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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

暦をめくる

2019-12-31 19:14:25 | 日記

いよいよ大晦日。午後からしぐれたので予定通りには進まず、「もうええわ」の大晦日だ。そして、令和元年最後のぶろぐを書いている。いつもコンスタントに読んでくださる方がいるのかどうかもわからず、ただ自分の心の整理にと素直に書き綴った。それがどれほど私を救ってくれたことか。読んでくださった(ている)方に感謝いたします。ありがとうございました。取材で出かけているときには、タブレットで書いていたが、なかなか思うようjに書けず、思い切って、surface を購入した。もちろん、ウインドウズ7のPCが使えなくなることやタイムリーな取材報告をしたいということもあったが。このPC環境の快適さで、ぶろぐもさらに楽しくなった。

むかし、外資系の会社でアルバイトをしたことがあった。当然、社長は元旦から会社に出て仕事をするという。彼はアメリカに長くいて、お正月はただ、暦が1日変わるだけと言った。もちろん、私はお正月は休んだが。たしかに、1日暦が進むだけだ。今はあまりないが、「日めくり」のカレンダーがあった。さぼると、たくさんめくらなくてはならない。でも、最近はこう思う。「今日という日にさよなら」をして「明日という日に向かう」ことだと。今日を捨てなくては明日には行けない。本当は夜中の12時に「さようなら」と言って、暦をめくるといいのだろう。

前に進むには捨てなくてはならないこともある。ものにも「いのち」があると思うこともある。だから、「今日までありがとう」と感謝して捨てていく。今日はお正月用の食器が買えた。大皿はあるのに、もったいない話だが、せっかく作った料理を生かしたかった。50%OFFでゲットした。でも、食器を処分もした。ほとんど使わない食器だった。一つ買ったら、一つ捨てる。本当は「使いきる」がいいのだろうが、使われない食器が気の毒にも思う。衣類もそうだ。1枚買ったら、1枚捨てる。感謝しながら。

1年も終わろうとしている。この1年には感謝がいっぱいつまっている。めくりたくない1枚の暦だが、明日に向かって新鮮な気持ちでめくろうと思う。みなさまもよいお年を!

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年末のときめき

2019-12-30 19:42:31 | 日記

大掃除や買い物に忙しい日があいにく寒くて雨模様。ああ、今年も終わるんだなぁ。お友達に送るお正月の料理ができた。久しぶりに料理を楽しんだ。母がいたころは、少ない予算で母が喜びそうなものをあれこれ考えた。食べてくれる人がいるということはしあわせだ。とくに亡くなる前4年間はゆっくり実家で過ごした。その後は、あまりお正月用の料理は作らなかった。長浜のキッチンは使いやすいので、料理が楽しい。新しい料理にチャレンジできた。下の部屋だけ片づけたら、気持ちがすっきりした。でも、何日持つことやら・・・。

できた料理を詰め込んで郵便局へ。混んでいる。それに慣れないアルバイトの人が窓口なので、どんどん人が増えていく。お餅やらが入っているので、やや重い。肋骨が痛い。そんなとき、あらっ!思うきれいな目をした男性がいた。一重の切れ長の目できれいだ。(全体のバランスもいいのだろう)おばさんは、見つめてしまったら、気が付かれた!そこはおばさん、ニコですよ。隣に憎いくらいお父さんにそっくりな娘がいたのです。10歳くらいだろうか。いいなぁ、あんな素敵な目をもらえるなんて!まぁ、これがあったので、重い荷物を持って15分以上も待てたようだ。

明日は2階の仕事部屋を掃除して、買い物に出かけよう。今回のおせちに合う食器がない。自分で焼けるようになるには当分かかるから、大皿だけでも求めよう。やはり、祖父譲りの陶器道楽だ。元旦にきるお洋服も買おうかな・・。この貧乏な家計に許されないが、もういいや。毎日、気持ちの良い環境にいよう。あの教会のお友達たちのように、お気楽に考えているほうがしあわせだ。来年はさらに楽しくなりそうだ。

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不純な動機でOKね

2019-12-29 18:48:06 | 日記

いよいよ暮れも押し詰まった。今日はうちにいたいが、教会に出かけた。今年最後のミサだ。8時半ごろの街はまだ静かだ。それでも京都、大阪方面の電車は混んでいる。今日も陽気な元テノール歌手の神父さんのミサだから、多少おかしくてもOkで進んでいく。自分で歌いながら入場してくる神父さんは少ないだろう。そして、ミサの後は教会の大掃除だ。以前なら「すいません、用事があるので」と帰るのだが、さすがに今年お世話になった教会のお掃除はしないでは帰れない。

なにかと掃除一つでも人が集まると面倒なのだが、神様の御前では平和に過ごす。掃除機をかけていたが、椅子の並んだお御堂を左手で掃除機を持ってかけていくので、だんだん肋骨が痛くなる。やはり、まだ無理はできない。これで家の掃除はできない という理由がついた。ほっと。骨董屋さんのお友達Oさんと先日ホテルで朝食をごちそうになったお友達Yさんが、「ねぇ、黙想会へ行かない?」と話しかけてくれた。「ああ、いいですね、しばらく行ってないので。京都ですか?堅田ですか?」「いや、浜松よ。ここの食事がベトナム料理でおいしいのよ!いこう!」真面目に黙想会の話をした私は「えっ!それって不純な動機じゃありません?」「そうよ、そういうほうが収穫が多いのよ」

最近、わかったのだ、自分は真面目すぎると。(えっ!)Oさんが言う「なんでも、きちんとしようなんて頑張る年やないねん、相手が疲れるわ、なぁ、ゆるゆるの毛糸のセーターのほうがあたたかいやろ」と。一言もないわたし。そうなんよ、昨日「もう、ほんとうに何を考えているの?ちょっと考えれば、その聡明な頭ならわかるやろ」と不機嫌だった。(今朝は直ったが)みんな五十歩百歩で愚かなのはかわらない。人のことは良く見えるが、自分のことは見えない。相手に怒っているのではなく、愚かな自分自身に怒っているのだ。

よかったなぁ、お互いに愚かで。それに私も不純な動機だらけや。そもそも、長浜に来たのも不純な動機が隠されていたのだから。この二人の先輩には、ちょうどいい時期に巡り合えた。神様は本当に必要なことを与えてくださる。この長浜に来て、彦根の教会に行ったことに神に感謝をささげる日だった。

 

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最期は雪女

2019-12-28 17:29:07 | 日記

暮れの1日、掃除にも洗濯にも買い物にも、そして帰省や海外旅行に出るにもいいお天気だ。昼は空いている琵琶湖線も大きな荷物を持った人がいっぱいだ。うらやましい。なんとなく寂しくなって弟にメールした。どうせ返事はかえってこないのだろうが。せめて料理の材料を買うついでに、お正月に着るものでも買おうと出かけた。昨年は、引っ越し騒ぎで何も買わなかった。(買えなかった)

パジャマのいいのを買おうと思った。若い時と違い、みじめなパジャマは着ていたくない。誰かに見られるわけでもないが、家にいるときほど、きちんとしていたいと思うようになった。最期は「雪女」よ、あの人の手の中で溶けて消えるのよ、なんて冗談を言っている。それが理想なのだ。残すのはパンツ3枚。自分の始末をしないで死ぬのはいやなのだ。日常でもホテルを出るときは、できるだけ入った時と同じように部屋を片付ける。自分の足跡は残したくない。人それぞれだが、物があふれたまま、だれかに処分してもらおうという考えは私にはない。

たかがパジャマ、されどパジャマで小柄な私に合うサイズは、子供のパジャマ売り場のようだ。これはさすがにおばあさんは着られない。まぁ、大きいのはいいのだが、気に入るものが少ない。母が花柄のパジャマを喜んだが、いざ自分のものとなるとないものだ。4年前の交通事故以来、いつなにがあるかわからないと、入院グッズやらも準備している。50代では考えもしなかったなぁ。

「なんでも軽くね、さら~っと流すのもいいのよ。それも賢い生き方よ」先日、余呉湖へドライブした友達の妹さんが言ったいた。そういうほうがいいのかもしれない。どうせ最期は「雪女」なんだから。つまらないこだわりは不要かもしれない。来年は「ああ、そうですか」で流してしまおう。つまらぬ自己満足は捨てよう。

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冬景色のように

2019-12-27 14:51:06 | 日記

昨日の夕方から時計が止まってしまった。2019年の疲れが出たのだろう。夏ほどひどくはないが、めまいが出てきた。動けない という感じだ。こたつで横になったままだった。ああ、郵便を出さなくては、メールの返事をしなくてと思ってもその力がない。去年の今頃から引っ越しの準備を2か月でして、長浜へ、諸々の手続きとNPOの取材をこなし、さらに実家の処分があった。秋からは予定しない取材も入り体がいっぱいだった。そして、行き詰まると散策に出かけた。自分ではそれでも、のんびりしていたほうだと思っていた。携帯をお風呂場の横に置いて、お風呂に入って1年を思い出した。

長浜の生活は、いままでの失われた時間を取り戻させてくた。昨日は、教会のお友達が琵琶湖が見えるホテルに朝食を招待してくれた。あれもおいしいからこれもおいしいよ とすすめてくれた。教皇様のミサの帰りの新幹線で誘ってくれたのが、こんなに早く実現した。それから、湖北へ白鳥を見に、そして余呉湖までドライブできた。雨も降らず、曇ってはいたが、暖かい日だった。ちょっとさびしい暮れの1日に楽しい時間だった。

みんなにかわいがられて育った昔のようだ。安心していられる。今日はみぞれが降る。2日間は体を休めると決めたので、何もしないでいる。やっとぶろぐが書ける。忙しくて疲れるとやりたくてもできないということになるのだなぁ と痛感した。掃除は適当にして料理をしようと思った。あの人の故郷のお雑煮でも作ろう。あとは、ちょうどNHKでおせち料理をしていたので、それを作ることにした。やや、昨日の暴食がきいていて食べ物のことを考えるのはつらいが(笑い)

冬の静けさはいい。不動の強さがある。そんなふうでありたいと思う。

 

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