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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

 年の瀬の風景

2017-12-30 22:38:33 | 日記
 新年を迎えるというのに、家の中は泥棒が入った後のようです。今日は、母のところへ持っていくものの準備と泥棒あとの片付け、そして買い物。久しぶりに3つのことを同時進行。まだ出来ると妙にルンルン。暮れの町に買い物に出て思うことは、暮れの景色も変わったなぁ です。30日からお正月の準備が始まる感じです。28日まで働いている方が多いとそうなるのかもしれません。

 私の中の暮れの原風景は、おせち料理の準備と大掃除です。障子の多い家だったので、障子貼りは大仕事でした。このときだけは、先に障子を破ることが許されました。湯沸かし器も無い時代なので、お釜や大きな鍋でお湯を沸かしていました。桟を丁寧に拭いて、母と祖母が上手に障子を貼りました。畳も上げていた気がします。一夜飾りはいけないといっていましたから、28日には掃除が済んでいたのではないでしょうか。神棚や各部屋や台所にお供えがおかれ、祖父が大事にしていたお屠蘇のセットや雑煮椀がだされ、母が大事に拭いていました。父は、都電に乗ってお菓子を買いに、そう、みかんも箱で買っていましたね。お餅を切るのは、祖父の仕事でした。実に正確に同じ大きさに切っていました。祖母は、おせち料理をお重につめてお雑煮の材料を茹でていました。父は鰹節削りの当番で出汁用にたくさん削り節を作っていました。

 まだまだ思い出すことがある年の瀬の風景。そんな暮れを体験できてよかったなぁ と思うのです。ゆったりとした時間が流れて、家族の時間でもありました。お風呂に入って、新しい下着やお正月の服を枕元において寝た日。お正月を迎える喜びの時間。いい時代でした。

  

 
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 今日、このことを

2017-12-29 22:48:51 | 日記
 もう休もうと電源を切ったパソコンを起動させた。疲れすぎた自分がもう一息と声をかけた。朝 パソコンを立ち上げたときから、私の時間は半日以上消えた。断れば断れたのに・・・。それが出来ない。行けば喜んでくれるだろう と思うと出かけずにはいられない。ほとんどのことはそうだ。しなければそれで済むことなのに。でもね、相手のつらいときにはせめてできることは と思う。

 そんな人生に暮れになると疲れるのかな。だれかたまには私のためにしてくれたら・・・。そう思いながら、今日このことをしなくてもいいかもしれないこのことを してしまうのだ。今年もまた。

 
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 前世は?

2017-12-28 23:06:21 | 日記
 痛かった背中、肩、胸がだいぶよくなった。昨夜、さすがに痛みがひどいので、よく効く消炎剤を塗りこんだ。これはちょっと秘密の消炎剤で臭いも強烈で、塗るには覚悟がいる。1時間ぐらいで回復してくるのがわかる。今日の午前中に、一応外ヘ向けての仕事は終わった。もちろんまだまだしなくてはならないことはあるが、年内はここまでと決めてあった。ほっとすると、お祭りのあとのような寂しさがやってきた。

 作った冊子の中に「前世」に関する本の紹介があった。この本は、きちんとした研究追跡によるものだった。そんなに難しいことでなく、面白い話がある。私はよく比叡山に行く。根本中堂で静かに時を過ごすのが好きだ。大原へも出かけるが、そのとき昔このあたりに住んでいた気がした。そんな話をすると、そこは尼寺だったそうだ。ここからはその人の想像で「前世は尼さんだったのではないの。そこへ比叡からお坊さんが尋ねてきてたのよ」と。あなたならそういうことがあるかも といういい方だった。もう一つの話は、15年前だろうか、私のところに遊びに来るある宗教を信じていた人が、何の話からかは覚えていていないが「きっと私たち二人は、前世では十字軍の負傷兵に包帯を巻いたりしていたのよ」と言った。彼女のカトリック者でもないし、私も洗礼は受けていなかったが、妙に納得がいったのを覚えている。尼さんか?キリスト教徒で看護婦か?

 たまにデジャヴ(既視感)に襲われることがあった。はじめての場所を以前行った気がするようなことだ。原因は明らかでないらしい。視覚や記憶の作動によるものらしいという説があるが、いずれにしても人の感覚には、解明できないことがある。だから、前世のことも記憶のどこかの部分に誤作動が残ったのかもしれない。

 前世は比叡山の僧を誘惑した尼なのか、負傷者を介抱していたキリスト者の看護婦なのか?後者のような気もするが・・・・。尼も悪くはないな。

 

 
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 ぶろぐ

2017-12-27 22:19:36 | 日記
 ぶろぐを書くのが日課となった。好きなことを毎日のようにただ書いている。実のところ、どなたが読んでくださっているのかわからない。会話の中で、ぶろぐを読んでないとわからにようなことがお話にでてくると、えっ!と一歩ひいてしまう。(やばい!)でも、このごろは開き直って書いている。なんと思われてもいいのだ、所詮、こんな人間だし、だれも身内がいないのだから困ることもないだろう。

 「いのち」という冊子が完成しそうだ。呼吸をすると痛いくらいの肩のこりだが、なんとしても年内に完成したいとがんばってしまった。でも、こうしていると自分はへたの横好きでも、編集が好きなのだと思う。そこに自己表現を求めているのだろうか。

 大学進学のとき、周囲は薬剤師がいいと、私は高校に入ったころは外科医になりたかった。もとは理系の人だった。それが大きく人生を間違って「演劇学」などを学んだ。その延長が、脚本を書くことだった。しかし、脚本は向いていなかった。演じるほうがよかったから、うまく文章にはできなかった。もともと理系の人、文章は上手くないのだ。ただ、自己顕示欲の強い私は、自分のダメさも宣伝したかったのだろう。こんなでいいのよ と。

 今年もあと4日。予定はほぼ完了。不思議なくらいにうまくいっている。毎日、いろいろな思いが交差する。特にご病気の話はつらい。神さまにお祈りすることが、たくさんになる。できることは、祈ることとへたな文章を書くくらいだ。 

 

 
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止まない雨はない

2017-12-26 23:56:35 | 日記
 クリスマスも終わり、いよいよカウントダウンとか。家のことは特にお正月の準備はないので、お掃除くらいが暮れの仕事です。ラストスパートのように年末のご挨拶のお葉書書きとメールの配信をしたら、背中だけでなく胸まで痛くなりました。やはり年なのです。でも、達成感はありました。まだまだ、パソコン仕事が山のようにあります。

 1年前のブログの内容をメールで知らせてきます。昨年は『26日のクリスマスケーキ』でした。そうか、やはりこんな幸福感を味わっていたのだ と思うのです。一つ一つ積み重ねてきた幸福感。手にするには、なんと時間がかかったのでしょうか。

 ずいぶんいろいろなことがあった人生でした。自分の力ではどうすることもできないことが3つくらいありました。そのたびごとに、自信を失い、萎縮して、不信感の強い人間になりました。でも、私だけでなく、みんなそんな人生なのだ思うのです。ドアを開ければ、外からは見えないものが見える。

 「止まない雨はない」その言葉を信じて生きたという人がいました。気が付けば、私の心にも大きな青空が広がっていました。せめて私のできることは、そんなことを伝えることだ と痛い肩をかばいながらパソコンに向っています。

 

 
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