gooブログはじめました!

あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

かもめが女になれた!

2019-11-30 18:43:04 | 日記

朝、信州のと友達からリンゴが届いた。一番おいしい時期送ってくれる。そして、今年はいつもの年の倍あった。心待ちにしているものが届くのはうれしい。箱から甘い香りがしてくる。すぐに「リンゴ届きました!」のメールを打つ。今年は台風の影響で信州のりんごも駄目だろうな と思っていたが、信州中部は大丈夫だったという。素直な「うれしい!」メールで彼女からもすぐメールが返ってきた。今日はネギの収穫で「ネギグラタン」を作るという。そうか、きっと白いネギなんでやわらかくてとろけそうになるのだろうな。長浜は青い部分の多い葉ネギが多い。どちらかというと「深谷ねぎ」のようなネギが好きなので残念だ。「信長ねぎ」とやらがとても立派でおいしそうだ。そうそろ「一人鍋」でも信長さんとやろうかな。

階段を降りるときに、もみじが一枚落ちていた。おそらく、葉を本の間に挟むので二階へ持って上がったときに落ちたのだろう。急にいとおしい落ち葉になった。こんなにきれいな落ち葉を沢山拾えるなんて、ぜいたくだ。

NPOの冊子の編集が終わった。なにかいつもの編集と気分が違う。ここ3か月くらい、特に明るくなった気がする。もともと能天気の明るい子だったので、元に戻ったのだろう。自分から話しかけられるようになった。これも昔はそうだったのだ。昔はだれとでもすぐ仲良しさんになった。どこで屈折したのかわからないが、やっと「私なんて」がなくなった。うれしい!あの卑屈さはなんだったのだろうか・・・。もう、「カモメはカモメ クジャクやハトやまして女にはなれない・・」ではなくなった。

今日はあと一つ荷物が届く。意地悪で「今日は雪じゃ」なんて言ったけど、今日も明日も快晴や!佐川さ~ん 早く来てね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鏡よ 鏡 鏡さん

2019-11-29 18:15:33 | 日記

空気が澄んでいるので山の稜線が美しい。そして、一日一日と彩り鮮やかな衣に着替えていく。この季節に思い出すのは、毎年宮本輝の「錦繍」だ。文章がうつくしい。山形に行ったのは雪の季節だったので、あのあたりが紅葉するのです と教えてもらった。好きな小説で毎年再読する。

「鏡よ、鏡、鏡さん、この世で一番美しいのはだれ?」「それは真知子さまですよ」鏡をのぞくと、マスクをした私がいた。たしかに、目はきれいだ。でも、鏡ばかり見ていてはいけないのです。鏡に映るのは「自分」だからです。これは教皇様の今回の若者へのメッセージにあったものです。「鏡」と「スマホ」の世界だけは異常です。その異常に気が付いていないのです。それが怖い!いつからこのようになったのかはわかりませんが、これでは時すでに遅し のようです。

先日、SNSである中傷記事が流れた。そこにどんどん事実がどうかわからない人たちが投稿してくる。それが時間とともにエスカレートしてくる。だれも怖いとも思わないのだろう。生まれた時が悪いのか?生まれた家が悪いのか?それで人生の大半が決まるような世の中になってしまった。それだけでないエリート?の閉塞感もある。エネルギーの向かうところがないのではないだろうか。そのエネルギーをほかのだれかに向けられたら・・・。

今日は朝は最高の気分で始まったが、暗雲が差し込めてきた。こういう悪い磁場になると危険なので、さっさと出かけことにした。教会へも行って、お礼とお祈りをしてきた。ともかくマイナスイオンは避けて逃げるが勝ち と思うようになった。今日のハイライトは、琵琶湖に沈む夕日を見たこと。写真はオートなので旨く撮れない。でもぽっこりの写真が撮れた。2枚UPしますね。                          

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京ドームの参加者名簿はあるの?

2019-11-28 18:23:36 | 日記

鎌倉のおばあさまから頂いたマントを着て仕事をしている。和服用のマントで毛皮が付いている。昔のいい品物なのであたたかさが違う。それくらい今日は寒い。冊子の編集に入って2日。まだ進まない。今回はレイアウトなど変化をつけているので進まない。誰もどうせ読まないから という考えは捨てた。どうしたら読んででなくても、見てもらえるかになった。「どうせ」の気持ちでは、いつか飽きられる。

少しおかしな話をしてみよう。先日の東京ドームの入場者の名簿は出せるか?おそらく出せるだろう。あのミサに出るには申し込みも必要だったし、入場の際に顔写真入の身分証明書が必要だった。申込みの人物と同じかどうか入場の際に確認された。その参加者のなかに反社会的な人物がいたかどうか?これは難しい?有名人はいたと思う。

思い出すのは「ゴッド・ファーザー」の映画だ。マフィアと洗礼を思い出す人も多いのではないだろうか。もともと「ゴッドファーザー」は「代父」の意味。洗礼を受けるときには、代母や代父がいる。イタリアの教会の記録では、回心すれば洗礼を元マフィアでも受けられるらしい。変な話になったが、毎日、わけのわからないやり取りを聞いていると、人が集まれば名簿は作る。それは来年の参考にもなるので、どこかに残っているのが、世間の常識だ。

キリスト教の宣伝ウーマンではないが、教皇様はバチカンに貧しい人を招いて食事会をした。どこかの国の偉いかたは5000円会費で会食をして、その警備にお金がかかったという。この年末、寒い思いをして過ごす人に、回せないものだろうか?

SNSで家出したいといえば、あっいう間に『泊めてあげようか』のメールが入るという。家出したい気持ちはわからなくはない。当時、上級生や叔母など相談できる人がいたが・・・。『何も出来ないけど、そばに寄り添っていてあげるね』そんなことをいう、安全な大人はいないのだろうか。少しも豊かでない世の中になった。おばさんは何をしたらいいのだろう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空に星があるように

2019-11-27 18:18:10 | 日記

北陸に近い長浜の夕暮れは寒くてさびしい。2月の末に越してきたので、その頃は春への兆しがあった。お友達にいただいた炬燵のコードが壊れた。危ないとは思っていたが、コントローラーだけは取り替えられないらしい。さて、どうしたもんじゃろなぁ だ。炬燵の敷布団を買ったので、考えてしまう。

体が軽くなったような気がする。コレステロールが下がったからか などと理に合わないことを思う。多分、そぎ落としたものがあるのだろう。今日はホームセンターへホットカーペットやらモミの木やらシクラメンやらを見に行って、何も買わずに帰宅。でも、お正月の寄せ植えを作ることにした。ぼろでも(大家さんごめんなさい)なんでも、家は家でマンション住まいよりは家のことが楽しめる。イワシやらさわらのあらやらを買ってきた。やりたいことのために、日常生活は質素にしていこうと思う。でも、クリスマスの料理やお節料理は楽しもうと。

サッカーの記事を書いていて、シニアの海外の選手の紹介が届いた。「写真の女性は2度目の奥さんだと思います」とか「5年まえに奥さんを亡くされて、がっかりしておられたが、今年は彼女連れ、お悔やみがうらやましいになった・・・」等々。確かに、元気の秘訣はそのようなところらしい。高齢でもなんとなく色気のある男性は恋人なりがいる。

この頃、思う。人生やはり80年くらい。(いや、いいところ75年かな)何度結婚しようが、いいじゃないの と思う。結婚も再婚もしてもしなくてもそれでいいと。でも、だれかがいたほうがいい。私は生別だったから、非難めいた言葉も聞いた。でも、死別と同じようなものがあった と思い出す。純粋に泣けない分、つらいこともある。だから、だれかがいてほしいのだろう。

昨夜、台所で食器を洗っていると、荒木一郎の「空に星があるように」が聞こえたきた。NHKで五木ひろしが歌っていた。違う、ちがう!荒木一郎は孤独と寂しさが似合う男。あの甘い声とは違う。昔から、孤独とさびしさが似合う人には弱くていけない。後ろから抱きしめたくなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たのしかったねぇ と泣いた

2019-11-26 17:34:38 | 日記

昨夜、長浜に戻ったのは、11時過ぎだった。予定では11時40分ごろ長浜駅着なので自宅につくのはシンデレラすれすれだった。長浜から車で来ている方がいて、送って下さった。総勢21名の東京ドーム行きは、新幹線のなかから混雑が予想された。名古屋からは東京ドーム行きの乗客がほとんどだった。東京駅から中央線でお茶の水へ、総武線に乗りかえて水道橋へ。背の高い男性が4名いたので、一人の方の帽子とそして、手作りの旗を目印に21名が移動した。

不思議な仲間だった。存じ上げているかたは3名くらい。教会ではお会いしているが、お話をしたことはなった。「はい、おやつね」と最年長の方がみなに分けてくださった。小さなビニルーにあめやチョコが入っている。遠足気分だった。車内で早々と昼食を食べて、話もはずんだ。ドーム到着からミサまでは2時間はある。どこもここも並ばないと用が足せない。歌の練習をしていた。途中からなので何の曲かもわからず、聞いていた。

ミサは感動のうちに進んだ。言語も5か国語ではないか?ミサは万国共通なので指示は出ない。ミサ曲も選曲のうまさがあった。そして、教皇の退場では自然に大拍手が沸いた。最後にオフィシャルテーマ曲「時のしるし」を歌うことになった。ミサの前に、この曲を練習していたのだ。歌いながら、21名がみな涙を拭いていた。(ほかの教会の方たちも)その涙が何の涙かもわからず、ただこぼれてきた。歌の終わりは、日本語は「ぎゅっとつないだ手をにどとはなさないで」だった。(「時のしるし」で検索してみてください)

帰りは大変だった。迷う人も出て全員が新幹線に乗れた時、リーダーが「これは(神に)招かれたのだ と思いました」と話した。21名の雰囲気は不思議と変わった。一つになり「たのしかった!」と抱きあう感じだった。初めから21名が「招かれていた」のだろう。あの涙をみな忘れないだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする