永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(152)

2008年09月06日 | Weblog
9/6  152回

【絵合(えあわせ)の巻】  その(9)

 絵合はその日と定めて、にわかの催しのようではありますが、かりそめながらも趣向を凝らして用意なさって、左右から御絵の数々を御前にお運びになります。

「女房の侍ひに、御座よそはせて、北南かたがたわかれて侍ふ。……、左は紫檀の箱に蘇芳の花足、敷物には紫の唐の錦、打敷きは葡萄染めの唐の綺なり。童六人、赤色に櫻襲の汗衫、袙は紅に藤襲の織物なり。姿、用意などなべてならず見ゆ。」
――女房の詰め所の台盤所(だいばんどころ)に帝の御座を設けさせて、北と南の両側にそれぞれ別れて座に着きます。(殿上人は清涼殿の西隣の簀子に、おのおの好きな方にひいきしながら控えております。)
 左は、紫檀(したん)の箱に蘇芳(すおう)の木の飾り台、花足(けそく)の下の敷物は紫地の唐織(からおり)、台の上を覆う打敷(うちしき)は葡萄染(えびぞめ)の唐の綺(き)です。女童(めわらわ)が六人、赤色の上着に櫻襲の汗衫(かざみ)、袙(あこめ)は紅に藤襲(ふじがさね)の織物です。様子も心用意もひとかではないようにみえます。――

 右は、沈(じん)の箱に浅香(せんこう)の下机、打敷は青地の高麗の錦、足にからませた組紐、花足の趣など、たいそう目新しい。女童は、青色の上着に柳襲の汗衫、山吹襲の袙を着ています。

 お召しがあって、源氏と権中納言も参内なさいました。また源氏の御弟君で、絵にも嗜みのある師の宮(そちのみや)が判者をお勤めになることになりました。

 まことに名筆の限りを尽くして描き出された絵が多く、帥の宮も判断にお苦しみになります。例の朱雀院から贈られた年中行事絵も、古の名人たちが、趣深い場面を選び出して描きながしている様は、譬えようもなくお見事です。しかし、紙には限界があって、屏風絵のように山水の豊かな風趣をそのまま現せないものですから、ただ筆先の巧みさや描く人の趣向に飾られていて、今時の深みのない絵でも、古絵に劣らず華やかで、ああ面白いと思われる点は、古書より勝っているほどで、多くの論争も、今日は左右それぞれに興味のあるものが多いのでした。

◆写真:絵合わせの開始に、御引直衣姿の冷泉帝が椅子に着座されるところ。
    風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(伊勢物語)

2008年09月06日 | Weblog
伊勢物語

 伊勢物語」(いせものがたり)は、平安時代初期に成立した歌物語。「在五が物語」、「在五中将物語」、「在五中将の日記」とも呼ばれる。

• むかし、おとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに、伊勢、おはりのあはひの海づらを行くに、浪のいと白く立つを見て、
いとゞしく過ぎゆく方の恋しきにうら山(やま)しくもかへる浪かな
となむよめりける。

 全125段からなり、ある男の元服から死にいたるまでを歌と歌に添えた物語によって描く。歌人在原業平の和歌を多く採録し、主人公を業平の異名で呼んだりしている(第63段)ところから、主人公には業平の面影がある。ただし作中に業平の実名は出ず、また業平に伝記的に帰せられない和歌や挿話も多い。中には業平没後の史実に取材した話もあるため、作品の最終的な成立もそれ以降ということになる。書名の文献上の初見は源氏物語(絵合の巻)。

 そのような場合も含めて、個人の作者として近年名前が挙げられる事が多いのは、紀貫之らであるが、作者論は現在も流動的な状況にある。

 ◆写真 伊勢物語図色紙 「若草の妹」
    伝 俵屋宗達筆 江戸時代 出光美術館蔵