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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

キャリーバックとイヤフォーン

2013-09-28 01:48:04 | 日記
 最近はキャリーバックを利用して旅行する人が多い。どうも私はあれが苦手だ。この頃は海外旅行も国内の長期旅行もないので、旅行はバックに決めている。旅に出るというのは私にとってはガラガラ引っ張って歩くキャリーバックではないのです。バックを「よいしょ」と持って出る時が旅に出るという感じだから。帰りに重くなれば、宅急便でバックを送ればいいと思っている。同じように、イヤフォーンで音楽を聴くことが好きではない。音楽は自宅でソファーに座ってスピーカーからの音量を可能な限り大きくして聴くものだ と思っている。体で聴くというのか。だから私はおばさんなのだ。離婚して間もない頃、知人が事務所を貸してくれた。そこにあったCDをよく聴いていた。来生たかおのCD。「夢の途中」

『スーツケースいっぱいつめこんだ 希望という名の重い荷物を 君は軽々と きっと持ち上げて 笑顔みせるだろう 』 スーツケースじゃなくて布と革でできたクラシックなバック。イヤフォーンで聴いたのではダメな音楽でした。

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畑焼き

2013-09-24 11:41:59 | 日記
 「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、夕暮れも早くなり、最近短くなった「秋」を大切に感じています

『菊の香や奈良には古き仏たち』うつくしい仏の顔と菊の香りが秋の景色を感じさせますね。

連休に福井に参りました。久しぶりに見た日本海。懐かしさがこみあげてきました。サンダーバードなど特急が走り便利になりました。帰りの電車の車窓から見た畑焼き。暮れていく平野に煙が立ち上ります。夕暮れの墨絵のような風景の中に見た炎が印象的でした。作物の枯れ残りや枯れ草を焼いて灰を肥料にしたり害虫の予防のためにするそうです。

秋の旅愁。読んでいた三島由紀夫の「豊饒の海」。輪廻転生。この心の底に燃える熱い想いは誰に(何に)生まれ変わるのだろうか。暮れゆく秋はすこしさびしいです。


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宝もの

2013-09-20 14:32:43 | 日記
 爽やかな風が心を掃除してくれ、美しい月を愛でることができます。今日は1年に一回の健康のためのイベント、胃カメラでした。K大学病院のS先生が主治医です。胃が夜中に痛んで眠れず、心身ともに疲れた時に診ていただきました。いつも診察を受ける時に思うことは、もし私になにか大変な病気があっても、この先生にすべて任せよう ということです。たとえそれでもしものことがあっても、S先生が診てくださるならOKということです。我がまま患者の私は、S先生ではないと胃カメラはしませんと言っています。それは先生がとてもつらかった時期に「大丈夫、僕が必ず治すから」とおっしゃってくださったことからです。S先生がいらしてくださることは、なににも(お金など)まして安心なのです。先生を見ていますと、医師という仕事は、時間を削る、つまり「いのち」を削るお仕事なのだ と思うのです。そんな信頼が私の「宝もの」です。

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来世も

2013-09-16 15:56:08 | 日記
台風が数十年に一回という大きな被害をもたらしました。嵐山の渡月橋の映像にはびっくりしました。今年の自然災害の多さ、大きさには「どうしたことなのか?!」と思わずにはいられません。

そんな折の敬老の日。65歳以上の高齢者が25%を越えたそうです。調度、愛知県刈谷市で行われた60歳以上のサッカー大会の帰りの新幹線ニュースで知りました。お会いした91歳のサッカー選手。70歳代の選手たちはとんでもなく元気です。そんなみなさんとの懇親会で、いままで流した涙の分のお返しか、しわの心配をするほど『笑い』を頂きました。そう、笑うのが一番です。
今日の新聞の広告『シルバー川柳』。笑いました。『来世も一緒になろうと犬に言い』『お医者様 パソコン見ずに オレを診て』『AKB わしらはこれよ AED』 いいですね。
写真の紫色のシャツの方がストレッチする91歳の方です。
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十六夜

2013-09-12 23:04:35 | 日記
月が美しい季節になりました。空気が澄んできたのでしょう。和歌に多く詠まれてきたように、月はロマンチックな思いにさせてくれます。「あの人もこの月を見ているのだろうか」と思うと。

三島由紀夫の『春の雪』を読み出しました。4回目になるでしょうか。やっと三島の華麗で重厚な文章にも耐えられえるようになりました。月を見ながらあの聡子の情熱というか何かを狂わせるような濃厚な部分を感じるのです。そして私の中にもまだ流れているそんな妖しい情熱に戸惑うのです。ただ年を重ねただけ、十六夜の月なのです。戸惑いながら、躊躇しながら、でも確実に心の奥ある想いを雲は隠してくれるのでしょうか。想いを聡子は仏に、私はイエスに向けてただ祈るのでしょうか。祈りとはより純化された愛なのかもしれませんね。

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