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【薄雲(うすくも)の巻】 その(10)
高貴な方の中でも、殊に藤壺の宮のお人柄をお褒めにならぬ人はなく、悲しまない人はおりません。殿上人は一様に喪服を着けて、なにもかも沈みきった春の暮れでございます。
源氏は、念誦堂にお籠もりになって、一日中泣き暮らしておいでになります。夕日がはなやかに射して、山際の桜の梢が鮮やかに見えるところに、薄く棚引く雲が、藤衣に似た鈍色なのをあわれ深くごらんになって、
「入り日さす峰にたなびくうす雲はものおもふ袖に色やまがへる」
――入り日の射す峰にたなびいているあの薄雲は、悲しみ嘆く私に心を寄せて、喪服と同じ鈍色なのであろうか――
お心にあまる思いをお詠みになりましたが、あいにくどなたも居ない場所で詠み甲斐のないことでした。
四十九日の御法要も終わり、帝は御母君を亡くされて、それはそれは心細くお思いでおられます。
この藤壺の宮の母君の代よりお仕えしていました僧都は、藤壺の宮にも親しくお仕えなさっておられましたので、冷泉帝も篤く帰依なさっておいでの御方です。この度も宮のご病気平癒祈願のためにお呼びになったのでした。御歳は七十歳ほどの大層優れた聖でいらっしゃいます。源氏からも、ここしばらくは、参内してお仕えするようにと、おすすめになっておられました。
静かな暁に、冷泉帝の御前にて、僧都は世の中のことなどお話になりますついでに、改まって老人めいた咳をしながら、
「『いと奏し難く、かへりては罪にもやまかりあたらむと思ひ給へば、はばかること多かれど、しろしめさぬに、罪重くて、天の眼恐ろしく思う給へらるる事を、心にむせび侍りつつ、命終り侍りなば、何の益かは侍らむ。佛も心ぎたなしとや思し召さむ』とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり」
――「実は、はなはだ申し上げにくいことがござりまして、また、申し上げてはかえって罪にも成りましょうかと、憚られることが多いのでござりまするが、上様が何もご存知なくいらっしゃってはいよいよ罪重く、天の照覧も恐ろしく思われます。私が心の内で咽び泣きつつ、ついに申し上げずにこのまま寿命が尽きてしまいますならば、何の益がございましょう。佛もさぞかし不正直な者と思われることでござりましょう」と申し上げかけて、それ以上言いかねておられるご様子です――
ではまた。
【薄雲(うすくも)の巻】 その(10)
高貴な方の中でも、殊に藤壺の宮のお人柄をお褒めにならぬ人はなく、悲しまない人はおりません。殿上人は一様に喪服を着けて、なにもかも沈みきった春の暮れでございます。
源氏は、念誦堂にお籠もりになって、一日中泣き暮らしておいでになります。夕日がはなやかに射して、山際の桜の梢が鮮やかに見えるところに、薄く棚引く雲が、藤衣に似た鈍色なのをあわれ深くごらんになって、
「入り日さす峰にたなびくうす雲はものおもふ袖に色やまがへる」
――入り日の射す峰にたなびいているあの薄雲は、悲しみ嘆く私に心を寄せて、喪服と同じ鈍色なのであろうか――
お心にあまる思いをお詠みになりましたが、あいにくどなたも居ない場所で詠み甲斐のないことでした。
四十九日の御法要も終わり、帝は御母君を亡くされて、それはそれは心細くお思いでおられます。
この藤壺の宮の母君の代よりお仕えしていました僧都は、藤壺の宮にも親しくお仕えなさっておられましたので、冷泉帝も篤く帰依なさっておいでの御方です。この度も宮のご病気平癒祈願のためにお呼びになったのでした。御歳は七十歳ほどの大層優れた聖でいらっしゃいます。源氏からも、ここしばらくは、参内してお仕えするようにと、おすすめになっておられました。
静かな暁に、冷泉帝の御前にて、僧都は世の中のことなどお話になりますついでに、改まって老人めいた咳をしながら、
「『いと奏し難く、かへりては罪にもやまかりあたらむと思ひ給へば、はばかること多かれど、しろしめさぬに、罪重くて、天の眼恐ろしく思う給へらるる事を、心にむせび侍りつつ、命終り侍りなば、何の益かは侍らむ。佛も心ぎたなしとや思し召さむ』とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり」
――「実は、はなはだ申し上げにくいことがござりまして、また、申し上げてはかえって罪にも成りましょうかと、憚られることが多いのでござりまするが、上様が何もご存知なくいらっしゃってはいよいよ罪重く、天の照覧も恐ろしく思われます。私が心の内で咽び泣きつつ、ついに申し上げずにこのまま寿命が尽きてしまいますならば、何の益がございましょう。佛もさぞかし不正直な者と思われることでござりましょう」と申し上げかけて、それ以上言いかねておられるご様子です――
ではまた。