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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

「待つ」は「望む」

2020-11-30 17:28:09 | 日記

朝方、かなり冷え込んできた。室温はそれでも10度は下らなかった。これが一桁になると寒い。なんで暖かい湘南からこんな寒い所へ来たの? と言われるが、あまり気候は問題なかった。寒ければ着こめばいいと思っていた。どちらかと言えば、12月生まれなので寒さには強い。今年は寒くなるという。雪どけのシャベルはあるが、長靴がない。まず、今年はこれを揃えないといけない。貧乏ケチケチ人生で暖房はこまめに消しているが、寒さで血圧が上がって具合が悪いのでは と朝夕は暖かくしている。重い灰色の空と時雨にも慣れた。そろそろ2年の歳月が過ぎようとしている。

我が家は夜は電波状況が悪いので、朝にオンデマンドでドラマを見る。今は、「昭和元禄落語心中」だ。今日は、朝から泣かされた。古典落語の人情噺「芝濱」がいい。夫婦の愛情を温かく描いた落語だ。大みそかの演題だという。寄席もなくなっていったし、TVやラジオの放送もなくなった。いまこそこんな人情噺の落語をきてほしいなぁ と思った。もちろん、ドラマ自体も人情噺だ。岡田将生と山崎育太郎がうまい!

時を「待つ」ということを思った。「私、待つは、いつまでも待つは・・・」なんて歌もあったが、今日読んだ言葉に、「待つ」と「望む」とスペイン語では同じ言葉とあった。そうだなぁ、「待ちながら望む、望みながら待つ」か!そこに「希望」があるから待てるんだなぁ。そう、希望とは「信頼」だ。

今日はクリスマスの飾りつけをした。1年前に買った木が一回り大きくなった。(あまり大きくならないよう鉢を小さくしているが)天国に召されてしまう時期まででも「待とう」と思って、飾ってみた。

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宗教のお話がすき焼きの話へ

2020-11-29 18:56:05 | 日記

夕食に何を食べようか と遅いランチを食べながら思った。順番では「さかな」なのだが、肉が食べたい。ああ、疲れているのだなぁ と思う。それとも、先ほど見たジャパンカップのアーモンドアイの馬体と素晴らしい走りだろうか。無敗の3歳馬を振りきって5歳の牝馬が引退レースを飾った。たまたま見たレースだったが、久しぶりに競馬の醍醐味を味わった。

疲れの原因は、今日の掃除だろう。朝からお掃除に専念。(というほどきれいではないが)そして、教会での落ち葉掃き。祭壇の飾りつけが済んでいたので、時間があり外に山となっているイチョウの葉を、棒のような竹ぼうきで30分近くはいた。腕が痛くなった。そして、ツリーの飾りつけをした。地味な飾りつけだが、そのシンプルさがよくて、そこにいた5人で喜びを分かち合った。

そしてごミサは韓国に帰られる神父様だった。カトリックは「神父」さまで、プロテスタントは「牧師」さまだ。神父様は妻帯が許されないが、牧師様は許される。女性の牧師様もいる。教会に入って、マリア像があるのはカトリック教会、プロテスタントの教会はシンプルでマリア像はない。今日は、神父様が「結婚」の話をされたので、思い出した。帰り道にふと思った。悪い意味ではなく、「結婚」は「欲」があると。生涯をこの人と共にしたいという独占欲もあるし、子孫を残したいという欲もある。

ああ、欲がなくなると・・・。「こころ」よりも深いというのか人間の根源のような「ソウル(魂)」の結びつきになるのか・・・。

今日は一人すき焼きにしよう!えっ、宗教の話、ソウルの話からすき焼きですか!まだ、食慾は健在!

 

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ニャンニャン、ワンワン、ママか!

2020-11-28 17:36:37 | 日記

北風が冷たい日だ。琵琶湖畔のホテルまで、お友達に会いに出かけた。少し早めに出かけ湖を見たが、白鳥は来ていない。風をよけているのだという。ホテルでの待ち合わせはSさん。純粋女子シングル会の代表と自称するたくましい女性だ。陶芸の展覧会で知り合えた女性だ。女性の一人暮らしでも、子供がいる人といない人ではやはり意識が違うという。彼女自身、父親を亡くし、母親とは絶縁状態、弟は海外で音信なし、独身をとおしている。瞳の大きな美人さんだ。

話は違うが、隣の猫ちゃんが我が家に遊びに来て、プランターに植えた球根を掘り出してしまった。仕方なく、2階にあげて昼間は屋根に出して日に当てている。「今年のね、球根はタキイから取ったので少しお高いのよ。いたずらしないでね」と独り言を言う。これが2階ですくすく芽を出した。朝と夕方では芽が長さが違う などと満足している。一番伸びたのは5センチくらいになった。「育てる」楽しみを味わっている。

「育てる」楽しみと言えば、メダカもそうだ。影でわかるのか、えさをやる時間には集まってくる。メダカ密度の高いほうは、生存競争が厳しいらしく跳ねて喜んで食べている。低いほうはのんびりと水面に上がってくる。そして、大きくなった!

これがニャンと言えばさらにかわいく、ワンと言えば、うちの犬は賢い になり、ママと声を出せばうれしくてたまらないだろう。(ばあばはもっとうれしい)

子育てをしなかった。「ママ」もなく、憎まれ口もなかった。だから・・・。「子育てをしていないから忍耐がない」などと言われたものだ。でも、私はそのことでかたくなになることはなかった。6組に1組の夫婦が不妊治療を要しているという。私にはよくわからない。でも、球根でも一緒に育てれば、それで、いいような気がする。

 

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白鳥のように波に乗って

2020-11-27 17:19:39 | 日記

『白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ』(若山牧水)琵琶湖の碧いしい水面を見ていると、そんな和歌を思い出す。でも、白鳥は、「かなしからずや」ではなく、ぷかぷかと鴨たちと一緒に浮いている。波乗りをしているようで楽しそうだ。

先週くらいに、朝起きると頭がもあーっとしていた。前にもなったので、これは血圧が上がった と測ってみた。血圧計が壊れているのではないかと思うくらい高かった。これはストレスか?和食の料理が多く塩分取り過ぎか?寝不足か?などと思った。1週間、気を付けていたら、段々正常値に近づいてきた。そして今朝、正常値に戻った。ストレスの2つのお断りができたからだろう。なんともひ弱な精神だ。これでもう大丈夫だろう。

11/22は、「いい夫婦の日」でご夫妻で旅行や食事に出かけられた方たちが多かったようだ。お一人さまでも、ディナーが安いとお友達と出かけていた。そんな日の、神父様の聖書の解釈のページを見た。神父様は結婚講座や信者さんの結婚に関する悩みを聞いているという。その神父様が「うまくいっているカップルもあればあんまりうまくいっていないカップル、非常に難しいカップルもさまざまですが、でもわたしはもうどれがいいとか悪いとか、どれが成功した結婚でどれが失敗した結婚とかまったく言えないというかですね・・・」と話されている。そのあとは、「全ては神の御心の中にある」だった。

何かこの言葉がすべてを救ってくれた気がした。そして、自分の欲がほとんどなくなった。それは誰かと何かと自分を比べないことだろう。あの白鳥の親子たちのように、風が強く波があっても、ぷかぷかとその日を楽しむことのように思えた。

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コロナウイルス 感染に思う

2020-11-26 17:50:55 | 日記

この時間になると、各県のコロナウイルス感染者の情報が入ってくる。東京都の重症者数も60名という。東京の状況が昨日私が京都の観光地でみた状況と同じかどうかは判断できないが(私も出かけていたので大きなことは言えないが)、若者が多いことと65歳以上と思われる人が多いこと、そして外国の方も多いことだ。平日だから当然だが、これは感染が拡大する構図では と思った。若者たちも65歳以上も密を作り、大きな声で話している。外国の方と思われる方は1/4しかマスクをしていない。そして、観光地を多くの人が食べ歩きをしている。入場制限がある見学だったが、手の消毒はいいが、検温はセルフでうまく体温計が機能していなかった。だれも係の人はいないので、フリーパス状態。たまたま、私の出かけたところがそうだったのだろうか。医療関係者が必至で病床を確保したり、その治療に当たっているのに・・・。その努力がどんどん手からこぼれ落ちていくようだ。このままでいいのか!

今日は2つの決断のメールを出した。一つは前から触れているNPO法人の解散のお知らせだ。気持ちが熟して素直に伝えられるまで待った。「私も自分の生活を大事にしたい」と。この10年間、犠牲にしてきた時間と空間。この年になると、それを続けることが難しくなる。もちろん、キリスト者として社会貢献はしていきたいが。そしてもう一つは個人的なことで、10年間も社会貢献事業と言いながらも、税務申告をしていなかった人に依頼された経理はみることができない というお断りだ。シニアサッカーでお世話にもなっているのでだいぶ悩んだが、間違いは間違いだし、その方棒は担げない。

「マザー・テレサ」の祈りの言葉がある。「主よ、きょう1日、貧しい人や病んでいる人を助けるために私の手をお望みでしたら きょう、私の手をお使い下さい」と足を、声を、心をと続く。私はこの祈りが大好きだ。が、このマザーテレサも、貧しい人たちのために働くとき、自分で限度を決めていたという。ある所へ来ると、きょうはこれ以上神のために働けません、といって活動を中止した という。

活動を続けるために、何が必要なのか、人の力は無尽ではない。自分の時間と体力を基準に、私もずるいが活動をやめた。そして、もう一つは自分の人生の「質」を守るためだ。私の人生の質は、私の大事な人のためにある。写真は崩れゆく京都の「わび・さび」きれいな庭にカラフルな傘があちこちに置かれている。華やかな花の飾りもある。

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