「あい」とは何かと問われたら、このようなものですとお答えしましょう。お友達の家で月下美人が咲くそうです。ご存じのように、花は夜咲き始め、朝には散ってしまいます。せっかく咲くのだから、月下美人のためにもみんなに見てほしい。そんな愛の気持ちで、彼女は、貼り紙を出したそうです。(9時ごろ咲きますので見に来てください)
9時半過ぎに咲きました!!みごとですよ。
むずかしいことではなくて、これが「あい」かな。だから、私も一番大切な人に一番にお送りしました。そして、皆さんにも!
「あい」とは何かと問われたら、このようなものですとお答えしましょう。お友達の家で月下美人が咲くそうです。ご存じのように、花は夜咲き始め、朝には散ってしまいます。せっかく咲くのだから、月下美人のためにもみんなに見てほしい。そんな愛の気持ちで、彼女は、貼り紙を出したそうです。(9時ごろ咲きますので見に来てください)
9時半過ぎに咲きました!!みごとですよ。
むずかしいことではなくて、これが「あい」かな。だから、私も一番大切な人に一番にお送りしました。そして、皆さんにも!
秋のわりに蒸し暑い日でしたね。今日は昨日届いたコピー機で100部分冊子を印刷しなくてはなりませんでした。家中プリントの山でした。戦いが終わったのは、自民党の総裁選の後でした。昨日同様にたくさんニュースがあったようです。今日は心地よい疲れのなかにいます。「終わったぜ!」(ここで言葉が悪くなる)
昨日、よせばいいのにエッセイ「秋のヨーロッパ」を書いていた。この話は昔話になるのでどうしようか迷っていた。気分も滅入っている。心の悪循環というのか、自信がなくなると「諦め」「身を引く」モードに入る。私はあの人に似合わないモードだ。このコロナ禍もいけないのだろうが、気がふさぐ日もある。「私じゃ、なにも役に立たないし・・・」これはまずいムードだ思う。
眠れないまま本を読んでいた。うまいタイミングで読んだようだ。葉室麟著の「紫匂う」だ。妻のためにそっと紫草の種をまく夫の気持ちが男らしくやさしい。こころが開けた。迷うたら己の心に問うてみるそうだ。知恵ではなく、おのれにとって最も大切に思うものはをこころが寸分違わず知っているという。
ひとは追い求めるものには必ず行き会えるようだともある。なにかぶろぐを書いていてしあわせな気持ちになれた。ありがとう!
秋らしい1日だった。1日中、家の中がバタバタしていたので、ニュースも見なかった。(見ることができなかったかな)どさくさに紛れてというのかいろいろニュースがある。私が待っているのは翔平君の活躍なのに、来る日も来る日もどうでもいいようなことがネッ上で行きかっている。よくあんなにエネルギーがあると思う。そのエネルギーはどこかの国の野党にでもあげてほしい。
昨日は夕飯がいらないと思うくらい疲れていた。昔のペースで仕事はできたが、その疲労度は昔とは違う。草サッカーのボランティアでメンバーの方にはバースデーカード(ごく普通のハガキ)をお送りしている。みんなが忘れているのにうれしかったと連絡があることもある。「最近、いいなぁと思うのは、おやじのこととかおふくろのこととか素直に受入れらるんだよね。いろんなことが見えてきたかな。そういう年になってうれしいね」と話された方がおられた。私もそうだなぁと思う。
年を取るのも悪くはないと思う。自分一人で生きてきたかのように偉そうにしていたが、とんでもない。どれで多くの人にお世話になったか。ありがたいと思う。感謝の度合いが変わってきた。自分の育った環境、特に祖父母には感謝している。
もうすぐ10月。栗も出始めた。母の炊いてくれた栗ご飯を思い出す。おだやかに今日もお疲れさまで終わります。
「雨がしとしと日曜日 僕は一人で 君の帰りを待っていた・・・」こんな歌があったなぁと思うような日曜日だった。(歌を知らない人が多いよね)雨はしとしとで肌寒い。それでもばっさまは頑張るしかない。
わかったことその1はレンジは賢くないのではなく、値段が安いから仕方ないのだということ。これが今の私に買えるものだから仕方ない。あとは自分の知恵でがんばるわ。
その2は毎日歩くとけっこう疲れるということ。8000歩として歩幅が60センチで4.8キロ。5キロは歩いていたのだ。もちろん1日のトータルでのことが多いが、姿勢がよくなったこと、偏平足に近かった足裏に土踏まずのアーチができたことがいいことだ。そして、自転車にも乗らず歩くと小さな発見がたくさんあること。それをスマホに収められる。車と名の付くものは火の車だけだが、まぁ貧乏もいいものだ。
1ヶ月近く書けなかったエッセイ「秋のヨーロッパ」を書きだした。だいたい行ったこともないヨーロッパを書くのだから、希望的観測になる。長身で上品なコートの似合う人と歩くのかな。私は母の形見のような丸襟のオーバーを着てみたいなぁなんて思うしかない。もうそんな日は来ないけど、夢を見られることは幸せだ。
強くなくてはならないこと、上を目指さなくてはいけなかったこと、そんなことから解放された。ばっさまは今日も土鍋で新米を炊いて、おこげでおにぎりを作って満足だった。
秋の日は静かに暮れていくよ。
穏やかな秋の日だった。「秋は夕暮れ。 夕日の差して山の端いと近うなりたるに、からすの寝所へ行くとて・・・」確かに、秋は夕暮れがいい。それで、気が付いたのだが、烏は山に住んでいるのだと。古い童謡に「七つの子」がある。これでも烏は山に住んでいる。今のカラスには山に住んでいるに違和感がある。でも、夕方、烏たちは山の方へ飛んで行った。
日本人はやはり「清潔さ」とか「謙虚さ」とかそういうものがいいのだろうか。イケメン俳優の多い最近だが、あの菅波先生(坂口健太郎)は男性にも人気がある。清潔感とさわやかさがある。オレがオレがのタイプでもない。「#俺らの菅波」になる。責めるところがないからだろうか。
この前ネットで日本人の小姑化が出ていたことを書いたが、小姑どころではない「裁判官」も多いようだ。裁かれているこの人は「人を殺したのだろうか」と思うこともある。怖いと思う。
私は人を攻撃しなくなってきた。それは自分がしてきたことがちゃんと認められるようになって、周りに感謝できるようになったからだと思う。ずいぶん長い時間を要したが。感じることは、自己認識ができない人が多いのかなということだ。そんなに人を攻撃して、「で、あなたはなにをしてきたの?」なのだが、ちゃんとしてきたことがあるはずだ。それを探して生きていってほしいと思う。モネが言っていたように、それは強いとか偉いとかいうことではないと思う。
自虐的にもならず自分を抱きしめられたら、相手を攻撃することも減るような気がする。