永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(148)

2008年09月02日 | Weblog
9/2  148回
【絵合(えあわせ)の巻】  その(5)

権中納言は、
「物語絵こそ心ばへ見えて、見どころあるものなれ」
――物語中の人物や、景色、事件を描いた絵こそ、描いた者の心構えも窺われて見応えのあるものだ――

 と、趣深く、興味ある物語ばかりをお選びになって描かせております。帝はこれらの入念で面白く描かれた絵を、斎宮女御の所でご覧になろうとなさいますが、権中納言は極く秘密になさって、斎宮方へはお持ちにならないようにと、仕舞われたとか。

 源氏がこのことをお聞きになって、
「なほ権中納言の御心ばへの若々しさこそ、改まり難かめれ、など笑ひ給ふ」
――やはり権中納言の子供っぽい気持ちは、相変わらずだな、とお笑いになります。――

「あながちに隠して、心安くもご覧ぜさせず、悩まし聞ゆる、いとめざましや。古代の御絵どもの侍る、参らせむ」
――無理に隠して、気安くもお目にかけず、お気を揉ませ申すとは心外なことです。私の所にも古代の絵がいろいろございます。早速差し上げましょう――

 と、帝に奏上なさって、二條院で古い絵や、新しい絵の入っている厨子(ずし)を開かせて、紫の上とご一緒に、その中から今の世に愛でられそうなものを選び出してお揃えになります。『長恨歌(ちょうごんか)』、『王昭君(おうしょうくん)』などの絵は、趣深くはありますが、女としては不幸な物語なので、お選びにはなりません。

 源氏が須磨で描かれた絵日記の箱も取り出させて、ついでに紫の上にお見せになります。お二人にはあの頃の辛い思いがよみがえってくるようでした。紫の上は今までお見せくださらなかったお恨みを込めて、

「一人居てなげきしよりはあまのすむかたをかくてぞ見るべかりける、おぼつかなさは、なぐさみなましものを、と宣ふ」
――私は一人京に残って嘆いておりましたが、それよりも須磨に下って、海士の生活を絵に描いて居とうございました。どんなにかあのおぼつかなさが、なぐさめられましたでしょうに、とおっしゃる――

◆写真 厨子(ずし)・・・収納具
 本来、仏像を安置するものであるが、本箱や置戸棚のようにも用いられ、冊子や巻物を収納した。

ではまた。

源氏物語を読んできて(長恨歌)

2008年09月02日 | Weblog
『長恨歌(ちょうごんか)』

 長恨歌は、中国・唐の時代、白居易806年(元和元年)によって作られた長編の漢詩である。安禄山の乱で楊貴妃を失った玄宗皇帝の深い悲しみをうたった壮大な叙事詩。源氏物語など、日本の文学にも多大な影響を与えたといわれる。

あらすじ

 漢の王は長年美女を求めてきたが満足しえず、ついに楊家の娘を手に入れた。それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

 その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。

 反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。

 道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

 太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。それは「天にあっては比翼の鳥のように」「地にあっては連理の枝のように」、かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

◆写真:中国・四美女の図