永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(156)

2008年09月10日 | Weblog
9/10  156回

【松風(まつかぜ)の巻】  その(1)

源氏(内の大臣、殿、)       31歳の秋
紫の上              23歳
明石御方             22歳
明石入道と尼君(明石御方の父母)             
明石の姫君(源氏と明石御方の子)  3歳
夕霧(源氏と葵の上の子)     10歳

 かねてから造っておられた二條院の東の院が出来上がりまして、まず、花散里が移り住まわれました。西の対から渡殿にかけてをお住いとし、政所、家司などもしかるべく定めてお置きになります。東の対には、明石の御方をとお考えになっておいでです。

 源氏は、明石の御方には絶えずお便りをなさって、もうこの上は、早く上京するようにおすすめになりますが、

「女はなほわが身の程を思ひ知るに、こよなくやむごとなき際の人々だに、なかなかされかけ離れぬ御有様のつれなきを見つつ、物思ひ増さりぬべく聞くを、(……)人わらへに、はしたなき事いかにあらむ、と思ひみだれても」
――明石の御方は、やはりわが身の程をわきまえて、ごく高い身分の女がたでさえ、格別大切になさるでもなく、さりとて捨ててお仕舞いにもならない、源氏の君のつれないお仕打ちを見ては、かえって物思いも増すはず、と聞きますものを、(まして何ほどの自分が、ご寵愛を頼みに、そうした中に入っていかれましょう、たまには姫君を見にお出でになりますのをお待ちするだけでは)さぞかし物笑いの種にもされ、どんなに恥ずかしくもありましょうと、思い迷われますが――

「また、さりとてかかる所にて生い出でかずまへられ給はざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにも、えうらみ背かず」
――また、そうかといって、このような田舎に生い立たれて、姫君が源氏の御子らしく扱われないのでは、まことにお可愛そうですので、一途にお恨み申して仰せに背くこともできません――

 昔、母君の御祖父の中務の宮(なかつかさのみや)がお持ちになっていました所領で今は荒れたままのお住いを、明石の入道が修理をさせて立派な寝殿にしました。大堰川の近くで、全くの田舎でもなく、京のうちでもない、閑静な山里です。

 源氏は、
「若君のさてつくづくとものし給ふを、後の世に人の言ひ伝へむ、今一際わろき疵にや、と思すに」
――姫君がああして淋しく暮らされるのを、人の口の端に上ったならば、母君が尊い身分ではない上に、田舎育ちという人聞きも悪く、姫君にとって大きな疵ともなろうとご心配でしたが、――

◆写真:秋から冬にかけての嵯峨大堰川、物語では、この辺りに明石の御方と3歳の明石の姫君が住んだとされる。

ではまた。

源氏物語を読んできて(京都の川の名・大堰川)

2008年09月10日 | Weblog
京都の川の名・大堰川

 源流付近は大堰(おおい)川、保津峡あたりで保津川、そして桂川となり淀川に合流します。これらは、すべて河川法上、桂川に統一されています。この河川名は、平安時代の紀貫之(きのつらゆき)以来の名称といわれ、川西一体の桂の地名に由来しています。

◆写真:現在の大堰川・渡月橋を遠くみる。
    そのあたりは嵯峨、嵐山