写真師の「新カメラ日記」

JRP会員の橘が日々の事、撮影日記などを記録していきます。

柳の芽吹き 「一握の砂」を手にする日

2013年04月02日 | 写真

写真は金沢市民芸術村で芽吹いた柳の大木です。

柳の芽吹く季節を迎えると心に浮かぶ歌と歌集があります。
  やはらかに柳あをめる
    北上の岸辺目に見ゆ
       泣けとごどくに
石川啄木の歌集「一握の砂」に収められているあまりにも有名な歌です。そしてこの歌を思い浮かべるとき小さな、時代を感じさせる色あせた歌集を本棚から取り出して一日読みふけりたくなります。全てに絶望して行き所の無い心の中の怒りを押し殺しながら会社から宛がわれた古い旋盤の前でただひたすら鉄を削り続けた18歳のころの自分に戻って。
この歌集には悲しみを叙情に包み込んだ前掲の歌や陸前高田市の歌碑にも刻まれている「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ」など読者の心に染み入る叙情歌がたくさんありますが、一方では激しい怒りが心の壁を突き破ったような歌も沢山見られます。
  どんよりと
    くもれる空を見てゐしに
     人を殺したくなりにけるかな
そのほかにも、どうしようもない思いを詠った「たんたらたらたんたらたらと雨滴が痛むあたまにひびくかなしさ」というような歌もたくさん収められています。
そしてこの歌に詠われたような友との交わりのなかでやがて来る社会の姿を思い浮かべるときもあったと思います。
  平手もて
    吹雪にぬれし顔を拭く
      友共産を主義とせりけり
そして彼はやがて子どもを授かりこんな明るい歌も残しました。
  世の中の明るさのみを吸ふごとき
    黒き瞳の
      今も目にあり
しかしその子もやがて病で亡くし、自らも窮乏の中で若くして亡くなり、歌集「一握の砂」は
  かなしくも
    夜明くるまでは残りゐぬ
      息きれし児の肌のぬくもり
という一首で終わっています。
同時代の青春を生きた作家の小林多喜二、詩人の槇村浩、川柳作家の鶴彬など惜しい才能は天皇制権力の弾圧で押し潰されるように圧殺されましたが、その作品によって思いを引き継ぐ人たちの心の中で生き続けていますが、石川啄木の有り余るような才能もあの天皇制国家の中でむざんに押しつぶされました。
民主的な日本国憲法の下で彼らが望んでいた社会に変ったように見える現代ですが、現代の若者達も「新自由主義」の圧政の下で形の変った窮乏の中で苦しむ世の中になっています。
政治の状況もまさに「日本共産党孤塁を守る」ような状況ですが・・・、国民の多くが押しつけられる現政権のやり口を疑問に思い、異議申し立てをしているところです。
「一握の砂」を閉じ時、二度と石川啄木の時代に後戻りさせることはさせないし、私の貧しい青春の時代にも後戻りさせることは許さないと改めて思う日でした。
コメント
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