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【松風(まつかぜ)の巻】 その(4)
翌朝、尼君は長生きの甲斐がありましたと、嬉し泣きに泣きながら源氏に申し上げます。
「荒磯かげに心苦しう思ひ聞えさせ侍りし二葉の松も、今は頼もしき御生い先といはひ聞えさするを、浅き根ざしゆゑやいかがと、かたがた心つくされ侍る」
――あのような海辺でもったいなく存じました姫君も、今は頼もしい御将来よとお祝い申し上げるのですが、何分身分の低い母であってみれば、将来もいかがかと心配でございます。――
源氏は御自分の御寺にお出でになって、毎月十四、十五日と月末におこなう、普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏三昧は言うまでもなく、御堂の御飾り、御仏具など指図されて、その夜も大堰にお泊まりになります。この夜は明石の思い出の琴を互いに掻き合わせたり、打ち解け合ってお過ごしになりました。
源氏は、
「いかにせまし、隠ろへたるさまにて、生い出でむが心苦しう口惜しきを、二條の院に渡して、心の行く限りもてなさば、後の覚えも罪まぬかれなむかしと思ほせど、また思はむこといとおしくて、えうち出で給はで、涙ぐみて見給ふ」
――どうしたものか。姫君が日陰者のようにして生い立たれるのは、おいたわしく残念でならない。いっそ紫の上に預けて、思うとおりにお育てしたならば、後に入内などの際には、世間からの非難も免れようが、と。明石の御方の立場を思うと言い出せず、涙ぐんでいらっしゃる――
「抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。」
――源氏が姫君を抱き上げていらっしゃるご様子は、まことに見栄えのすることで、姫君の宿運はすばらしいものと思われます――
次の日、桂の院にも、ここ大堰のお屋敷にも殿上人がたくさんお迎えに見えます。隠れ家のつもりが帝にも知られております。この夜は桂にて大饗宴が催されました。大堰の方では、この賑やかなご様子を遠く聞きながら、ぼんやりと過ごされておりました。
お心に掛けながらも、文さえも明石の御方に届けることが出来ないままに、源氏は二条院へお帰りになります。紫の上に、
「暇聞えし程過ぎつれば、いと苦しうこそ。この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしにひかされて、今朝はいとなやまし、とて大殿籠れり」
――お約束の日が過ぎてしまい、申し訳ありません。あの風流人たちが尋ね当てて、無理に引き留めるのについ引かされて、ああ、今朝はすっかり疲れてしまった、とおっしゃって、寝ておしまいになりました。――
◆大殿籠る(おほとのごもる)=大殿=寝殿
籠もる=寝ぬ(いぬ)の尊敬語、おやすみになる。
◆写真:嵯峨野の竹林
ではまた。
【松風(まつかぜ)の巻】 その(4)
翌朝、尼君は長生きの甲斐がありましたと、嬉し泣きに泣きながら源氏に申し上げます。
「荒磯かげに心苦しう思ひ聞えさせ侍りし二葉の松も、今は頼もしき御生い先といはひ聞えさするを、浅き根ざしゆゑやいかがと、かたがた心つくされ侍る」
――あのような海辺でもったいなく存じました姫君も、今は頼もしい御将来よとお祝い申し上げるのですが、何分身分の低い母であってみれば、将来もいかがかと心配でございます。――
源氏は御自分の御寺にお出でになって、毎月十四、十五日と月末におこなう、普賢講、阿弥陀、釈迦の念仏三昧は言うまでもなく、御堂の御飾り、御仏具など指図されて、その夜も大堰にお泊まりになります。この夜は明石の思い出の琴を互いに掻き合わせたり、打ち解け合ってお過ごしになりました。
源氏は、
「いかにせまし、隠ろへたるさまにて、生い出でむが心苦しう口惜しきを、二條の院に渡して、心の行く限りもてなさば、後の覚えも罪まぬかれなむかしと思ほせど、また思はむこといとおしくて、えうち出で給はで、涙ぐみて見給ふ」
――どうしたものか。姫君が日陰者のようにして生い立たれるのは、おいたわしく残念でならない。いっそ紫の上に預けて、思うとおりにお育てしたならば、後に入内などの際には、世間からの非難も免れようが、と。明石の御方の立場を思うと言い出せず、涙ぐんでいらっしゃる――
「抱きておはするさま、見るかひありて、宿世こよなしと見えたり。」
――源氏が姫君を抱き上げていらっしゃるご様子は、まことに見栄えのすることで、姫君の宿運はすばらしいものと思われます――
次の日、桂の院にも、ここ大堰のお屋敷にも殿上人がたくさんお迎えに見えます。隠れ家のつもりが帝にも知られております。この夜は桂にて大饗宴が催されました。大堰の方では、この賑やかなご様子を遠く聞きながら、ぼんやりと過ごされておりました。
お心に掛けながらも、文さえも明石の御方に届けることが出来ないままに、源氏は二条院へお帰りになります。紫の上に、
「暇聞えし程過ぎつれば、いと苦しうこそ。この好き者どもの尋ね来て、いといたう強ひとどめしにひかされて、今朝はいとなやまし、とて大殿籠れり」
――お約束の日が過ぎてしまい、申し訳ありません。あの風流人たちが尋ね当てて、無理に引き留めるのについ引かされて、ああ、今朝はすっかり疲れてしまった、とおっしゃって、寝ておしまいになりました。――
◆大殿籠る(おほとのごもる)=大殿=寝殿
籠もる=寝ぬ(いぬ)の尊敬語、おやすみになる。
◆写真:嵯峨野の竹林
ではまた。