今日は11時に用事が入っていたので、何か仕事をするには中途半端だった。ずっと気になっていたガラス窓の掃除をした。雨が降りつけたので、2階はかなり汚かった。春の陽ざしがさらに明るくなった。
ここ3回ほどサッカーをTVで観戦した。(この変換が感染と出るのは悲しいね)ちょっと前の時代までは、ゴール前になるとイライラして胃が痛くなりそうだったのに。うまくなった!解説でも「同じもの(イメージで)を見てプレイができるようになっている」と言っていた。海外組が多いせいだろうか。サッカーがシンプルになった。(プレイがでなくて)気持ちの面での余分なものが選手になくなっているような気がする。
昨日、先日天に召された方の奥様へこころが少し安らげればと、先生の灯陶をお送りした。小さいが実に細かく桜が彫り込まれている。これはできない!という作品だ。こんなことを言ってはと思うのだが、これは作品として拝見するのはいいが、一人部屋で眺めるには、強すぎると思った。癒されるだろうか・・・。私の作品は手抜きのような作品だが、灯を入れるとほんのりと明るくて桜が浮き出てくる。このほうが落ち着くのではないかなぁ と思った。作品は先生のほうがはるかに素晴らしいが。
今日、NPO法人の解散が決議された。一つ手放した。意地になってこれでもかこれでもかと自己主張したものはやはりほっとするものではない。組織としてはしっかりしていたが、手放してよかった。これが私よ の生き方は、早く捨てようと思う。どこにでもあるようなもののなかに安らぎがある。早く気が付くのだった。善意の押し売りに「うるさい!」と感じさせてしまったのだろう。申し訳ない思いだ。
明日から、忙しいのだが、もう一度桜を見に行こうと思う。例の牡丹餅が私を誘惑している。これが甘くなくて何とも言えなくおいしいのだ。