9/12 158回
【松風(まつかぜ)の巻】 その(3)
源氏は、
「桂に見るべきこと侍るを、いさや心にもあらで程経にけり。とぶらはむと言ひし人さへかのわたり近く来居て待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき佛の御とぶらひすべければ、二三日は侍りなむ」
――桂に用事があるのですが、いやどうも心ならずも日が経ってしまいました。訪ねましょうと約束した人が、その辺りまで来ていて待ちますと言っているので、気の毒でしてね。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けをしていない御仏像のことで面倒をみなければなりませんので、二、三日はあちらに居ることになるでしょう――
紫の上は、
「桂の院といふ所、にわかにつくろはせ給ふと聞くは、そこに据へ給へるにや、と思すに、こころづきなければ、『斧の柄さへ改め給はむ程や、待ち遠に』と心ゆかぬ御気色なり」
――桂の院というところを急にお造らせになるというのは、そこにその人を住まわせるのかしらと思われ、面白くないので、「ご滞在は、斧の柄もお替えになる頃まででしょうか、待ち遠しいこと」と、まことにご機嫌がお悪い。――
源氏は、
「例の通り、あなたは気むずかしいお心でいらっしゃる……昔の浮気心はあとかたも無くなったと、世間の人もいっているのに……」と、何やかやと、紫の上のご機嫌をおとりになるうちに、日が昇ってしまいました。
さて、源氏は御前駆も親しい家来ばかりで、用意周到に準備されて、大堰の明石の御方邸に黄昏時にお着きになりました。明石の御方も尼君も、久方ぶりの源氏の立派な直衣姿に、嘆き咽んでいました心の闇も晴れていくようでした。
源氏は、ここは京から遠く、たびたびお訪ねするには骨がおれます。やはり、あの用意しましたところへ来て貰いたい、と申しますが、明石の御方は、
「いとうひうひしき程過ぐして、といふも道理なり。夜一夜、よろづに契り語らひ明かし給ふ」
――もう少し様子が分かって参りましてから、と、仰るのももっともなことです。この夜は一夜さまざまに契り、つもる思いを語り明かされたのでした。――
◆「…そこに据へ給へるにや」=紫の上は、この時は、女人を住まわせるために桂の院を、急ぎ源氏が造られたのかと思っています。
二条院の東の院を造らせ、御堂も造る、源氏の財力の凄さがさりげなく語られています。
ではまた。
【松風(まつかぜ)の巻】 その(3)
源氏は、
「桂に見るべきこと侍るを、いさや心にもあらで程経にけり。とぶらはむと言ひし人さへかのわたり近く来居て待つなれば、心苦しくてなむ。嵯峨野の御堂にも、飾りなき佛の御とぶらひすべければ、二三日は侍りなむ」
――桂に用事があるのですが、いやどうも心ならずも日が経ってしまいました。訪ねましょうと約束した人が、その辺りまで来ていて待ちますと言っているので、気の毒でしてね。嵯峨野の御堂にも、まだ飾り付けをしていない御仏像のことで面倒をみなければなりませんので、二、三日はあちらに居ることになるでしょう――
紫の上は、
「桂の院といふ所、にわかにつくろはせ給ふと聞くは、そこに据へ給へるにや、と思すに、こころづきなければ、『斧の柄さへ改め給はむ程や、待ち遠に』と心ゆかぬ御気色なり」
――桂の院というところを急にお造らせになるというのは、そこにその人を住まわせるのかしらと思われ、面白くないので、「ご滞在は、斧の柄もお替えになる頃まででしょうか、待ち遠しいこと」と、まことにご機嫌がお悪い。――
源氏は、
「例の通り、あなたは気むずかしいお心でいらっしゃる……昔の浮気心はあとかたも無くなったと、世間の人もいっているのに……」と、何やかやと、紫の上のご機嫌をおとりになるうちに、日が昇ってしまいました。
さて、源氏は御前駆も親しい家来ばかりで、用意周到に準備されて、大堰の明石の御方邸に黄昏時にお着きになりました。明石の御方も尼君も、久方ぶりの源氏の立派な直衣姿に、嘆き咽んでいました心の闇も晴れていくようでした。
源氏は、ここは京から遠く、たびたびお訪ねするには骨がおれます。やはり、あの用意しましたところへ来て貰いたい、と申しますが、明石の御方は、
「いとうひうひしき程過ぐして、といふも道理なり。夜一夜、よろづに契り語らひ明かし給ふ」
――もう少し様子が分かって参りましてから、と、仰るのももっともなことです。この夜は一夜さまざまに契り、つもる思いを語り明かされたのでした。――
◆「…そこに据へ給へるにや」=紫の上は、この時は、女人を住まわせるために桂の院を、急ぎ源氏が造られたのかと思っています。
二条院の東の院を造らせ、御堂も造る、源氏の財力の凄さがさりげなく語られています。
ではまた。