大晦日になってしまった。1年の終わりといってもなにかピントこない。TV番組をみるとたしかに紅白もあるし、大晦日だ。午前中は事務処理をしようと思ったが、TV番組を見たのがいけなかった。午前中に「半分 青い」の総集編がある。それは見ないと今年の後悔になる?と掃除をしながらTVを見ることにした。家具やガラスを磨くのなら、見ながらでもできる。
ここにある家具は、運送屋さん泣かせの重い整理ダンスを除いては、離婚してから少しずつ買い足していったものだ。それは私のつまらない誇りだ。だから、大事でもある。久しぶりに家具を磨いたり、緩んだねじを締めたりした。家具がピカピカになるのは、新婚になるようで嬉しい。
家具を磨きなら、「半分 青い」を見ながら、今年を振り返る。「今年のハイライトはなんですか?」とサッカー仲間に聞かれた。「そうですね、個人的には電動車椅子サッカーでしたね。」と答えた。「生きる」ことそのものを、いや「いのち」そのものを突きつけられた。「ぼーっと 生きてんじゃないよ!」と言われたようだった。
希林さんの生き方や言葉をTVや活字を通して知ることができた。「すばらしい人だなぁ、あんな風に生き抜けたら・・・」と思った。でも、私は希林さんに会っていない。生身の希林さんを感じることはなかった。電動車椅子サッカーで、自分では食事ができない人、酸素ボンベを離せない人、胃ロウの人もいた。でも、彼らは特別ではなかった。ただ、サッカーが大好きな人にすぎなかった。それがまたショックだった。
限られた「いのち」なら、もう好きなように、やりたいことをやって生き抜こう! と思えた。私の内には神が住んでおられる。そして、不思議な感覚だが、仏さまが大きな輪で私を包んでくださっている。イエス様に叱られてしまうが、神の道を大きな輪に守られて生きられそうだ。
母が亡くなり、さびしい1年ではあったが、新しい旅立ちへのきっかけとなる年だった。静かな大晦日だ。