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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

あれから

2019-09-30 17:50:55 | 日記

明日は10月だというのに、暑い。暑さのせいかなんとなく体がだるい。いろいろなことが入ってくるが、自分が呼び込んでいるのかもしれない とも思う。昨夜のNHKスペシャルは「美空ひばり(AI)が新曲を披露」一夜限りのコンサートだった。既成の曲をAIで歌わせるのではなく、没後30年を経た美空ひばりが『新曲』を歌うというのである。イメージがつくようなつかないようなまま、番組を見ていた。

NHKによると『NHKやレコード会社に残る膨大な音源と映像、そして最新のAI技術によってよみがえらせる試みに挑む。AIはひばりの超人的な歌唱力や表現力を数値化。さらに歌唱中の目や口の動きを抽出し、4Kの3Dホログラム映像で等身大のひばりを出現させる。』そうだ。AIを駆使しきったという感じの制作現場だった。それでも第1作目は「人工の歌声の感じ」という評価。そこからさらに分析が始まる。生前の最後の曲『川の流れのように』を作った秋元康がたくさんの曲から選んだ曲に詞をつける。天童よしみが振り付けを、森英恵が衣装を担当してAI美空ひばりを作り上げていく。

「あれから」とはいつから?あなたとわたしの「あれから」はいつ始まるのだろうか?ひばりさんが亡くなられて30年・・・。曲は「あれからどうして生きましたか?」とひばりさんが問いかける。その声の伸びはまさにひばりさんだった。一拍おいたような高音はまさにそうだ。一つ一つのことばに重いがある詞だ。「生きるということは、別れをしるということ」

番組を見終えてから、妙な気持ちなる。AIが甦らせたのだろうか?最先端の技術で甦ったのであろうが、それを超えたなにかがあるような気がする。今朝、You Tube で聞きなおしたが、さらにひばりさんが歌っていると感じる。さまざま意見があるかもしれないが、甦ったひばりさんからのメッセージを受け取ろうと思う。

「あれから」・・・・・。

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中島みゆき 糸かな

2019-09-29 19:51:31 | 日記

久しぶりに夜道を歩いた。と言っても、7時である。夕闇が立ち込めるのが早くなった。今日は福井の芦原温泉の先の福井テクノポートまで出かけた。長浜に来てから、福井県へ行くのは、初めてだった。電車では2時間半もあれば行くことができる。でも、長浜より先は駅の近くでも灯りがない。さびしい駅ばかりだ。長浜にはやはり、どこか華やかさがある。

北陸道の脇には、田んぼがあり稲刈りが済んだところとまだの所がある。そして、ソバの畑には、白いソバに花が一面に咲いていた。なんとなくさびしい感じだ。石川県から湘南へ嫁いだ人が、特に冬の空が明るくて、洗濯物を干せるのが嬉しかった と言っていたのを思い出した。生まれ育った所で、随分違うのだなぁ と思った。今日は静岡来られてチームの人に、出身地を聞かれた。話しをしていると、同じ文京区生まれで、それも丁目が3丁目と5丁目の違いだけだった。まさか、福井で静岡の人と、日暮里の谷中銀座の話などするとは思わなかった。

NPOの仕事をしてたくさんの方に出会った。来年で10年経つが、信じられないようなことだ。仕事で出会った方は本当に多い。まぁ、それだけ仕事を転々としたということかもしれない。でも、この頃思う、これは偶然ではなく必然なのだと。よ~く考えてみると、不思議な縁がある。そういう人生のいたずらはキリスト者としては、かみさまのいたずら(成せる業)のように思う。

長浜の夜道は明るいが、荷物が重いと家路は遠い気がする。出逢えたのは、一生懸命生きたからだ と思えるようになった。それでなければ、こんなドラマチックな出逢いはないと思う。今、最高のしあわせを手にしている。(写真は敦賀湾)

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おまえのなかに生きとる

2019-09-28 19:07:40 | 日記

明日出かける用意をしなくてはならず、ラグビーの試合は見ないでいた。パソコンでLive を見ていた。これは勝つ! と思ってTV観戦になった。アイルランドに勝った。インタビューで、自分達以外はだれも信じていなかっただろうが、自分達は勝つと信じていた と話していた。その信念の勝利のような気がする。

朝ドラ『なつぞら』が今日で終わった。朝ドラらしい終わりかたでほっとして、前に進めるのではないだろうか。泰樹おじちゃんのなつへの一言「わしはもう、お前の中に残っとる。お前の中に生きとる。それで十分じゃ」はそうでありたいと思う言葉だった。村上龍の小説「心はいつもあなたのもとに」を思い出した。

読んだときは、なにか中途半端な気分だった。資ファンド会社の経営者、家庭があり二人の娘もいる。おおむね仕事も順調で、潤沢な資金も財力もある。その主人公が風俗嬢との交際をメールのやり取りを中心に描いていく。彼女は型糖尿病を患っている。その交際の中で、彼女は変わっていくが入退院を繰り返すようになる。非常に恵まれて主人公であるがゆえに、おそらく村上龍が伝えたかったことがわかりにくかったのかもしれない。まぁ、そういう二人でないと小説は出来上がらないが。

"I wiii always be with you,always"とタイトルがついている。さまざまなものを持っている男だから(仕事、家庭、遊び・・)「そばにる」という言葉の意味があるようにも思う。残ったものをベンチという形にしたが、それはそこに生きているという表現なのかもしれない。

私以外のだれも信じないだろうが、私の傍にいつもだれがいると信じている。

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おばあちゃんの台風ショック

2019-09-27 19:28:56 | 日記

なんとなくぶろぐもリフレッシュしたかったです。取材で首都圏へ出かけタブレットからしか投稿できず、写真がありませんでした。都内の駒沢運動公園に行きました。台風の爪あとは大きく、かなりの量の枝が折れていました。ぎんなんや椎の実もたくさん落ちていました。今年はどこでも彼岸花が咲かないと言っています。駒沢公園までの道で甘い香りがしました。すれ違った女性の髪の匂いかと思いました。公園内で気がつきました、「金木犀の香」!と。香りは薄いです。季節がおかしくなっています。

台風の被害は様々でした。災害のお見舞いに行った鎌倉のがけ崩れは想像以上でした。もう、道に崩れ落ちた土は取り除かれていましたが、どう処理していいのか決まらないらしいです。上のほうは宮内庁の管理、真ん中あたりは、地主さんがいるということです。自衛隊が来て処理はしましたが、ただ通れるようにしただけ といいます。地主さんの許可なしになにかすることはできないそうです。

その坂道の上に住むおばあさんは90歳、お元気ではあります。息子さんと同居していますが、息子さんの会社も被害に遭い、その対応で帰宅できず。坂道の上の大きな家。隣に1軒。その奥に1軒また大きな家があるだけ。道がふさがれたので、各家にある下の家に降りるはしごを使って移動。足が悪いおばあちゃんは降りられません。ガスはプロパンガスなので使え、水道も出たそうです。電気が通らず5日間。お風呂は沸かせません。ろうそくを頼りに暮らしたそうです。裏は山ですので暗いです。冷蔵庫のものは3日間で全部ダメ。

お尋ねした日、いつものように食事を用意しておばあちゃんは待っていてくれました。いつもの迫力?はありません。それと大丈夫といいますが、メンタル面はバランスが崩れたようで、いつもと違いました。不安が大きかったのでしょうね。電話も携帯も通じませんでした。

災害はまず物理的な修復も大事ですが、メンタル面のフォローも大事だと思います。特にご老人のそのときの恐怖心のようなものは大きいようです。どうも日本はその辺が遅れていいるようです。あの鎌倉の坂道のきれいな紅葉は今年はだめかもしれません。自然災害を防ぐためにできる最低のことは、考えないと・・・。

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針仕事に思う

2019-09-23 18:26:00 | 日記

台風は被害もなく過ぎていった。昼間は蒸し暑く、夕方はひんやりとした空気を残していった。1日中、化粧をしないで過ごした。肌もほっとしているだろう。ということで、夕方になって買い物に出かけた。大家さんが庭仕事をしている。だんだん庭がきれいになる。今は、コスモスが揺れている。彼女と私は似ていると思う。忍者のような格好の彼女と銀行ギャングのような格好の私。世を忍ぶ二人のようだ。雲の流れが速く、夕焼けがうつくしい。

久しぶりに針仕事ををした。というほど大ごとではない。作ったクッションカバーを洗ったので、口を縫うだけだ。毎日やらなくてはと思い、夜なると億劫になる。さいわい、まだ針に糸は通せる。チクチクを縫物をしていると、針仕事も愛情だなぁ と思う。母親になった気分だ。娘がいたら、簡単なものは作ってあげただろうな・・・。洋服屋の家には針でも糸でも売るほどあった。子供のころは、靴下でも繕って履いていた。そういう時代が妙になつかしい。なにかをいとおしむことができる。毎日、履いているクス下でも、着ているシャツでも。

お金を出せば、新しいものがどんどん買える時代になった。考えてみれば、当時は天然の素材で下着でも長持ちがした。シャツのボロは雑巾にもなった。希林さんのいう「使い切る」時代だった。使い切るからものに愛情がわく。そういうことなのだろうな。使い捨ての時代を生きてしまったが、あと少しの人生はものを大事に使い切っていこう と思う。

明日からはまた関東へ出かけないとならない。この家にいると、生まれた家で生活しているようで落ち着く。隣のおばあちゃんが里芋でも煮ているような匂いがする。一人はちょっとさびしい。

 

 

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