昨夜は 富士五湖辺り 激しい風雨となりまいた。 皆さんのところは
如何だったでしょうか ? 健康が守られますように お祈りしています。
今NHK大河ドラマで 新島 襄の人生を扱っています。 ドラマは余り見ていないので TVでの襄については詳しくないですが たまたま図書館で 彼の自伝を借り 読みました。 『わが若き日』 と題された 彼の日本脱出記です。ご存じの通り 彼はクリスチャンとなり 同志社大学設立を成し遂げた人物です。(私は若い頃 同志社に嫌われ 京都を出ました?)今話題の人物でもあるので 興味を持って 読んでみました。
彼の幼名は 『 七五三太 』 と書いて シメタ! と読みます。 女の子が続いた家系でやっと男の子が出来たので 祖父が シメタ! と言ったことから 名付けられたとか!? 又目の上に 彼は傷を持っていますが 子供の頃 元気過ぎて 高い所から落ちた時の傷だとか・・? まぁ元気な少年だったようで 剣術もよく使い 元服して仕えた殿様にも はっきりモノを言うタイプで 『 知識を持たない人間は 犬や豚に等しい 』と言って 『 お前は大した奴じゃ 』 褒められたことも。そんな訳で 当時の蘭学にも 興味を持ち 務めを抜け出したので 殿様から何度も殴られたともあります。 ドラマの華奢な襄からは 想像も出来ない逞しさです。そんな蘭学がキッカケになって 杉田玄白の子孫と友人になり ロビンソン漂流記など外国の本を借ります。 その中に キリスト教の本を見つけ 創造主を知り 子供の頃からの疑問が 溶け始めます。 時代はペリーの軍艦来航や 桜田門外の変と重なり 明治維新につながる日本の激動期に入ります。 江戸詰をしていた襄は 江戸湾で見た 威風堂々たるオランダ軍艦と 無様なほど醜い日本の帆掛け船との違いから 当時の西洋人は はるかに日本人より優れていると確信します。日本を 改革しなければならない という信念は TVで見る 大学設立の弁舌に似た彼の強さを感じます。彼は蘭学を独学 幕府の軍艦教授所で 航海学 数学等を学びます。 ジョン万次郎もここで教鞭をとっています。
天上の神を自覚した襄は 神に仕える意志をもって 藩主や家族を見棄て 一時祖国を出る決心をします。たまたま函館行きの船が 江戸から函館へ行くのに誘われ 外国へ脱出のチャンスを得ます。家族に心の別れを告げた時 祖父だけは襄の 外国行きを見抜き 『 行けるなら 言って見て来い 花の山 』と詠んだそうです。 その函館で 司祭のニコライ(神田にニコライ堂を建てた人)を訪ね 彼の援助も得ます。その後札幌に移り 協力者を求めて 1864年(明治維新の4年前)アメリカ船に乗せて貰い 翌年ボストンに到着します。アメリカでは南北戦争が終わり リンカーンが暗殺された頃です。当時 密航は見つかれば 死罪でした。行く方も それを助ける方もいわば命がけだったわけですが 見えざる神の導きか 彼の幸運の始まりとなりました。 開国前の封建時代に 外国の学問とキリスト教を学ぶ為に 固い意志を持って 運命を切り開いた襄の足跡には 大いに感動します。 話しは長くなるので 今日はこの辺で お開きです・・。
昨日午後から 木枯らしと 氷雨が降って いよいよ冬の到来を告げています。
あまり 太陽を入れた写真は 撮らないようにしていますが・・。
飛行雲と 足元の紅葉の間に どっしりとした富士山
霜で 真っ白な 我が家 ? の木々。
今忍野に咲く花です。 タンポポは 年中咲くようです。
小菊 主の御名を賛美します。 霜のせいでしょうか 縮んだ感じです。
松葉菊も 淋しく ポツリ ポツリです。
しばざくら? もしそうなら 春と勘違い ?
パンジー 公園に植えられたものですが 元気がありません。
小高い山(丘)の雑木林。 紅葉の様子です。
山の風景 昨日の風雨で さらに様相を変えていることでしょう。
紅葉は 最後まで 変化があり 楽しめます。
さて、昨夜は風と、雨の強い日でしたが、今日の八王子・高尾は,晴天、暖かい日です。 此方も、一雨ごとに寒い寒い”冬”となるのでしょうな。