夜中に目が覚めたら、1時半だった。音で目が覚めたのだが、どうも隣の洗濯機の音らしい。長屋らしい出来事だ。この時間の洗濯は息子さん(65歳くらいらしいが)。朝、5時半頃の洗濯は時々年が変わるおばあちゃん。どちらかにしてほしいが・・・。探し物は寝る直前にみっかった。まず、2階で使ったいなかったらしい。そして、保護色でわからなかった。仏壇の横にへばりついていて、正面からは見えなかった。やはりあきらめた頃にみつかる。買わずに済んだのでよかったが、今度はマウスの左クリックがいよいよばかになった。コードレスにしようと思って我慢しいた。今日は晴れて買える。
先週だっただろうか。雨風が強いとこの家は電波の状況が悪くTVが入らない。さほどTVを見ないのでいいのだが、なんとなく雨降りはさびしい。一つ関西テレビが入ったようだ。なんという番組かわからなかったが、樹木希林さんの思い出を、浅田美代子さんと安住アナンサーがたどっていた。ものも人生も使い切る という希林さんと買い物好きな裕也さんが一緒に住めるわけがない と話していた。でも、二人は私の想像以上に接点があったように感じた。希林さんは不動産をたくさん所有していたようだが、それもやはり裕也さんのためのように思う。彼のための部屋をいつも用意していたようだ。「どうして、俺の部屋に風呂がないのか?」とお風呂には入らない裕也さんが希林さんに言うところなどは、完全に甘えているようだ。
私もこの頃はものも使い切る(壊れる)までは買わないことにした。掃除機がコードレスにしたいが我慢している。同じものも2つはかわない。(口紅など)衣類もそうだ。一つダメになったら買うようにしている。今、お金も無いことはあるが、以前はそれでも買っている時はあった。ありがたいことに価値観は変化した。大事に使うということ。
希林さんは、裕也さんを中心に動いていた気もする。彼がいたから、いい仕事ができたのだろう。それに堂々と裕也さんは甘えていたのではないだろうか。身の回りの世話をする女性はいたようだが、そんなものを越えたつながりがあったのだろうな。これは私の個人的な見解だが、希林さんは裕也さんのために愛情を使いきって亡くなったのではないだろうか。だから、裕也さんもあとを追うように亡くなった。そんな人生がいいなぁ。