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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

こころの芥

2016-08-31 12:15:39 | 日記
 8月に台風が東北に上陸して、北海道にまで被害が及ぶとは・・・。自然災害は避けられないとはいえ、海水温の上昇などは人間の責任のように思います。昔も8月、9月は台風が多く来たような気がします。台風が接近すると、祖父や父が雨戸を打ち付けて、台風が接近すれば、2階の部屋には雨漏りで、洗面器やバケツが並んだものでした。台風が去ると、屋根の瓦のづれをなおしたり、庭の定入れをしたり大変でした。

 台風の接近でなにか眠れない夜でした。心がほんの少しだけ、ささくれだった感じです。

「いつくしみ」と「許し」という言葉に反して、私の心には「疑念」が湧いています。処理しても処理してもなかなか取れないこころの芥です。そういう心でひとと向かい合うのが申し訳ない気持ちです。

 心身のバランスが崩れたらしく、整骨院でマッサージ治療を受けると身体は重症だそうです。自分では気づかないものなのですね。こころの芥取りは誰にもあるここと忘れて、まずは休養のようです。台風一過の青空は秋の空。そろそろコスモスの季節です。

 
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夏の終わりに

2016-08-28 13:17:25 | 日記
 8月も終わろうとしている。ここからがあっという間に冬になる。家にいることが多く、夏らしい気分にはなれなかった。せめて夏の終わりに海を見たいと思った。鎌倉の教会へ出かけたついでに材木座の海岸へ出かけた。狭い道をバスに乗って材木座の海岸へ着いた。家並も古いまま残っているところもある。懐かしい。まぶしい海が見えた。

 材木座のバス停の前に光明寺がある。ちょうど昼時で暑い、竜安寺の石庭のような庭がある。まさに静けさや岩にしみいる蝉の声 だ。お御堂でしばらく静かな時を過ごす。

 風がどこか秋めいている。夜は虫の声が聞こえる。つらい夏だった気もする。夏の終わりに、また課題がきた。9月再度網膜剥離の手術になった。へこんでもいられない。前に進み出した。強い女になったのか?いや、昔から強い女ではなかった。あちこちに摑まりながら生きてきた。今はとくに摑まるものが強いから前に進めるのだろう。

 
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こころの旅

2016-08-24 14:18:16 | 日記
 台風一過の蒸し暑い日。やっと母のもとを訪ねることができた。JRの駅からバスで入らなくてはならず、いつも不便を感じている。バスを降りて歩き出すと、白日夢の中にいるようだ。朦朧とするような空気の中で、「ここは何処?」いや「私はだれ?」という感覚になる。今という時間だけを生きようと思うと、本当に何もなく、自分が誰なのだろとさえ思う。認知症の母が不安になるのはこのような感じなのだろうか。

 今日は、母の内科のエコーの健診だった。検査を待つ間、先生の趣味であろう『サライ』の京都シリーズを読んでいた。「京都の紅葉と塔」の写真はすばらしかった。目の中に、真っ赤な情熱が飛び込んでくるようだ。そして、その背景にある塔の姿とのコントラスト。幻想的な写真を見ながら、聞こえてくるBGMのオルゴール曲が気になった。なんの曲だったか思い出す。あるフレーズが来た。「ああだから今夜だけは君を抱いていたい・・・」チューリップの「心の旅」だった。懐かしい曲だ。

 遠く離れてしまえば 愛は終わるのだろうか。いや、ポケットに詰め込んで旅に連れて行ってほしい。本を戻していると、主治医の院長が出てこられて、にこりと笑われた。

 

 

 
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目覚めた時には

2016-08-22 21:14:37 | 日記
 今日は目覚めたときには、台風の影響で土砂降りの雨でした。「目覚めた時には,いつでも晴れてた・・・」という古い古い歌があったような気がします。。

 目が覚めると、すぐに右目を押さえて左目でものが見えるか確認します。右目と左目は見え方が違うのですが、ともかくともかく見えるということで安心します。目が覚めて、こんなことをするようになるなんて。でも、目覚めた時には、大雨で車が流せれていたとか、床下浸水だとか、熊本城のように石垣が崩れていたとか、自然災害は待ったなしでやってきます。

 でも、そんなマイナスのことを考えるよりは、目覚めたときには、どうならいいのかなぁ などと考えるほうがいいですね。目覚めて、カーテンを開けて緑が目に入ってきたらいいなぁ

などとも思います。本当は一戸建ての家で庭に出られるような生活がいいのでしょうが、年を取るとマンション暮らしの方が安全なので無理な願いなのかもしれません。。自然に囲まれて目覚めるのはいいですね。「目覚めた時には・・・・」いつでも・・・ などと思っています。

 
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親の期待

2016-08-19 20:20:37 | 日記
 オリンピックの感動が届く。インタビューを聞いて涙することがある。吉田沙保里が銀メダルだった。「金メダル」期待への重圧は想像以上だったのだろう。試合後家族への第一声は「お父さん、ごめんなさい。お父さんに怒られる」だった。しかし、お母さんのインタビュへの答えが素晴らしかった。「霊長類最強と言われても娘は人間です。いつかは敗れる時がくるのです」と。

 多くの選手が親兄弟の期待を背負っての出場なのだろう。「親の期待」は、どの家族にもある、子供にとっての大きなトラウマだと思う。私自身も最近までそれを背負って生きていた。そうとは気がつかなかったが。母は、ほとんど私をほめることがなかった。だから、ほめられたくて頑張ってきたのだろう。母との確執もそんなことがよじれねじれたもののように思える。

 母は認知症が進み、1日行っていた小規模多機能住宅のこともわからない。家に戻ると、家にいる自分はわかっても前の記憶がないことが大きな不安となるらしい。その不安から病気になる。母に毎日朝・夜電話するようになった。私とのつながりが、母の唯一の存在確認なのだろう。不思議と母は私が目の手術をしたことは覚えている。ただの「母」と「娘」だけの関係になった。母の私への期待は何もない。母にとって大事なことは、私が元気でいることだけだ。生まれてきたときも、きっとそう思ってくれたのだろう。私は、ほとんどの「期待」から解放され、のんきな女になった。

 
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