永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(150)

2008年09月04日 | Weblog
9/4  150回

【絵合(えあわせ)の巻】  その(7)

 女房たちが絵についていろいろと論議を戦わすのをお聞きになって、右と左とに三人づつお分けになります。
 先ず、物語の親ともいうべき、「竹取の翁」に「俊蔭」を合わせて争わせます。

左方は、
「……かぐや姫のこの世の濁りにも穢れず、遙かに思ひのぼれる契りたかく、神世のことなめれば、浅はかなる女、目及ばぬならむかし」
――(これは古物語で特別というわけではありませんが)、かぐや姫がこの世の濁りにも穢れず、気位高く、はるかに遠く天へ上られました宿縁はえらいもので、浅はかな女には、目にも及ばないことでしょう――

 すると右方は反対として、こう言います。
「……この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。ひとつ家の内は照らしけめど、百敷(ものしき)のかしこき御光には、ならはずなりにけり。……」
――現世のご縁は、竹の中で生まれたのですから、素性は卑しい人と思われます。身の光で、家の中を照らしたでしょうが、宮中に入内して尊い帝の御光に並ぶ后の位には上りませんでした。(かぐや姫を妻に求めてきた五人の男のうち、阿倍多(あべのおおし)が、千金を捨てて、折角火鼠のかわごろもを買った切ない思いも、火に焼かれてあっという間に消えてしまったのは、なんとはかないことでしょう。車持親王(くらもちのみこ)もまた。……(つまりかぐや姫は、無理難題と知りながら、玉の枝にも自分の身にも疵をつけたこともよくない点です)――

 竹取物語の絵は、巨勢相覧(こせのおうみ)、字は紀貫之(きのつらゆき)です。

 次に右方は、宇津保物語の俊蔭のことを言います。絵は常則、字は小野東風です。

 次に、伊勢物語と正三位(しょうさんみ=散逸)を合わせて……などと進みますが、なかなか勝負がつきません。

 源氏も参内なさって、このように絵について思い思いに言い争い、色めき立っていますのを興あるものと思われて、

「同じくは、御前にてこの勝負定めむ、と宣ひなりぬ」
――おなじことなら、帝の御前でこの勝負を決めようではありませんか、ということになりました――

ではまた。

源氏物語を読んできて(竹取物語①)

2008年09月04日 | Weblog
竹取物語
 
 竹取物語(たけとりものがたり)は、日本最古とされる物語である。竹取物語は通称であり、「竹取翁の物語」とも「かぐや姫の物語」とも呼ばれた。成立年、作者ともに不詳。仮名によって書かれた最初期の物語の一つでもある。
 
 当然、原本は現存せず、最古の写本は天正年間(安土桃山時代)のものである。しかし、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。通説は、平安時代前期の貞観年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。

 羽衣伝説、地名起源伝説などを付加しながら、貴族社会の現実を風刺を交えて描き出している。高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品として評価されている。

竹取物語のあらすじ①

 今は昔、竹を取りいろいろな用途に使い暮らしていた竹取の翁(おきな)とその妻の嫗(おうな)がいた。ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。切ってみると、中から三寸ほどの可愛らしい女の子が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。その後、竹の中に金を見つける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人を呼んで名前をつけることになった。呼ばれてきた人は、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。この時、上下を問わず人を集めて、三日に渡り祝宴をした。

 世間の男たちは、高貴な人も下層の人も皆なんとかしてかぐや姫と結婚したいと思った。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは竹取の翁の家の周りで過ごしていた。そのうちに熱意のないものは来なくなっていった。最後に残ったのは好色といわれる5人の公達で、彼らはあきらめず夜昼となく通ってきた。5人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。(つづく)

◆絵:幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)