永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(169)

2008年09月23日 | Weblog
9/23  169回

【薄雲(うすくも)の巻】  その(8)

 源氏は、大堰に近い桂や御寺にこと寄せて、お泊まりになるときには、姫君のご様子なども細々とお話しされるのでした。明石に居る入道は、絶えず使いの者を寄こして、大堰の様子を聞いては、胸の塞がる思いをしたり、喜ばしく面目ある思いをしたりしております。

 この頃、太政大臣(権中納言の御父、葵の上の御父、源氏の義父)がお亡くなりになりました。先年辞表を奉ってからしばらく引きこもっておられた間でさえ、天下の柱石と源氏も頼りにしておりましたので、今後は御自分の政務も多くなると、不安でいらっしゃる。

 冷泉帝はお歳以上に大人びておられ、政務も危なげなくお見受けしますが、確とした御後見の方もいらっしゃらず、源氏は、お役を誰かに譲って静かに出家をお考えになっても、そのような現実ではないのでした。

「その年おほかた世の中騒がしくて、おほやけ様に物のさとし繁く、(……)内の大臣のみなむ。御心の中に、わづらはしく思し知ることありける」
――その年は世間一帯に疫病などが流行し、朝廷関係に訳ありげな不吉な前兆が多く、(天文博士や陰陽博士が意見書を奉るなかにも、世にめったになさそうな奇怪なことも交じっています。)ただ源氏ばかりは、ご心中ひそかに思い当たられることがおありになるのでした――

 藤壺の宮は、この春より病みがちでおられましたが、三月には一層重くなられましたので、帝も度々お見舞いに行幸されます。

藤壺の宮は、弱々しく、
「今年は必ずのがるまじき年と思う給へつれど、おどろおどろしき心地にも侍らざりつれば、(……)うつしざまなる折り少なく侍りて、口惜しくいぶせくて過ぎ侍りむること」
――今年は、どうしても命の果てる年と思っておりましたが、そうひどい病気というわけでもございませんでしたので、後世のための法会なども格別にはせず、このようなことになるなどとは思わず、本当に口惜しく、気がかりながら、今日まで過ごしてきてしまいました。――

 この藤壺の宮は、御歳37歳の女の厄年になっておられましたが、まだ大層お若く盛りの美しさにお見えになりますのを、帝は惜しくも悲しくもごらんになります。この頃になって、あらゆる加持、祈祷をおさせになります。

◆いぶせし=気持ちが晴れない、気がかり、うっとうしい。