのクリスマスの過ごし方をビデオで見たことありますが、お菓子を焼き、料理を作り、プレゼントを交換します。もちろん家族で教会に出かけます。

 クリスマスプレゼントにまつわるお話に「賢者の贈り物」があります。子供たちのためのクリスマスにちなんだお話もあります。それが庶民のクリスマス「文化」のように思います。このごろ身の回りで庶民の「文化」がなくなりつつある気がします。都市部だからでしょうか。

物理的なものから(建物など)精神的なものまで、あまりにも簡単に庶民の文化というものが消されていく気もします。

 NHKのSONGSに吉田拓郎が出ていました。ちょっとみたら70歳の拓郎は単なるおじさんのようです。でもその演奏になると、拓郎は拓郎で譲らぬ何かが光っていました。今活躍中の歌手が70歳になって「これが俺の歌だ」と歌えるのでしょうか。

 移り変わる世の中で、これだけは という思いで守りゆくものがあってほしいと思うのです。それを拓郎は「真実」と呼んでいました。

 
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最も弱きもののために

2016-12-22 21:34:53 | 日記
 12月とは思えない生暖かい風が吹いています。新潟県の糸魚川市の中心部で大きな火災がありました。この暖かい強い南風が火事を大きくしたようです。この年の暮れに、焼きだされた人になんと言葉をかけたらいいのかわかりません。

 街はクリスマスムードです。日本では、バレンタインデーもハロウィンもクリスマスもすべて商業ベースで、何が何だかわからないお祭りになります。クリスマスに教会では、生活困窮者のためにカラーなど作りクリスマス会をするところがあります。聖イグナチオ教会では約250名の方たちを招くようです。石鹸や靴下、タオルや使い捨てのカイロ、そしてお菓子をプレゼントするようです。まだまだ、路上で生活する人たちがどこの街にもいます。そのような人たちを「やる気がなく、だめな者たち」とか「気持ちが弱すぎるのだ。誰だってつらいのをがんばっているのだ」と言う人もいます。世の中には、気持ちが強くもてる人もいれば、同じことにあってもくじけてしまう人もあります。すべての人が強く生きられるわけではありません。倒産する会社とわかっていて就職する人もいません。ほんの少しのつまずきがどんどん這い上がれないような状態になることもあります。

 繁栄だけがすべてではない と思います。スウェーデンが福祉に力を入れたのは「この資源の少ない国では、人が何よりの資源である」ということからだそうです。

 マザーテレサの言葉に「主よ、今日一日 人は人であるという理由だけで どんな人でも愛するためにわたしの心をお望みでしたら 今日、わたしのこのこころをお貸しいたします」があります。

 
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