右ひざが痛む。ああ、とうとうサッカーマンたちと同じになってしまった。あの米原の15000歩が悪かったようだ。でも、今日も歩かなくてはならなかった。お天気はいい。きれいな紅葉は11月中旬すぎだろう。小さな秋があった。
道端に可愛いピンクの花が咲いている。ああ、母が狭い庭に育てていた花だ。急に母が恋しくなる。なんでもっとそばにいなかったのだろうか。
だいぶ昔、だれかの言葉で「家庭というのは「家」に「庭」がないとダメなんですよ」があった。その頃はマンション住まいだったので、「庭」がないと家庭じゃないの?と思った。都会で庭のあるうちも少ない。家庭か?私の生活は「家庭」があるというのだろうか?「家庭」は捨ててしまったよなぁ。新しい家を建てると、家具やカーテンやらを考える。そして、庭はどんな庭にしようかと少しずつ暮らしを楽しみながら作っていく。そして、子供たちが増えて、今度はまた新しい家具やらが入る。車はどうしようか?そうやって子育てをしてやがて子供たちが旅立って行く。それが家庭なのかな。子供が無くても庭造りを楽しんだり、毎年旅行に行ったり、動物を飼ったりして家庭を作っていく。
そう思ったときに、希望がなかった。でも、二人が一緒にいるってどういうこと?という問いに「二人で一緒に将来について考えていくことでしょ」と言った。(菅波先生だ)そして、気が付いた。「庭」って、家族や仲間の広がりなんだと。「庭」がなくても「庭」という空間は作れる。そう、私が「おかえりなさい」といえる「ぬくもりのいえ」に「にわ」を作ればいいんだ。そして、「いってらっしゃい」と送り出せる「いえ」にすればいいのだと。
いよいよ「ぬくもりのいえ」を作り始めます。