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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

迷いのないあいをかんじて

2023-12-31 20:29:30 | 日記

さっぱりとした家で年を越せそうです。今日はお掃除に専念できました。おそらく、11月に従弟が12月に親友が遊びに来たので、ある程度きれいにしていのかもしれません。拭き掃除をしたのでピカピカしていて気持ちがいいです。今年は年末に雪が降らなくてよかったです。

テレビもつけていないので、メダカの水槽のポンプの音だけが聞こえます。これは都会では味わえませんね。そうでした、今日は水槽のお掃除もしました。さすが生き残った3匹、水槽からバケツに移してもそこにある水草を食べています。これじゃないと生き残れないのですね。笑。

前にブログに書きましたが、「選択しなくてはならないときは、生き残る可能性が高いほうを選ぶといい」とある自衛官が言っていました。確かにこの1年だけでもそれは言えると思いました。「生き残れる可能性」は、現状を見るだけでは駄目なようです。今年は特に人間関係では当たっていた気がします。ある意味では選びきったという感じです。原理は簡単で、居心地のいいところが「生き残れる」可能性が高いということでしょうか。

三時にお茶を点てました。たっぷりと点てました。静かな時が流れます。雨が降り出して、雷が鳴りだしました。新しい年が来るから「春雷」です。

迷いのないあいを感じて、行く年を過ごしています。

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ぶたもおだてりゃ木に登る 笑う年末

2023-12-29 20:53:39 | 日記

朝方雨が降ったようで地面が濡れていました。魔法のソックスのおかげで、朝まで目が覚めません。お友達は、夜中に2回起きていたのが、1回になったそうです。今日は彼女に頂いた数の子を届けに行きます。代わりに黒豆をくださるとか。時間がかかるものなので助かりました。東京のお友達からも「お雑煮の具、待っています」のメールがありました。結局、例年の半分くらいの予算でおせちを作ることになりました。でも、時間は半分しかありません。明日3時ごろまでが勝負です。でも、考えてみたら、忙しく働いていた時は、タッパーを持って、母の所におせちを取りに行ったわけですから、仕方ないですね。祖母や母の手伝いをして覚えたことなので、よかったなぁと思います。

クリスマスごろに出したグリーティングカードの返事が返ってきています。高校の同級生のサッカー部OBから、同学年のサッカー部のメンバーで集まったそうです。みんな年を取ってしまい、私が一番元気で若いですと書いてありました。年末に増えたシミとしわに悩んでした私は、もううれしくなりました。何とも単純な女なのです。笑。

もう一つはすごいのですよ。学童クラブで、窓の所に坐って下りない子たちをやさしく注意(この学童クラブは𠮟りません)していた時、もう一人の先生と私に「先生たち、ラブラブだね」とごまかしたのです。何をおしゃるお子さまたち、この先生と私は話したこともないし、年はおそらく20歳以上楽に違うのですよ。仕方ないので「ラブラブなんて(男の)先生が気の毒よ」といいました。子供たちは分からないようでした。ふ~んという顔をして窓際から離れました。

子どもは大人の年がわからないのでしょうが、いくらなんでも間違いが大きすぎます。男の先生が気の毒でした。でも、おばあさんは、ひそかに喜んだのです。えっ!私若く見えたのかしら?しら。

ブタもおだてりゃ木の登る、元夫がよく私に言いました。いいのよ、いいの、50メートルなら小2の子より早く走れるのだから。あすこが痛い、ここが痛いと言っても、馬鹿なのでしょうね。年末の笑い話です

 

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怖い夢を見ましたが

2023-12-28 20:44:10 | 日記

気が付くと12月も28日!仕事納めの人も多いですね。暖冬という感じが年末を感じさせないのか?昨夜、自宅用の年賀はがきを購入していないことに気が付きました。まったく年賀状が頭の中から消えていました。ご近所の独り暮らしの女の子がお正月にお雑煮を食べに来たいというので、いくらなんでもお雑煮だけとはいかず、頭を痛めています。

今朝は怖い夢を見て目が覚めました。本当に怖かったです。(ちょっと書けません)気になって夢判断を見てみると、夢とは逆に夢の状況からするといい方に転機を迎えるということでした。(いいことは信じる)大きな転機のようです。半分信じて、いいことがこれから起こるということにしました。

今年の一番つらかったことは、10月末に咳とのどの痛い風邪で10日以上も苦しんで、それと同時に行っていた学童クラブで(今思えば)いじめを受けたことです。独り暮らしで体調を崩すくらいつらいことはありません。一番うれしかったことは、あたたかいお休み用のソックスが届いたこと、従弟や親友が長浜に遊びに来てくれたこと、それと新しい学童クラブでとてもよくして頂いていること。そのほかにはスクールガードのことで町会の人たちと仲良くなれたこと。自分の居心地がいい場所を見つけられたことのようです。

増えてくるシミとしわ。ひどくはないのですが、どこか具合悪いところがあります。年を重ねるということはこういうことなのですね。肉体的にはいろいろありますが、それは一つ一つ受け入れるしかありませんね。でも、身辺はより居心地のいい人ばかりになってきました。それが何よりです。

今日は自販機で110円のゆずレモンを買っただけであとは1円も使わず。貧しい年の暮れですが、来年はいいことが起こりそうです。

 

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居心地よくて楽しいことが 原点

2023-12-27 21:17:57 | 日記

今年もあと4日。今日はコールドムーンとか。帰宅するときに明るい月が見えていました。寒さもさほど厳しくなく暖かい年の瀬です。

学童クラブは、お帰り前の時間は、あそびかビデオがあり父兄のお迎えを待ちます。今日のビデオはなんと「みなしごハッチ」でした。第1回・2回という貴重なDVDでした。でも、子供たちは4名ほど見に来ましたが、2分も見ないうちにつまんないと出て行ってしましました。(午前中は学校の怪談で怖がっていたのでこのバージョンにしたそうです)視聴覚室でみるのですが、2教室分くらいあるところに、ひとりぽつんと生徒を待っていました。ひょっこり来た男の子が熱心に見始めました。確かに今の子にはもたっこい感じなのでしょうね。主題歌も演歌調で子供にはダサいという感じなのでしょう。調べていると1970年が初めだそうです。子どもが観るアニメの原点のようでした。1970年代はこういう感じだったのだと思いました。

ここの学童クラブの子供たちは、自分で遊びも決めて自由に遊んでいます。リカちゃん人形からけん玉まであります。午後はドミノを3人くらいの子たちで作っていましたが、あと少しというところで1部が崩壊、頑張っていた子が悲しむこと。2時間かかっていました。遊びの終わりまであと、15分くらいしかありません。もうそれでいいから倒してみようと言いたいのですが、ほかの子も手伝って再挑戦。2度ほどまた崩れましたが、出来上がり、ほかの部屋の子たちも呼んで、一番頑張った子が倒しました。15名くらいが見守る中、見事に成功!拍手でした。何度も喧嘩しながらも、最後は仲良くやり遂げました。子どもっていいですね。

いま、シニアサッカーのボランティアでも「原点」を特集しています。純粋に「サッカーを楽しもう」ということで始めた時代のことです。日本一になろうなんて考えず、サッカーと仲間の交流を楽しんだのです。

どこかでなにかがずれてしまったという感じです。原点ってたとえ喧嘩があっても、心地よくいることができて、やはり楽しいことなのでしょうね。仕事も家庭も学校もそういう環境にいられたら、幸せな気がします

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子育てに必要な環境は?

2023-12-26 20:57:05 | 日記

今年の年末は暖かいのでほっとしています。ないかと用事の多い時に雪になると、動きが半分になってしまいます。新しい学童クラブに昨日から冬休みだけの仕事に出かけています。歩いて12分、駅方面ですので帰り路も明るくホッとしています。

おばあさんでも学校が休み時だけのアルバイトでも、みなさんがちゃん挨拶もしてくださり、とても安心して仕事に出かけられます。子供たちともごく自然に接することができます。おばあさんの膝は坐りやすいらしく、今日も重いよというくらいの子が膝の上に乗ってきます。それは私だけでなくどの職員さんにも同じように甘えています。大変なのが、見ていればよかった遊びを一緒にしなくてはなりません。昨日・今日で3つあたらしいゲームをしました。将棋ははさみ将棋しかできない、オセロはいいけど囲碁はダメとか断るのですが、なかなか許してもらえません。ボケ防止とやるのですが、もともと勝負事は強いほう、つい本気に。負ければそれで勘弁なのですが、もう1回になります。あと今日は、お正月の飾り物作り。昨日、毛糸をいじっていたのを見られていたからか、紐むすびなどが仕事?がきました。子供たちがお飾りができた時にとてもうれしそうな顔をします。

私は自営業の家に育ちましたので、帰宅すればいつも誰かがいました。もちろん当時は、母親は家にいる家がほとんどでした。祖母の監視下?で育ちましたので、あまり甘えることはなかったようです。それでも、手芸などは母に教えてもらいましたし、父は工作を教えてくれました。今は、保育園に通う間はまだだれかとのスキンシップがあるのでしょうが、小学生になるとこの田舎町でも共稼ぎの家庭が多く、学童クラブに通います。1・2年生にはさびしいことなのだろうと思います。もちろん、高学年でも帰宅して家に誰もいないことは、さびしいことだと思うのです。

特に最近の子供たちを見ていると、子供の育つ環境の整っていないことを感じます。20年前くらいは、お母さんはパートでも2時くらいには帰宅していました。学費免除で子供を産もうと思うか?も疑問詞が付きますし、一家で子育てをする環境整備のほうが大事な気がします。それ以上に子供たちの心の問題です。心身ともに健康に育つことが一番大事だと思うのですが。

根本的にないかがずれている子育ての環境。もう手遅れの部分もある気がします。心が痛むこの頃です。

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